映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

空気人形

2009年11月08日 | 邦画(09年)
 「空気人形」を渋谷のシネマライズで見てきました。

 「韓流」映画の評論も手がける経済学者の田中秀臣氏(上武大学教授:リフレ派ということで同じ大学の池田信夫氏からヨク批判されます)が、この映画についてブログに書いていることもあり、また、主演女優ペ・ドゥナについて雑誌の特集(『ユリイカ』10月臨時増刊号)もあったりして、この映画は是非見てみたいと思っていました。

 物語自体は簡単です(原作は、業田良家氏の短編漫画)。板尾創路が愛用する空気人形(いわゆるダッチワイフ)が、突然心をもってしまい、昼間は人間(韓国女優ペ・ドゥナが扮します)となってレンタルビデオ店で働き、そこの若い店員(ARATA)を愛するようになるものの、最後は儚くゴミのように廃棄されてしまう、といったストーリーです。

 なんといってもこの映画で評価すべきは、主演女優ペ・ドゥナの演技の素晴らしさでしょう。その設定から、彼女のヌードシーン(人形の自分に自分で空気を入れて人間になるときなど)やセックスシーン(空気孔にARATAが息を吹き込む)が何回も映し出されますが、どのシーンも大層美しく、また街を歩いたり人とコミュニケーションをとったりするときの仕草に、人形としての純粋さ、汚れのなさがよく表されていて、これは余人をもって代え難いのでは、と思えてきます。
 また、彼女を取り巻くのは大部分が男優ですが、なかでも空気人形を製作している人形師役のオダギリジョーがいい味を出しています(女優では、やはり余貴美子がよかったと思います)。

 こうした点は、渡まち子氏も同じように指摘しているところです。すなわち、渡氏は、映画の「独特の世界観を支えているのが人形という難役を演じる韓国人女優ペ・ドゥ ナだ。たどたどしい日本語が、初めて世界を知る人形の心情に見事にフィットする。何よりも透明感溢れるエロティシズムを醸し出す彼女の演技は、大胆かつ繊細で、素晴らしいとしか言いようがない」として90点もの高得点を与えています。

 ただ、この映画は、人形に「心」が宿ってしまう様を描いていますから、単なるSFファンタジーとしてではなく、より深いところで受け止めるべきだ、という思いにも囚われるところです。

 たとえば、福本次郎氏は、「映画は、無垢な心を持った人形が体験する誕生と死、愛と別れを通じて、人生の苦悩を圧倒的な閉塞感で描く。将来の展望や夢がなくても命ある限り生活ていかなければならない、そんな人々の現状をあるがままに受け入れる姿勢は、押し付けがましさがなくて心地よい」として60点を与えています。
 また、先の渡氏も、「他人とつながることへの切望。それゆえの孤独。物語は深淵で稀有なもの」と、述べています。

 とはいえ、この映画を見て、「人生の苦悩を圧倒的な閉塞感で描く」とするのはお角違いではと思えます。空気人形が心をもって至極軽く街を歩いている様を見れば、「人生の苦悩」などとは全く別の地点にいることがわかります。さらに、渡氏のように、「深淵」と言ってしまうと、この映画の良さが失われてしまうのでは、と思えます。

 そうしたこともあってか、小梶勝男氏は、この映画は「一種の特撮映画、あるいは「フランケンシュタイン」などのモンスター映画の系譜につながっているのではないか」と独自の視点を挙げ、「本作では、無垢なる(空気人形の)存在は「恐怖」とだけ受け止められるわけではない。町の様々な人々に、様々な形で関係していく。その様々な関係の有り様から、町全体が「孤独の集積」として浮かび上がってくるのが感動的だ」として85点を与えます。

 こうした観点もむろんアリでしょうが、もっと単純に、人間になった人形と元から人間との交流を描いた現代のお伽話としてみてはどうでしょうか?

 確かに、この映画に登場する人間は皆、人とのコミュニケーションがうまくできないようです。例えば、昼間はレストランで働いて、そこの若い店長から怒鳴られ、それでもハイハイと従わざるを得ない板尾創路。家に帰れば人とは口をききたくないのでしょう、人間になった空気人形に、元の人形に戻ってくれと要求します。
 といっても、こうした人たちを深刻に捉えることもないのでは、とも思います。そういう行動をとることでバランスを取っているのでしょうから、ありうべきコミュニケーションが欠けている、これは現代の深刻な問題だと声高に言ってみても、何の解決にもなりません。

 実際には、ファンタジーとしても、この映画には様々な問題が見つかります。
 たとえば、人形が心を持つことが、どうして人間と同様に行動することにつながるのか、心をもった人形は、なぜ日本語を話し街を歩き、果てはビデオショップで働いたりすることができるのか、そこまで理解しているのであれば、若い店員(ARATA)の腹に穴をあけて空気を出そうとしたり、逆に口から空気を入れて膨らまそうとするのか、等々。

 ですが、映画を見ている最中は、そんな問題など全然気になりもしません。ペ・ドゥナと一緒になって、街をうろついたり、船に乗って佃島ウォータフロントの光景を眺めたり、随分とのどかな気持にさせられます。

 ラストで空気人形は、空気を抜かれてゴミとして廃棄されますが、そのときのペ・ドゥナの顔つきがまたとても素晴らしいので、随分設けたような気分になって映画館を後にすることができました。


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