7時半起床。
自転車で転倒して1ヶ月が経った。右手親指はなんとかだけど、左手小指がね…。ある程度は曲がるようにはなったけど完全にはまだ…。繰り返して書いて申し訳ないが、ホントに治るんかいね???そんな不安を抱いてしまうも、まずは無理をさせないことに尽きるだろう(溜息)。
ようやくパンサラッサが勝ったサウジカップを見た。ヒヤヒヤも、よく逃げ粘りました!
<パンサラッサが歴史的V/『世界のYAGAGI』また偉業/最高賞金約13億5000万円獲得>
<『世界のYAHAGI』がアラビアンドリームを叶えた。サウジアラビア国際競走のG1『第4回サウジカップ』が25日、首都リヤドのキングアブドゥルアジーズ競馬場で13頭で争われ、最内1番ゲートから先手を奪ったパンサラッサ(牡6)が直線、粘りに粘って3/4馬身差で逃げ切りV。日本馬として歴史的初勝利を収め、世界一の超高額決戦で1着賞金1000万ドル(約13億5000万円)をものにした。/『世界のYAHAGI』がまた偉業を成し遂げた。逃げ切り狙いで直線に向いたパンサラッサが持ち味のしぶとさをフルに発揮する。迫られはしても二枚腰で抜かせない。米国馬カントリーグラマーを3/4馬身差で振り切って、歴史的勝利のゴールに飛び込んだ。馬上でインタビューを受けた殊勲の吉田豊騎手は「やりました!」と何度もガッツポーズ。夏に定年を迎えるベテラン池田厩務員はゴールの瞬間、崩れ落ちるように号泣した。そして感無量の面持ちでスタッフの肩を抱く矢作芳人調教師。歓喜の輪が広がった。>
まずはおめでとうございます!去年の天皇賞(秋)の大逃げがいまだに印象が残るパンサラッサ。馬主は広尾レースで、一口金額は25000円とまあお手頃(シルクレーシングと比べても安いが感覚狂うぞ)。吉田豊騎手とコンビを組んでからは、2年前の福島記念・去年はドバイターフを勝っていた。令和の逃げ馬!の称号を渡してもいいのでは?となりながらも、別の記事に定年する池田厩務員の特集記事があった。馬を担当してG1を勝つまでの苦労も、よく伝わります。
<定年間近にパンサラッサが叶えた64歳池田厩務員“50年越しの夢”>
<あれから50年、最後の最後に出会えたスターホースだ。世界最高賞金レースのサウジカップを勝ったパンサラッサを担当する池田康宏厩務員(64)は、今年7月に定年を迎える。この仕事を志すきっかけは、中学2年生だった73年の朝日チャレンジカップ。同じく厩務員だった亡き父康雄さんに連れられ、阪神競馬場を訪れた。レース直後に手渡されたのが、優勝馬の鞍だ。汗にまみれ、温かい。「あのぬくもりが忘れられない」。その馬の名はタニノチカラ。のちに天皇賞(秋)や有馬記念を制する名馬となった。いつかは俺も…。少年は中学卒業後にトレセンへ入った。だが、勝負の世界は甘くない。50代になってようやくG1へ手が届きかけたが、2010年ジャパンカップダートのグロリアスノアはクビ差2着、2018年中山大障害のタイセイドリームはハナ差2着。「写真判定に弱い厩務員やから」と弱音をこぼしても、顔にはいつも笑みがあった。>
こうやって読んでると、勝負の世界がいかに厳しいかがよくわかる。ツイッター上でも上がってたのは、勝った瞬間の喜びは見てる側も感動です。
<半世紀近い厩務員生活の“ゴール前”でめぐりあったのがパンサラッサだ。やんちゃで「年寄りが手を焼いてます。2歳・3歳の時は人を落としたりして大変やった」と苦労するが、それでも笑顔で寄り添った。昨年のドバイターフでは写真判定の末に同着V。そしてサウジカップでも猛追をしのいだ。笑って喜ぶはずが「年がいもなく涙腺が崩壊した」。砂漠からの乾いた風に吹かれながら、両手で顔を覆って大泣きした。>
サウジカップを勝って次走はドバイらしい。パンサラッサの逃げを次も期待です!
自転車で転倒して1ヶ月が経った。右手親指はなんとかだけど、左手小指がね…。ある程度は曲がるようにはなったけど完全にはまだ…。繰り返して書いて申し訳ないが、ホントに治るんかいね???そんな不安を抱いてしまうも、まずは無理をさせないことに尽きるだろう(溜息)。
ようやくパンサラッサが勝ったサウジカップを見た。ヒヤヒヤも、よく逃げ粘りました!
<パンサラッサが歴史的V/『世界のYAGAGI』また偉業/最高賞金約13億5000万円獲得>
<『世界のYAHAGI』がアラビアンドリームを叶えた。サウジアラビア国際競走のG1『第4回サウジカップ』が25日、首都リヤドのキングアブドゥルアジーズ競馬場で13頭で争われ、最内1番ゲートから先手を奪ったパンサラッサ(牡6)が直線、粘りに粘って3/4馬身差で逃げ切りV。日本馬として歴史的初勝利を収め、世界一の超高額決戦で1着賞金1000万ドル(約13億5000万円)をものにした。/『世界のYAHAGI』がまた偉業を成し遂げた。逃げ切り狙いで直線に向いたパンサラッサが持ち味のしぶとさをフルに発揮する。迫られはしても二枚腰で抜かせない。米国馬カントリーグラマーを3/4馬身差で振り切って、歴史的勝利のゴールに飛び込んだ。馬上でインタビューを受けた殊勲の吉田豊騎手は「やりました!」と何度もガッツポーズ。夏に定年を迎えるベテラン池田厩務員はゴールの瞬間、崩れ落ちるように号泣した。そして感無量の面持ちでスタッフの肩を抱く矢作芳人調教師。歓喜の輪が広がった。>
まずはおめでとうございます!去年の天皇賞(秋)の大逃げがいまだに印象が残るパンサラッサ。馬主は広尾レースで、一口金額は25000円とまあお手頃(シルクレーシングと比べても安いが感覚狂うぞ)。吉田豊騎手とコンビを組んでからは、2年前の福島記念・去年はドバイターフを勝っていた。令和の逃げ馬!の称号を渡してもいいのでは?となりながらも、別の記事に定年する池田厩務員の特集記事があった。馬を担当してG1を勝つまでの苦労も、よく伝わります。
<定年間近にパンサラッサが叶えた64歳池田厩務員“50年越しの夢”>
<あれから50年、最後の最後に出会えたスターホースだ。世界最高賞金レースのサウジカップを勝ったパンサラッサを担当する池田康宏厩務員(64)は、今年7月に定年を迎える。この仕事を志すきっかけは、中学2年生だった73年の朝日チャレンジカップ。同じく厩務員だった亡き父康雄さんに連れられ、阪神競馬場を訪れた。レース直後に手渡されたのが、優勝馬の鞍だ。汗にまみれ、温かい。「あのぬくもりが忘れられない」。その馬の名はタニノチカラ。のちに天皇賞(秋)や有馬記念を制する名馬となった。いつかは俺も…。少年は中学卒業後にトレセンへ入った。だが、勝負の世界は甘くない。50代になってようやくG1へ手が届きかけたが、2010年ジャパンカップダートのグロリアスノアはクビ差2着、2018年中山大障害のタイセイドリームはハナ差2着。「写真判定に弱い厩務員やから」と弱音をこぼしても、顔にはいつも笑みがあった。>
こうやって読んでると、勝負の世界がいかに厳しいかがよくわかる。ツイッター上でも上がってたのは、勝った瞬間の喜びは見てる側も感動です。
<半世紀近い厩務員生活の“ゴール前”でめぐりあったのがパンサラッサだ。やんちゃで「年寄りが手を焼いてます。2歳・3歳の時は人を落としたりして大変やった」と苦労するが、それでも笑顔で寄り添った。昨年のドバイターフでは写真判定の末に同着V。そしてサウジカップでも猛追をしのいだ。笑って喜ぶはずが「年がいもなく涙腺が崩壊した」。砂漠からの乾いた風に吹かれながら、両手で顔を覆って大泣きした。>
サウジカップを勝って次走はドバイらしい。パンサラッサの逃げを次も期待です!