第三軍の乃木大将は、旅順要塞攻略作戦では
・機関銃を知らなかった、とか
・小塁一つ抜けなかった、とか
・坑道作戦をとらなかった、などは
司馬遼太郎一流の欺瞞と捏造であり、乃木大将や伊地知参謀長などは、それなりに合理的な作戦を実行していったのである。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」をはじめ、日露戦争後に発表された旅順第一回総攻撃に参加して負傷した酒井忠温中尉が書いた「肉弾」という書物が、ベストセラーになって旅順では肉弾戦が行われたという概念が広く定着してしまった、と桑原嶽タケシ著の「乃木希典と日露戦争の真実」には書かれている。
「…旅順が遠くから射つ砲兵の射撃や、ごそごそ穴を掘って爆薬を仕かける爆破作業で落ちたなどといっては面白くない。…それはともかく、この肉弾と言う言葉が、国民を大いに奮い起こさせ、肉弾攻撃を当然のものとして受けいれていたのである。…ところが大東亜戦争後、国民の価値観が百八十度転換してしまうと、何であんな無茶な、馬鹿なことをしたのかと言うことに変わってしまう。ベトンの要塞に肉弾をぶつけるとは何事か、人命軽視、無策も甚だしいということになり、そんなことをやらせた乃木はけしからぬ、無能と言うことになる。乃木にとってもまことに迷惑千万な話である。…」
と言うことになってしまったのである。
従って、乃木希典の評判が落ちたのは、ひとえに司馬遼太郎の「坂の上の雲」の『ウソと捏造』に起因するものである、と考えても間違いがないものであろう。誠に罪深いものである。
(続く)