「ロシア破れたり」(P150)には、「奉天会戦で日本陸軍は、ロシア軍機
関銃五十六挺を上回る二百五十六挺を戦線に投入して、勝利した。すなわ
ち日露戦争で、ロシア軍は旧式のマキシム機関銃を使用し、日本陸軍は新
式のホチキス機関銃を改良した保式機関銃を使用したのだ。両者を見比べ
れば明らかだが、手先の器用な日本人が改良した保式機関銃の方が、ロシ
ア郡のマキシム機関銃よりなんとなく優美(?)である。」と書かれてい
いる。
明治日本軍は日清戦争では、このマキシム機関銃を使ったが、性能が良く
ないので、ホチキス機関銃を四挺購入してこれを改良して日露戦争の2年
前の1902(M35)年に保式機関銃として大量生産したものである、とこの
前の部分には書かれているものである。
史実と異なったことは、「坂の上の雲」と言えども、というよりも「坂の
上の雲」だからこそ、書いてはいけないのである。
(7) 間違いの7、旅順第一回総攻撃で”小塁一つぬけなかった”は間違い
である。p152~153
旅順総攻撃はM37.8.21の午前4時に命令が下った。日本軍は果敢に突撃
するも、ことごとく撃退され8.22の午前5時に退却命令を発した。しか
しわずかに生き残った生存兵が、爆薬を銃眼に押し込んで爆破し、金沢第
七連隊の生き残り70名が敵塁内に踊りこみ、金沢第三十五連隊の残兵が
応援に駆けつけて、盤龍山堡塁を占拠し日章旗を掲げた。…と「ロシア
破れたり」のP152には書かれているが、「坂の上の雲」では”小塁一つ
ぬけなかった”と次のように書かれている。
「乃木軍がいよいよ第一回総攻撃をはじめたのは、八月十九日からであっ
た。…・・この攻撃が、弱点攻撃をもって対要塞戦の原則とするにもかかわ
らず、もっとも強靭な盤龍山と東鶏冠山をえらび、その中央を突破して全
要塞を真二つに分断しようというほとんど机上案にちかい作戦をたて、実
施した。この実施によって強いられた日本兵の損害は、わずか六日間の猛
攻で死傷一万五千八百人という巨大なものであり、しかも敵に与えた損害
は警備で、小塁ひとつぬけなかった」
(文藝春秋社「坂の上の雲」三,S46年第15刷 P224)
しかし、「小塁一つぬけず」云々は、もちろんウソである。ともかくも乃
木軍は、重要堡塁の盤龍山を占領したのである。
・・・・・と「ロシア破れたり」のP153には書かれているのである。
参考までに「旅順要塞図」を次に載せる。
日露戦争-旅順要塞攻略戦③(sakanouenokumo.com)
https//www.sakanouenokumo.com/ryojunkouryakusen3.htm
(続く)