毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

廬山に行った(その1)  2011年4月24日(日) No.117

2011-04-24 20:04:07 | 中国事情

 ゴールデンウィークに3年生と行く予定だった廬山。ゴールデンウィークはひどく混むというので、急遽予定を一週間早め、22日(金)午後から2泊3日で行ってきた。その連絡を受けたのが前日木曜の夕方。いつもの中国時間だ。

 廬山の美しい風景については、以前、山東省からの帰国者横山さんの息子さんからいただいたDVDを見て予備知識はあった。行ったことのある学生たちからも、「本当に美しいところです。」「江西省に来たら、是非廬山に行かなくてはなりません。」と言われていた。そういうこともあって、半年前に3年生の範さん、劉さんたちに誘われたとき、一も二もなく「行く、行く!」と返事をしたのだ。

 しかし、3・11以降、気が滅入り、あらゆる面においてパワーダウンした私は(もう面倒くさいなあ。行くの止めたいな)などと思い始めた。その矢先、共に参加予定だった大阪の友人から「申し訳ないが海外旅行の気分には到底なれない」と最終返事があった。範さん達にそれを言うと、かなりガッカリした様子で「先生も、やはり行く気持ちになりませんか。今からならどうとでもなります。」と気遣いを示す。そんなことを言われては逆に(何が何でも行かなくては…)と思うのが私の性格だ。
「当然、行きますとも!」と元気よく答えた。

 今回のツアーでは、3年生の黄さんの友人のSさんの世話になることになっていた。廬山は九江市(江西省における歴史文化の中心地)の傍にあり、Sさんはその九江市内の大学の日本語学科の学生だ。以前、財大3年の文学の授業に参加していて、それ以来時々メールをくれるようになった。最近、彼女は仏教に傾倒しており、九江に来たら東林寺に案内すると書いてきた時、実は当時「宗教」というものに心の壁を作っていた私としては(うう、そういう押しつけっぽいのはちょっと嫌だな)と感じたりした。
 結局メンバーは財大3年の劉さん、範さん、私。(肝心の黄さんは「お金がないので行けない。」と断念。)そして、九江からSさんのクラスメート2人、高校の同級生2人、Sさんの大学の日本人の先生と合流し、総勢9人の団体ツアーになった。その旅行の全てをSさんとそのクラスメートが3人で仕切ってくれた。

 まず、案内してくれたのは廬山の麓にある「東林寺」という寺だった。鑑真和上が日本に渡る前にステイしたところであると誰からか聞いていたが、それ以上は寡聞にして何一つ知らずに、私はただ連れられて行った。
 そこは、とてもサッパリした印象のお寺だった。建物はたいへん広い敷地に棟が幾つも建ち並び、門は中国によくある金箔を施したものだったが、そんなにゴテゴテした印象はなく、寺の正門前にバン2台で到着した我々がまず目にしたのは、正門前に簡素な板で作られた何軒かの宗教グッズの出店だった。
 その店は農業中心の地元の人たちの副収入になるとのことだった。呼び声もなく、数珠やら彫り物やらを並べているだけで、静かにたたずんでいる売り子?のおじさんたち。タバコなんかふかして、ゆったりした商売だ。
 21歳のSさんは髪をポニーテイルにくくり、ざっくりしたタートルネックのセーターに黒い短パンとタイツの格好。あと2人のクラスメートも、それぞれ格子縞のシャツにジーンズ、白いウインドブレーカーにジーンズという服装だ。連れられてきた他の者たちも、全員参拝客という風情まるでなしの、超普段着ばかり。「お寺に参拝する」というときの日本的発想とは違うものだった。案内役の3人はスタスタと正門に近づき、私たちに続くことを促す。
一歩中に入ると、広い敷地には、灰色ガウンの仏僧の方々、茶色ガウンの信徒さんたちが行き来している。こんなところに来るとは思っていなかった我々(廬山のことしか考えていなかった)は、ボーッとして、巨大な楠の下に立っていた。樹齢800年と書いてある。また少し離れたところの木は樹齢900年だ。薄暗がりだったが、ひっそりと寺の象徴のように立つ木々は、それだけで心をスーッと落ち着かせてくれた。日本の異常なまでに手入れされたお寺にはない気楽さも同時に感じて、辺りをのんびり眺めながらSさんが何やら申し込むのを待っていた。

 思いがけないことに、戻ったSさんが
「今日はここに泊めてもらいます。無料です。私も何回も泊めてもらいました。」と言う。
(無料って、アンタ、こんな由緒あるお寺でありえないし!)と日本的発想でハラハラ心配したが、こんな山の中で今さらどうしようもない。ひたすら、後をついていくだけだ。
私が(ヒエ~!)と思うのも無理はないと思う。何しろ鑑真和上が日本に行く前、何か月か滞在した寺だ。それに、樹齢800年の木の傍には「陶淵明が九江にいたころ、何度もこの寺を訪れた。」と書いてある。この寺はどこから見ても中国の宝物だ。我々のようなどこの馬の骨かも分からぬ者たちに、一夜の寝泊まりを許してくれるなんて、太っ腹もいいとこだ。その事実のあまりの重みを感じきる度量も感性もなく、ただただ茫然としたというのが正直な状態だった。
Sさんは、あっさりとした口調で、
「このお寺は浄土宗を開いたお寺です。日本とはとても深い絆があります。日中友好のために喜んで部屋を提供してくれました。」と言う。
財大グループの思いつき(突然の日程変更)に付き合い、Sさんは気持ちよくホテルの手配をしてくれた、と聞いていた。そのホテルとは「東林寺」だったのか!しかも、昨日申し込んでO.K.!とにかく、ここ中国では誰も彼もが太っ腹だ!

 私が日本から来た老師だというので、他の一般信徒とは別に、特別なツインルーム(トイレ付き)をあてがってくれた(普段は職員が使っている部屋らしい)。範さん、劉さんは二人で1ベッド、私は一人で1ベッド。パジャマ代わりにTシャツ2枚置いてあった。古いが部屋と言い、寝具(布団、枕カバー)と言いどれもこれもみごとに清潔だった。熱いお湯を大きなポット2つに用意してくれたが、劉さん、範さんはさっさとそれをタライに入れ、適度に薄めて足をつけだした。聞くと、中国では(江西省では?)みんな、毎晩30分~1時間はそうやって足マッサージをするのだそうだ。「一日で一番幸せな時間です。」と劉さんが言った。

 寝る前に、お寺の職員さん(お坊さんではなく、動物保護や酷い死に方をした動物の弔いをする係りの人)が、私たちを散歩に連れて行ってくれた。その30歳くらいの青年は、歩きながら雄弁にあれこれ浄土宗の教えやらを話してくれたが、通訳の学生達は自分の実力に合わせて、少しずつ省略して教えてくれた。
話の中で、3月15日に東林寺では、寺を挙げて「東日本の災害犠牲者を悼む大法会」を開いたと言われたときは、またしても思いがけないプレゼントに、感謝もろくに言えずボーッとなってしまった。「フラガール」のまどかさんじゃないけど、優しくされるのに慣れてないんだよね…。
 とにかく、大きな、大きな、大きなプレゼントをもらった旅の初っぱなの日だった。 

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