毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「独り逝く人」    2011年12月26日(月) No.249

2011-12-26 11:59:53 | 日記
 昨日日本から悲しい知らせがあった。
何回か会っただけだが、私が自分勝手に(友だち認定)していたAさんが亡くなった。この3月に退職した職場には
「母の元に参ります。」
との言葉を残して去ったという。職場では故郷に帰ると思ったらしいが、お母さんはもう以前に他界されていた。Aさんは病気のためにこの夏、逝かれた。

 私は単に手前勝手な「ココロの友」であるので、連絡がなくて当たり前だが、親しい友人にも自分の死を伝えないようにと、亡くなる前親族に言っていたそうだ。
Aさんの友人の一人は、春から何回電話しても連絡が取れず、結局死を知ったのは12月に入ってからだという。

 「無縁死」、「無縁社会」という言葉がある。親族も無く、働いてもいない人が、(誰にも迷惑をかけないように)」と思い、独りひっそりと社会から消えていくその死に方を無縁死と呼ぶそうだ。NHKのドキュメンタリーで話題になったこの言葉は、中国の若者たちまで知っている。

 Aさんの死に方は、血縁・社縁のない孤立死ではない。哀れで湿っぽいイメージの「無縁死」には当てはまらないと思う。私はAさんの死から「一人で逝く」というきっぱりした意思と潔い孤独を感じる。

 私自身、最近は自分の死に方をイメージすることがある。必ずやって来る「死」をどう迎えるかは、自分の最後の仕事だ。

「母の元に行くことになりました。」
本当にその通りだと思う。
 自分で勝手に生まれてきたんじゃなくて、母がふんばって産んでくれたのだ。自分でも子どもを産んでみて、子どもが自主的にお腹から出ていく訳じゃないことがよ~く分かった。気合いを入れて産んであげるのである。
 生まれたときは、母が傍にいた(覚えてないけど)。死んでいくのも(母の傍に行く)と思えば納得できる。私もAさんぽい死に方を選ぶ気がする。

 しかし、しかし、だ。残された悲しみはそれとは別だ。Aさんのように健気にきっぱり潔く死なれたら、めちゃくちゃ悲しい。涙が噴出する。グジグジと周りに世話を焼かせて、ようやく死んでいく人などは、送る人も心残りがないかもしらんが、私はAさんとお別れするチャンスも与えられなかったのだ。

Aさんのばか~~~~!!!

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