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8つの旗とアメリア・アイランドの歴史

2013-08-04 21:20:35 | フロリダ


さて、前回に続いて、もう少しだけ「アメリア・アイランド」についての話をしましょうね。
「400 Years Under 8 Flags」(8つの旗の下での400年)ですって。
どれどれ、読んでみましょうか。

「アメリア・アイランドはフロリダの黄金の島である。フランス人が最初の訪問をし、スペイン人が開発し、イギリス人が名前をつけ、アメリカ人が統治した。8つの異なる旗の歴史を持つ、アメリカでただひとつの土地である。」

8つの旗って?

その1 フランスの旗の下で (1562-1565)
この島への最初のヨーロッパ人の訪問は、フランスのJean Ribaultだった。1562年3月のことである。彼はこの島を「Isle de Mai」(5月の島)と名付けた。

その2 スペインの旗の下で (1565-1763)
Pedro Menendez率いるスペイン軍がフランスに勝利し、スペインによる長い統治が始まった。スペインは原住民の教育と布教に力を注ぎ、この島の名前を「Santa Maria」(聖母マリア)と名付けた。

その3 イギリスの旗の下で (1763-1783)
スペインを滅ぼしたイギリス人が、この島を彼らの国王ジョージ2世の娘の名にちなんで「Amelia」(アメリア)と名付けた。同時に、大きな藍のプランテーションが島に作られる。

(この間、1783年から1821年までは再びスペイン時代)

その4 愛国者の旗の下で (1812年3月17日)
アメリカの密かな後押しのもと、「アメリア・アイランドの愛国者たち」という組織がスペイン側を転覆させ、1812年3月17日、彼らの旗を揚げるものの、翌日にはアメリカの国旗に代わり、4年後、1816年には、再びスペインが島の一部(Fort San Carlos)を統治するようになる。


その5 フロリダの旗の下で (1817年6月)
フロリダをスペインの統治から解放するために、Sir George MacGregorが1817年6月、この地を奪取し、緑十字の旗を揚げる。MacGregorが退出した後、スペインが再び統治権を得ようと試みるものの失敗に終わる。


その6 メキシコ反乱軍の旗の下で (1817年12月)
海賊の力を借りて統治権を手に入れたJared Irwin とRugglesHubbard が、いっときメキシコ反乱軍の旗を揚げるが、すぐにアメリカ軍に占領される。アメリカはここをスペインの信託統治とする。

その7 アメリカ合衆国の旗の下で (1821年~現在)
1821年、スペインはフロリダをアメリカ合衆国に割譲する。

その8 アメリカ連合国(南軍)の旗の下で (1861年~1862年)
南北戦争のさなか、南軍旗が掲げられる。


という具合に1、2、3,4、、、と8つの旗です。

その後の様子をかいつまんでお話しすれば、オールドタウンと呼ばれる歴史地区は19世紀終わりには繁栄をきわめ、ニューヨークからの旅行客たちが汽船に乗って次々とやってきては、町の2軒の瀟洒なホテルに滞在したとのこと。

20世紀に入ると大々的な海老産業が起こり、大恐慌の時代まで発展を続けます。

そして現在は、「Omni Amelia Island PlantationとRitz-Carltonによって国民的なリゾート地となりました。」とのことですが、、、、

メイが居るのも「Omni Amelia Island Plantation」という広い敷地の中です。
良くも悪くもこれがどんなものかについては、またいずれ書いてみたいと思います。


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