(18) 奉天会戦の「中央突破作戦」は奥羽戊辰戦争の白河城攻略戦の成功例を
踏襲したものであったが、司馬はこのことを知らなかったようだ。
「ロシア破れたり」のP228。
この白河城攻略戦は、奥羽戊辰戦争での戦であり、劣勢の薩長軍が右翼
隊と左翼隊が夫々攻撃を仕掛けて、奥羽軍が中央から兵を左右に派遣し
たため、手薄になった中央を薩長の正面隊が突入して勝利した戦いであ
る。
奉天でこれをやろうということである。「坂の上の雲」(五)のP168
には次の様に書かれている。
「ただその中央突破作戦である。むろん、いきなり中央突破はしない。
まず、右を突く。敵は驚いてその方へ兵力を集中させるであろう。次い
で、ひだりをつく。敵はさらにおどろき、中央に控置してある兵力をそ
のほうに割くに違いない。その敵の混乱に乗じ、手薄になったいるはず
の中央を突破してゆく。というものであった。柔術の手に似ている。柔
術なら力学的合理性のみに則っているためになお単純であるが、この作
戦は曲芸もしくは奇術に近い。右を突き、左を突く。となれば、敵が右
へゆき、左へゆく。と言うことを期待したうえでこの作戦案は成立して
いるが、しかしながらそのように敵が注文どおりに踊ってくれるかどう
かである。」
「この作戦は曲芸もしくは奇術に近い」と直接的に司馬遼太郎は述べて
いるが、この「白河城攻略戦」を知っていれば、もう少しは違った表現
の仕方があったはずである。
きっと司馬遼太郎はこの「白河城攻略戦」を知らなかったのであろう。
・・・と「ロシア破れたり」のP227~P228 には書かれているが、問題は
奉天会戦の結末である。
(続く)