世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

司馬遼太郎の偏見と独断、そして悪意(17)

2024-05-10 00:00:00 | Weblog

(13) 旅順要塞陥落の意義について。 

  

乃木希典と日露戦争の真実(p195~)には、「旅順陥落の意義」として 

  詳しく記載されているので、それをかいつまんで紹介しよう。   

 

  先ず、直接的な戦術的な意義としては、 

 (1) 我が連合艦隊は旅順封鎖作戦から解放され、本国で艦隊整備に専心でき 

   ることになる。これは海戦に備えて、重要なことである。 

 (2) バルチック艦隊は旅順艦隊の消滅のために、新たに第三太平洋艦隊を編 

   成したために更に回航が遅れた。ため連合艦隊の準備に余裕ができた。 

 (3) 旅順陥落により、第三軍の兵力がそっくりそのまま(とは言わないが) 

   満州平野での大会戦に使用できることになる。 

 (4) 旅順では日本軍は苦戦したが155日で陥落した。クリミア戦争でのセバ 

   ストポリ要塞は、英仏土連合軍の攻撃に対して349日も持ちこたえた。 

   旅順はセバストポリよりも堅固であり、総指揮官クロパトキン大将は早 

   々に陥落するとは思っていなかった。そのため乃木を鬼神のごとく恐れ 

   、この恐れが奉天会戦での彼の作戦ミスに繋がって、日本が勝利した。 

  

 次に戦略的な意義について述べてみたい。   

 

 (5) 日本の戦費調達が円滑順調に進展した。英国と米国における外債の募集 

   が順調に進んだが、これに反してロシアは人気が下落し苦労した。 

 (6) ロシア国内における敗戦厭戦思想を一層蔓延させ、革命分子の活動を益 

   々助長させていったことである。あの「血の日曜日」と言われた首都ベ 

   テルスブルグの冬宮広場の大虐殺事件は、旅順陥落後間もない一月二十 

   二日の出来事である。「乃木希典と日露戦争の真実(p199) 

 (7) これは意義というものではないが、・・・ 

        ステッセルの良き相談相手であった師団長のコンドラチェンコ少将につ 

   いて述べなければならない。彼は開戦後に旅順の砲台の増強を完成させ 

   た人物である。兵士達からの信望も厚く、彼の指揮により旅順要塞の防 

   戦は盤石だったが、1904年12月15日坑道戦の最中に呼ばれて現場に急 

   行した。その時日本軍の二十八サンチ榴弾砲が坑道を直撃し、コンドラ 

   チェンコ少将は即死した。 

   「かれの死は、日本軍にとって重要であった。かれのこの戦死の日から 

   旅順の防戦力が目立って落ちてゆくのである。と「坂の上の雲,四」 

           (P230)には記されている。 

(続く)

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