世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

司馬遼太郎の偏見と独断、そして悪意(22)

2024-05-17 00:00:00 | Weblog

(18)  奉天会戦の「中央突破作戦」は奥羽戊辰戦争の白河城攻略戦の成功例を 

   踏襲したものであったが、司馬はこのことを知らなかったようだ。   

   ロシア破れたり」のP228。 

 

   この白河城攻略戦は、奥羽戊辰戦争での戦であり、劣勢の薩長軍が右翼 

   隊と左翼隊が夫々攻撃を仕掛けて、奥羽軍が中央から兵を左右に派遣し 

   たため、手薄になった中央を薩長の正面隊が突入して勝利した戦いであ 

   る。 

 

   奉天でこれをやろうということである。「坂の上の雲」(五)のP168 

   には次の様に書かれている。 

 

   「ただその中央突破作戦である。むろん、いきなり中央突破はしない。 

   まず、右を突く。敵は驚いてその方へ兵力を集中させるであろう。次い 

   で、ひだりをつく。敵はさらにおどろき、中央に控置してある兵力をそ 

   のほうに割くに違いない。その敵の混乱に乗じ、手薄になったいるはず 

   の中央を突破してゆく。というものであった。柔術の手に似ている。柔 

   術なら力学的合理性のみに則っているためになお単純であるが、この作 

   戦は曲芸もしくは奇術に近い。右を突き、左を突く。となれば、敵が右 

   へゆき、左へゆく。と言うことを期待したうえでこの作戦案は成立して 

   いるが、しかしながらそのように敵が注文どおりに踊ってくれるかどう 

   かである。 

 

   「この作戦は曲芸もしくは奇術に近い」と直接的に司馬遼太郎は述べて 

   いるが、この「白河城攻略戦」を知っていれば、もう少しは違った表現 

   の仕方があったはずである。 

 

   きっと司馬遼太郎はこの「白河城攻略戦」を知らなかったのであろう。 

   ・・・とロシア破れたりのP227~P228 には書かれているが、問題は 

   奉天会戦の結末である。 

(続く)

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