「二十一世紀に生きる君たちへ」から・・・

2019-10-31 19:56:59 | 日記
『さて、自然という“不変のもの”を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。人間は、--くり返すようだがーー自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。その態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。--人間こそ、いちばんえらい存在だ。という、思いあがった考えが頭をもたげた。二十世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といっていい。同時に、人間は決しておろかではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。このことは、古代の賢者も考えたし、また十九世紀の医学もそのように考えた。ある意味では平凡な事実にすぎないこのことを、二十世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。二十世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、二十一世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。』(司馬遼太郎著「二十一世紀に生きる君たちへ」より)自然災害の恐ろしさ(地震、台風、竜巻、豪雨、火事など)は、心底から身に染みている。きょうの出来事としては、○首里城正殿と北殿、南殿、書院・鎖之間(さすのま)、黄金御殿、二階殿が焼け落ちたこと(焼損面積は計4836平方㍍)、○10月度累計歩数402,322歩(312km)累計達成日数2,871日とがんばったこと、○玉子焼とり丼、うまかったことだ。(10,310歩)