新・眠らない医者の人生探求劇場・・・夢果たすまで

血液専門医・総合内科専門医の17年目医師が、日常生活や医療制度、趣味などに関して記載します。現在、コメント承認制です。

がんになった医師の記事を見て思うこと

2013-04-01 22:51:58 | Weblog

こんばんは

 

いよいよ新年度が始まりましたね。うちの大学病院はようやく息を吹き返したというところでしょうか?

実際はそうでもないのでしょうけど。

 

今日は主に血液学会の詳録の投稿の準備や、倫理委員会への書類の提出準備などを行っておりました。一応、2本オーラルで申し込みましたが、採択してもらえるか・・・?

 

さて、本日は一番気になったのがこの記事なので、紹介します。

 

「誰にも言っていませんが、余命は1年もないでしょう」と自らの余命を語るのは、神戸市「新須磨リハビリテーション病院」院長の神代尚芳医師(67)。これまで約200人のがん患者を看取ってきたという神代医師。そんな彼が今、末期の肺がんに侵されているという。

がんが見つかったのは、昨年5月のこと。手術は、親友の医師により7月に行われた。だが現在、神代医師は抗癌剤や放射線治療などの治療を行なっていないという。「『大細胞型』のがんは抗がん剤が効きにくく、放射線治療も効果がないんです。だから、もう対応のしようがない。飲んでいるのも胃腸薬ぐらいです。もちろん、自分がこれまで患者に言ってきたことと違うことをするわけにはいかないという思いもあります」

これまで彼は患者への治療を必要最小限にとどめてきた。それは延命ではなく“自分らしい人生”を送ることに重点を置いた治療だった。神代医師によると、今の医療はやるべき治療を行なっていない一方で、やり過ぎだと思うことも多いという。「もちろん何でも放置すればいいというわけではないですよ。でも手遅れなのに手術を重ね、辛い治療を続けることで“最期の時間”を犠牲にしている人も多いんです

そんな彼が20年間に渡り提唱してきたのが『完成期医療福祉』という考え方だ。「『死ぬことはこの世から消えてしまうこと』だと考えると耐えられないほど恐ろしい。でも『死は人生を完成させるもの』と思えば、怖くなくなる。つまり充実した最期をもって人生を完成させるということです。そのためには、管理された病院で死ぬのではなく、自宅などの自由でいられる場所で最期をすごす必要があるんです

患者のために人生を捧げてきた神代医師の考える“人生の完成”。それは、独居老人が自宅に戻って充実した最期を迎えるにはどうすればいいのかどんなサポートが必要なのかという答えを見つけることだった。「幸か不幸か、私はがんになりました。だから自らが実験台となり、それらを見極めたいと思うようになりました」

しかし、今年2月に脳への転移が発覚。“独居闘病生活”の試みは、断念せざるをえなくなったという。理想と現実の間で揺れ動く神代医師は、しみじみとこう語る。「今回、私は2度の手術をしましたが、これでよかったのかなと思うこともあります。でもそれは最期にならないと誰にもわかりません。医者といっても神や仏じゃなく、人間ですから。何がよかったかなんて最期までわからない。そんなもんです

そんな神代医師を支えているのは、家族の存在だ。妻の実津子さん(58)がこう振り返る。「今回の独居をいちばん反対したのは、27歳になるひとり娘でした。『なんで最期なのにパパと一緒にいられないの!最期はパパと一緒にいたい』と強く反対したんです。主人は子煩悩でしたからね。その言葉も心に響いたようです」

夫を元気づけようと、実津子さんは日本舞踏の仕事を辞め、夫の介護に専念することを決意。神代医師はいま、妻の作ってくれる手料理を何よりの楽しみにしているという。実津子が続ける。「普段は毎日料理をつくるのなんて疲れると思うはずですけど、今は不思議と楽しいんです。体調がいいときは一緒にお酒も飲んだりするんですよ。もちろん、ほんの少しですけど(笑)。こんな生活は、病院だとできないでしょうね」

神代医師は『いざとなっても救急車を呼ぶな』と実津子さんに言い聞かせているという。実津子さんは、笑顔でこう語る。「実は24時間ずっと主人が家にいる生活なんて、結婚して30年で初めてのことなんです。がんになったのは残念ですが、その反面、いま初めて主人がいつも家にいる。娘にすれば『パパがいる』生活なんです。きっと神様が最期に幸せな時間を与えてくださったんじゃないでしょうか。そう思うようにしています」

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治療しないと語る理由は、根拠に基づいた治療法がないからです。ちなみに僕も摘出できる範囲ならともかく、効く抗癌剤がないのに抗癌剤をやるのは意味がないですし、放射線治療はあくまで局所療法ですのでそれができるなら手術もできるでしょう。

 

あとはこの記事で書かれているように、病院ではなく自宅で家族に看取られて死ぬような形が僕もよいと思っています。僕は本当の急変でいきなり心停止したような患者以外、緩和ケアの態勢に入った患者さんを今のところは「家族が死に目に会えない」ようなことはしていませんが、運が悪いと死に目にあえないこともあります。

 緩和ケアの調整をして、家に帰った患者さんがその夜に急変してお亡くなりになられたこともあります。まぁ、あれは○○科に入院中に、なぜか「やり慣れていないという」向こうの主治医の要望で僕が調整していたのですが。

 

 

僕は治療を行うことで延命につながるのであれば、家族や本人の希望があれば行うべきだと思っています。当たり前ですが。

逆に延命の見込みもないのに治療をする医師がいるとは思いたくはないですけど、これはわかりません。

 

ちなみにたまたま本日、ある患者さんのカルテを開きました。その患者さんは数年前に来た「急性白血病」の患者さんです。80歳でした。

この患者さんは確かに白血球は多く、若干の貧血はありましたが増殖速度は遅く、好中球数も数千の範囲で保たれていました。僕はこの患者さんに関しては治療をしないという選択を勧めました。

80歳以上の急性骨髄性白血病に対する標準治療というものは確立されていませんし、欧米での研究では8週間で半数ほどの患者が死亡するというものがBloodに掲載されていました。まぁ、それでもやるべきだという結論でしたが。

普通の急性白血病であれば何もしなければ1か月くらいですので、治療に入るのも方法かもしれませんが、この人は出血傾向もなく(血小板が10万前後)で好中球も保たれている。おそらくMDS/MPN(骨髄異形成症候群/骨髄増殖性腫瘍)の白血化なのだと思いますが、治療に入れば2か月以内で亡くなる可能性が高く、何もしなければ数か月は生きられる可能性が高い

 

それを示したうえで、患者さんとご家族に選択してもらったという状況です。

 

僕らも「良い方法」があれば、もちろん踏み込みますが「やらないほうがベター」ということもあるにはあります。

 

そして「家で死ぬことができるサポート体制」を作ることが、今は本当に難しい。共働きの家庭が増えたこともあり、家での介護が困難で、介護をすると決めると裕福な家以外は生活が傾くという。

実際に「介護をしたら、家が成り立たないから」という理由で、家に帰れる状況であっても転院を希望されるご家族(親を引き受けるわけにはいかないというつらい選択)もいらっしゃいます。

 

この状況をどう変えるか・・・。互いに支えあうためには福祉などを働く環境として、かなり充実させることも大事だと思います。今までも書いてきましたが、医療や福祉、教育というのは国の根幹であり、経済発展のために多くの方が働ける(後ろを気にせずに)ようにするためには必要なことです。

 

最後に「家に24時間ずっといるのは結婚して30年で初めて」と言われないように、家庭と医療現場を両立できるようなそういう制度を望みます。

 

いつも読んでいただいてありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。

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それでは、また。

 

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