映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ステキな金縛り

2011年11月12日 | 邦画(11年)
 『ステキな金縛り』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。

(1)あれだけ様々な手段でPRすればそうなること必定でしょうが、大きな映画館が観客で一杯でした。

 映画の主役は、裁判でドジばかり踏んでいる弁護士・エミ深津絵里)。これが最後だぞと、所属する法律事務所の上司・速水悠阿部寛)に宣告されて渡された案件は、自分の妻・鈴子竹内結子)を殺害した容疑で逮捕起訴された男(KAN)を巡るもの。
 同人は、アリバイを立証できないために窮地に陥っているものの、犯行時刻には別の場所にいたとして、犯行を全面否認しています。
 エミは、被告の主張を検証すべく、奥多摩にある旅館「しかばね荘」に行くと、被告の証言通り、落武者・更科六兵衛西田敏行)の幽霊に遭遇します。
 そこでエミは、更科六兵衛に裁判で証言してくれるよう頼み込み、なんとか了解をもらいます。
 はたして、そんな前代未聞の裁判は、エミの思惑通りに実現するのでしょうか、実現できたとして、エミは裁判に勝てるのでしょうか……。

 さすが、三谷幸喜監督が、構想10年のアイディアを作品化しただけのことはあり、やや他愛がないという感じは伴うものの、物語はそれなりの面白さを持っていますし、なおかつ、裁判映画であって、一応の謎解きまで備えているのですから、サービス満点といえるでしょう。
 それに、超豪華メンバーのオンパレードで、主演の深津絵里が持てる力をフルに出して素晴らしい演技を披露しますし、幽霊役の西田敏行も、喜劇俳優としての第一人者ぶりを縦横に発揮(2009年の『釣りバカ日誌ファイナル』以来でしょうか)、上司の阿部寛はタップダンスを見せ、検事役の中井貴一エアドッグ(注1)までやってしまいますし、また、浅野忠信、佐藤浩市、深田恭子や篠原涼子、市村正親、などなど錚々たる面々が、次から次に出演するのですから堪えられません。





 ただ、深津絵里が主演ながら、彼女を巡るラブ・ロマンスの面がほとんどないのが物足りないところでしょうか。彼女の上司の阿部寛とか、裁判における担当検事の中井貴一が、独身状態と見られるにもかかわらず、そんな様子は全然見られないのです。
 それに、何の兆候もなし上司の阿部寛が突然死んでしまうというのも、彼に冥界にいる事件の被害者を連れてきてもらうためかもしれないものの、観客側としてはあまり納得がいかないところです。

(2)この映画を巡っては、他の作品の監督とは桁違いに多くの回数 、三谷幸喜監督があちこちに露出しています。

 TV・ラジオなどへの出演ぶり等については、公式サイトにある「メディア露出情報」を見れば一目瞭然ですし、また、他の作品ならば、劇場用パンフレットにおいては、映画評論家のエッセイが2、3本掲載されるところ、本作についてはそんなものは見当たらず、代わりに監督自身の「ロング・インタビュー」とか、監督が本作を製作するに当たってインスピレーションを受けた映画、といったものが掲載されています。

 それもこれも、すべてをさらけ出しサービスすることによって、制作側のみならず、観客側も皆一緒になって映画を楽しみましょうということでしょう。
 それはわからないではありませんし、そうしたものが嫌なら見なければいいのですから!
 ただ、こうも多く顔を出されると、観客側としても少々煩わしくなってくるのではないでしょうか(注2)?
 そして、そんなに言うのなら少しチャチャを入れてみようでは、という気にもなってきます〔野暮で申し訳ありません(でも、仲里依紗さんから「粋だね」なんて言われても仕方ありませんし!)〕。

 例えば、劇場用パンフレットに掲載されている「ロング・インタビュー」の終わりの方で、「出来上がったものは過去の4本に比べると一番映画っぽくなっている気が」するが、その「理由のひとつに、主人公エミの日常生活を描いているということがあ」り、「ベッドルームが出てきて、彼氏まで出てくる」と述べています。
 ですが、あんなに生活臭のないダイニングキッチンで、彼氏の工藤万亀夫木下隆行)がフライパンを使っている姿とか、あんなに新品のベッドで2人が川の字になって寝ているシーンによって、はたして日常生活が描き出されているといえるのでしょうか?

 それに、この彼氏の存在は疑問に思えるところです。エミに彼氏がいるということで、この映画からラブ・ロマンスの要素がなくなってしまっているのですから。
 確かに、役者である工藤のツテで、TV局のスタジオに入れて、チャンバラシーンに立ち会うことができたりするのですから、全く意味がないわけではないでしょう。ただ、皆の関心が更級六兵衛に集まってしまい、自分が無視されているのを感じたときに、彼は家出をしようとしますが、エミは断固としてそれを引き留めようとしないのですから、エミを工藤とは引き離して、もっとラブ・ロマンスの中に置いてもおかしくはないように思えるのですが?

(3)そんなことはサテ置いて、「幽霊」です。
 本作の英題(?)は『A GHOST OF A CHANCE』とされていますが、このところ幽霊(ゴースト)を扱う映画が多いような気がします。
 9月に見た『ゴーストライター』では、「ゴースト」といっても比喩的に使われているところ、『東京公園』では、榮倉奈々の彼氏だった染谷将太の幽霊が、生きている時のままの恰好で登場します。この場合、榮倉奈々には見えないものの、親友の三浦春馬には見えるのです(マサカ、彼がシナモンを好んでいるわけではないでしょうが!)。

 それでも、その映画とか本作に登場する幽霊と、一般に考えられている幽霊とでは、だいぶ異なっているのではないでしょうか?
 本作に頻繁に登場するのは、西田敏行が扮する更級六兵衛の幽霊。
 ただ、囚われの身になって打ち首になって死んだはずなのに、幽霊は鎧を着けてちゃんと首が繋がっています。そればかりか、両足がついていて、裁判所内を縦横に歩き回ります(注3)。

 ですが、一般の幽霊は、例えば、下の松井冬子氏(昨年1月7日の記事の中で触れています)が描くものが典型的だと思いますが(注4)、死んだ時の姿で、それも下半身がない状態で現れるものではないでしょうか?



 あるいは河鍋暁斎の次のような「幽霊図」(部分、1870年)。



 むろん、だからといって本作の更級六兵衛の幽霊がおかしいというわけでは更々なく(注5)、むしろ常識的なものに囚われていない奔放な姿の方が、本作に適っているようにも思われます(注6)。
 とはいえ、更級六兵衛の幽霊は、「証人」に該当するかどうか疑問なしとしないのですが(注7)?また、「証人」になり得るとしても、幽霊は、はたして被告を「金縛り」状態にすることなど出来るものでしょうか(注8)?それも“ステキ”に!?

(4)渡まち子氏は、「さすがは構想10年。練られた脚本は笑いのツボを押さえていて、監督5作目となる三谷幸喜の手腕は相変わらず見事」で、「法廷ものとしては弱いが、人情劇として楽しめる」として70点をつけています。
 また、福本次郎氏は、「映画は殺人事件を担当する弁護士が落武者の幽霊と心を通じ合わせていくうちに、亡くした父への感情と仕事に対する自信を取り戻していくまでを描」いており、「髪を振り乱して周囲の人々を動かすコミカルかつエネルギッシュなヒロインを深津絵理が熱演、スクリーンから強烈な吸引力を放っていた」として60点をつけています。



(注1)「エアドッグ」ならぬ「エアギター」についてなら、『トイレット』を取り上げた記事の(2)で触れています。

(注2)監督が本作を製作するに当たってインスピレーションを受けた映画として挙げられている中に、例えば、クマネズミの大好きな『真夜中のサバナ』があり、それに関して、「(山本耕史さんについて)ずっと僕は彼を日本のケビン・スペイシーにしたいとおもっているんです。今回も『真夜中のサバナ』のケビン・スペイシーとほぼ同じようなメイクにしてもらいました」との監督による注釈付きですが、和風ケビン・スペイシーなど使い道が他にあるのでしょうか!

 逆に、郷土史家役の浅野忠信の格好は、例えば『父と暮らせば』(2004年)で、宮沢りえの美津江が心を寄せる木下青年と類似している、といったくらいの注釈ではどうでしょうか(ちなみに同作では、先般亡くなった原田芳雄が、父親・竹造の「幽霊」役として出演しているところです)?

(注3)辻惟雄監修『幽霊名画集』(ちくま学芸文庫)に掲載されている諏訪春雄氏のエッセイ「日本人の幽霊観と全生庵幽霊画」には、「幽霊が足をうしなった理由」として、「死者の乗物に雲が使われたこと」と、「地獄で亡者が鬼たちによって足を切られると信じられていた」ことが挙げられています。

(注4)『夜盲症』(2005年)。
 なお、この作品をも含めた「松井冬子展」が、12月17日から横浜美術館で開催される予定です。この展覧会は、「公立美術館における初の大規模な個展」とのことで、今から楽しみです。

(注5)Wikipediaの「幽霊」のには、「日本では幽霊は古くは生前の姿で現れることになっていた」が、「江戸時代ごろになると、納棺時の死人の姿で出現したことにされ、額には三角の白紙の額烏帽子をつけ白衣を着ているとされることが多くなった」などとあり、特段、確定的な姿形などないようです。

(注6)ただし、更級六兵衛の霊が、特定の誰かを恨みに思って出現するのではなく、「しかばね荘」の特定の部屋に繰り返し出現するということであれば、池田彌三郎著『日本の幽霊』(中公文庫)における議論(P.54)を踏まえると、「幽霊」というより、むしろ「妖怪」と呼ぶべきなのかもしれませんが。

(注7)刑事訴訟法第143条 「裁判所は、この法律に特別の定のある場合を除いては、何人でも証人としてこれを尋問することができる」における「何人」に、はたして「幽霊」は該当するのでしょうか?

(注8)残念ながら、本作においては、更級六兵衛から重要な証言が開陳される前に、真犯人が明らかになってしまい、裁判は終わってしまいます。
 ただ、Wikipediaの「金縛り」のには、「人が上に乗っているように感じる、自分の部屋に人が入っているのを見た、耳元で囁かれた、体を触られているといったような幻覚を伴う場合がある。これは夢の一種であると考えられ幽霊や心霊現象と関連づけられる原因になっている」などとあるものの、このサイトの記事によれば、「20世紀初頭、ドイツの医師団は死期が迫っている人を精密な体重計に横たえて、死亡直後に約35g体重が減ることを確認した」そうですし、また「人間の魂の重さは21g」とするもあるようで、仮にそのくらいの体重だとしたら、幽霊に上に乗られても金縛り状態になるとは思えないところですが?
 ただ、更級六兵衛は鎧を着用していますから、それで重いかもしれません(ちなみに、『一命』に登場する井伊家の甲冑は、このサイトの記事によれば24.5kg)。でも、鎧もシナモンを愛用していないと見えないのでは?ということは、鎧も霊魂?
 ちなみに、小泉八雲の「耳無芳一」にも、芳一を案内する「武者の足どりのカタカタいう音はやがて、その人がすっかり甲冑を著けている事を示した」と書かれているところで(戸川明三訳の青空文庫版)、幽霊が鎧を着けていてもおかしくはなさそうですが。



★★★☆☆




象のロケット:ステキな金縛り


最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あべちゃん。。。 (みぃみ)
2011-11-14 09:47:58
こんにちは。
確かに、とっても元気そうな所長さんが、あっという間に昇天…、には、口あんぐり!(^^;)でした。
巧いな~と思ったのは、え~っ?と冷めていく気持ちを、エミが託したメッセージと、ソファにいる所長さんに話しかけているエミを気の毒がる看護婦さん(笑)の図で、引き戻してもらった事。三谷さんならでは!かもしれません(^^)。

打ち首になったのに、首が繋がってる点、私も不思議でした~:W。


Unknown (ほし★ママ。)
2011-11-14 18:40:26
今作は、ホロッとさせられる場面を多く取り入れて
そこが、今までの三谷作品より「映画らしい」かなとは思いましたが
私個人としては、もうちょっとブラックな笑いも期待していました。

>エアドッグ
さすが!ナドレックさん、お上手ですね。
この映画で、エアドッグのシーンが一番好きです。
一緒に騒ぎましょう! (クマネズミ)
2011-11-14 21:54:53
「みいみ」さん、TB&コメントをありがとうございます。
この映画は、重箱の隅をつつくようなことをいくら論っても、本筋がとても面白くできていてビクともしませんから、皆であれこれわいわい騒ぎたててみたらと思っているところです。
その一例として、更科六兵衛の幽霊についてあれこれ弄ってみたりしました。
多様な笑いを! (クマネズミ)
2011-11-14 21:59:27
「ほし★ママ」さん、TB&コメントをありがとうございます。
おっしゃるように、本作の場合、「ホロッとさせられる場面」が多く見受けられますが、それだと邦画独特の喜劇映画になりかねませんから、「もうちょっとブラックな笑い」が必要なのかもしれません!

Unknown (ふじき78)
2011-11-18 00:57:57
何がどうなれば映画らしいかはよく分からないんですが、今回は「三谷作品」>「映画」みたいな感じで、あまり、映画とは感じなかったです。多分、あまりにも世界観が作られ過ぎていて、リアリティを阻害したからじゃないかと思ってます。
三谷ワールド (クマネズミ)
2011-11-18 06:41:48
お早うございます。
「ふじき78」さん、TB&コメントをありがとうございます。
「今回は「三谷作品」>「映画」みたいな感じ」と「ふじき78」さんがおっしゃる点は、クマネズミが本文で、「この映画を巡っては、他の作品の監督とは桁違いに多くの回数 、三谷幸喜監督があちこちに露出してい」ると書いたことと、あるいは通じる側面があるのではないでしょうか?
また、「あまりにも世界観が作られ過ぎてい」るとされる点も、「他の作品ならば、劇場用パンフレットにおいては、映画評論家のエッセイが2、3本掲載されるところ、本作についてはそんなものは見当たらず」とクマネズミが書いたところにもしかしたら通じていて、三谷氏は、自分の世界に他人が侵入することを断固として拒んでいるようにも伺われるところです。
ワールド、時は動き出す (ふじき78)
2011-11-19 00:46:14
こんちは。
そういう取り方もある事を認めつつ、ニュアンスが違うのでもう一言。

今回の映画はまるで一回、舞台として作ったものを映画にする為にカット割りしたみたいです。だから、野外で撮ってる筈の公園(深津絵里が歌う芝生)や、八王寺のホテルまでの道程も空気が吹く外というより、書割の背景みたいに感じました。「世界観が作られ過ぎている」はこの辺の窮屈具合に対して言ってます。三谷の頭から出た以外のイレギュラーな物を許さない感じがあります。
書割 (クマネズミ)
2011-11-19 21:10:57
「ふじき78」さん、再度のコメントをありがとうございます。
三谷幸喜監督は、劇場用パンフレットに掲載されている「ロング・インタビュー」において、「『ザ・マジックアワー』もロケに行っているんですけど、その時はあえてセットのように撮りました」が、今度の映画では、「長野のロケにも行って、はじめて広大な大自然を使ったんですよね」と述べているところ、「ふじき78」さんに言わせれば、にもかかわらずそうした努力が功を奏さなかった、ということになるのでしょう!
なお、しつこくクマネズミのエントリに拘れば、書割的なセットの方にせよ、「あんな生活臭のないダイニングキッチン」では「日常生活」を描いたことにならないのでは、と思ったところです。

コメントを投稿