五味康祐「柳生連也斎」新潮社 (小説文庫 1955/10).
古書.新潮文庫と異なり新書版.装幀 杉本健吉だが,あまり内容と関係がない.
この本の刊行時は中学生だったが,なんとなく連也斎も一刀斎も覚えていた.おやじが読んでいたのかな.
剣豪小説ブームを作った著者・五味康祐 1921-1980 は直木賞のイメージだが,芥川賞作家.手相や観相学に通じていて,52 歳のときに自分の寿命は 58 歳までと判じたが,本当に58歳で死去した.補聴器を使用する難聴だったのにオーディオの本も何冊か書いている.この人の伝記は面白そう.
理屈っぽい文章は,中学生には歯が立たなかったが,今 読んだら面白かった.表題作は連也斎と,宮本武蔵の弟子・鈴木綱四郎との決闘.綱四郎の「見切り」に勝つために連也斎は「影」を斬らねばならない.太陽が照り続ければ (影ができるから) 連也斎の勝ち,雲が太陽を遮れば綱四郎の勝ちという場面で,小説は一方が斬られるがそれはどちらかわからない形で終わる.
でも,巻末に「連也斎縁起」という あとがきみたいにな文章で,著者は「無論 連也斎の勝ちである.さう解釈できるように,充分書き込んだつもりである」と言っている.
巌流島の決闘の時の佐々木小次郎は 72 歳のおじいさんだったという説は,この「真説 佐々木小次郎」が広めたのかもしれない.ちなみに武蔵は 29 歳だったとしている.
「一刀斎は背番号 6」は奈良の山中から武者修行の旅に出た若者・じつは伊藤一刀斎の末裔が巨人軍に入団.連続本塁打37本.最後は日米野球で大リーグの投手を相手に,目かくしでの打球はスタンドへ一直線! 川上・別所・藤村など当時の名選手が3枚目を演じる.文章も現代小説的.
初めからか古くなったせいか,黄色い紙に小さい活字で,目に毒だったかも.