Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

古川諒子「記憶のない....」

2021-01-31 11:07:12 | お絵かき
古川諒子個展 Gセレクション「記憶のないカウボーイは庭にいる」本日1/31最終 -17:00 まで
ギャラリーG 広島市中区上八丁堀4-1公開空地内.

製作者のことば *****
《記憶のないカウボーイは庭にいる》とは、制作者が「どこで」「だれが」「どのように」と書いた紙をランダムにひき、そこに出た「庭」「カウボーイ」「記憶がない」を繋ぎ合わせた語句です。すべてのペインティングは、《記憶のないカウボーイは庭にいる》という一語のみを手がかりとして制作しています。
記憶のないカウボーイは、本来いるはずであった牧場を離れ、どこの国か分からない整備された庭にいます。彼自身なぜそこにいるのか分かりません。絵画も同じように、絵の具は布の上にいて、何故そこにいるのか分かっていません。
前後の文脈を無視したものは、制作者、鑑賞者ともに任意のストーリーに仕立て上げます。ほんらい何の意味を持たないはずの文章が作品によって意味を持ち、虚像が一人歩きをはじめます。前後を無視した虚構は、絵画によって強固にすることができるのでしょうか。*****

J 子が感激し! アートブックを購入.そこには展示にはなかった You can have me anytime, Don't find me... などのタイトルがあった.
アートブックは紙芝居のようでもあり,これらのタイトルが「ほんらい何の意味を持たないはずの文章」なのかな.よく分からないが,何かを感じることができればそれで十分なんだろう.
制作者は「顔のない人物や場所が特定できない風景を,ぼかしやにじみそして時に輪郭線を強調しながら,匿名の物語を描く」というのがアートギャラリーミヤウチの紹介である.

アートブックには一昨年からの他のふたつの個展「しらない土地のしらない人々」,「顔のないゆうれい」も収められていて,制作者の変化がみえる.
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16年前の「かえるのうた」

2021-01-30 09:46:20 | ジャズ
パソコンを新調したので昔のファイルを弄っていたら,2005年6月の録音が出てきた.モリアオガエルが池に卵を産む時期に合わせて「かえるまつり」を行う,広島県安芸太田町・吉水園の門前でのライブから,ドイツ民謡「かえるのうた」.tb, vib, kb, b,ds のカルテットで当時の学生さん達との共演.ちなみにこちらは教員を定年したばかりだった.カエルの面をつけて演奏した.

音源を Microsoft One Drive にアップした.
https://1drv.ms/u/s!AtMVNOwTJHY4iU8DisMVqkic4uG5

なぜか tb 氏とは疎遠になってしまった.当時のサークル代表で,ジャズにハマる学生はすごく学業優秀派と留年スレスレ/実行派にに分されるが,彼は優秀派だった.
残る3氏とは,今でも往来があり,セッションすることもある.ドラム氏とベース嬢は今では一女一男のパパとママである.

かえるのうたはピアノ氏の編曲によるもので,これは「オレオ版」; トロンボーンのソロにあの名曲が引用される.他に「ブルース版」もあって,そちらでは輪奏した記憶があるが,音源は失われた.
自分の演奏は...とにかく今より足腰はしっかりしていた.アドリブの常套フレーズはこのころから変わっていない.
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漢詩の現代語?訳「訳注聯珠詩格」

2021-01-29 09:39:38 | 読書
柏木 如亭,揖斐 高 校註,岩波文庫(2008).

仮名は難しいので漢字だけを墨書しようと思い立った.おもしろそうなのをネットでネタを探して買ったのがこの本.漢詩の現代語訳...と言いたいが,著者が生きたのは江戸時代後期(1763-1819).現代とは江戸時代に戻ってのことである.けっこう下世話な題材が多く,これはそのひとつ.



このように見開き2ページの右ページは,原文の下に従来の訓読,次に現代語訳という構成.4行詩 (専門的には四句と言わなければならないらしい) が訳すと5行・6行となることもある.左ページは校註に当てられている.
タイトルの「青奴」は,注には夏の納涼のために用いる青竹製の抱き寝具とある.訳文には「ちくふじん」とルビが振ってあるように,ダッチワイフの役割もあるのだろう.泡坂妻夫にずばり「竹夫人」という短編があった.

著者はヨシワラに入り浸っていたそうで,訳文には通人言葉が頻出する.ここでも「我」は「おれ」,「正愛」は「いつちかわいい」である.こういう異音同義的なルビのふりかた戦前の本によくあったが,江戸時代からの伝統だったらしい.

漢詩を眺めるのは高校以来.軍国時代の生き残りのような先生で,僕たち生徒はこの爺さん (いま考えると案外若かった?) をバカにして,大人になったつもりでいた.
当時,漢文なんかやめて中国語を学習したほうがマシと思ったが,この本の解説によれば,荻生徂徠がその立場だった.漢詩文を享受するには訓読を介在させず,まず中国音で直読し,日常卑近な言葉に翻訳することを提唱しているのだ.
また漢詩の俗語訳は本居宣長による「古今集遠鏡」という古今和歌集の俗語訳にも共通性があるとのこと.
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新・音楽とキャリア 〜音楽を通した生き方・働き方

2021-01-28 09:47:20 | 読書
久保田 慶一 ,スタイルノート (2019/9).

H 大のような普通の大学のジャズ研のようなサークルからも,プロになった/なりたい という学生もちらほらいる.彼らの人生を考えるヒントがあるかなと,図書館で借りてみた.しかし序章第1節の冒頭「本書で『音楽』と言う場合は,クラシックの音楽を想定している.比較的幼い頃から音楽の学習を始め,高等学校や音楽大学に進学して,音楽活動を『職業』にしようと思っている人を,(読者として) 念頭に置いている」を読んで放り出したくなった.読了した後では,このように読者を限定する必要はないと思った.

著者が言うように「ハウツウ本」ではない.「おわりに」によれば,本書の内容には著者が代表となった科研費助成事業の研究成果が反映されているそうだ.
300ページの本に、目次が10ページ.この目次は出版社のHPにまるごと引用されている.ここだけながめれば読んだ気になれそう.
大学の講義調だが,現代に音楽関係者に必要とされる心構えを説いているようでもある.海外の学説が縦横に引用され,レジリエンス,ポートフォリオ・ワーク,ヒューリスティック,アウトリーチ,ウェル・ビーイング,プロティアン・キャリア.エンプロイアビリティといったカタカナが頻発する.横書きにして対応する英単語を併記していただきたいところ.


挿画・大野文彰が一貫していい感じ.以下は数少ない ! おもしろいと思ったページから.
第5章第3節「インタラクティブ演奏会を企画してみよう」では著者が実施した60歳以上を対象とするオペラ「カルメン」鑑賞会が紹介されている.まず著者が主要な4人の登場人物,カルメン,ホセ,エスカミリオ,ミカエラのキャラクターとともにオペラの前半部分を説明する.それから参加者がそれぞれこの4人のいずれかになったつもりで,自分ならどうするかをグループに分かれて話合う.最後にオペラの後半部分をDVDで鑑賞するのだが,参加者の終了後の興奮は並大抵のものではなかったという.
こうした具体例は他にはほとんどなかったのが残念.

要するに門外漢には縁のない,音楽教育本であった.音大の学生に読み切れるかどうか疑問であるが,卒論のネタ探しには良いかも.
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ひとり2作品 ! 広島二紀展

2021-01-27 09:11:07 | お絵かき
ぼくの理解では,二紀展は公募展で,毎年秋無審査のセンセーたちの作品と入選作品を国立新美術館に展示する.その後,地方を巡回し,たとえば広島では県立美術館に,センセー作品群とこの地方の作家の入選作+アルファを展示する.昨年はコロナ禍で公募はなかった.しかし絵描きさんたちが描かなかったわけではない.この度の広島二紀展はこの地方のセンセーたちと入選経験者たちの作品が展示された (...繰り返しますが,これがぼくの理解).

例年とちがい入場無料.複数の出入り口はすべて開け放し.上の写真のように人影はまばら...と言うより,無し.SFチックな空間で,マスクを外して鑑賞できる.
年1回の応募の際はひとり2点ずつ搬入し,そのうち1点が選ばれるという慣例 ? らしい (ぼくの理解です).だから応募する側は2点は制作するのだが,この展覧会では壁面はじゅうぶんだったので,その2点がそのまま展示されるケースが多かったようだ.2点をそのまま並べて鑑賞できるのは,またとないチャンス.以下にいくつかご紹介したい.

同じテーマがふたつ並ぶと印象は2倍ではなく3倍4倍 !











色合いの違う2点.



これは J 子の2点.ノーコメント.

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木内みどり「あかるい死にかた」

2021-01-26 09:32:09 | 読書
集英社インターナショナル (2020/11).

Amazon 引用の「BOOK」データベース*****
東日本大震災以降、女優・木内みどり 1950-2019 はそれまでとはがらりと生きかたを変え、政治・社会活動に積極的に参加し、脱原発や反戦運動などに弄走した。常に死を意識して、生きているうちにやれるだけのことを、と世界と日常を見つめ、日々発見をし、学習し、発信する。出張先で亡くなる直前まで元気に自らの思いを表現していた。最期も自分らしくありたいからと、亡くなる1年前には散骨の場所を見つけている。そんな彼女のあかるい死生観を、遺されたエッセイや、絵、お別れのために開催された「木内みどりさんを語りあう会」の様子から紡ぎだす。*****

扉の次に手書き遺書のコピー.ぼくは墨書に好き嫌いがあり,これは好き (ちなみに有名書家の手でも嫌いなものは嫌い).

第1章 大きな力に生かされている喜び / 第2章 命あるかぎり、できることを精一杯... 
章のタイトルは女優の本・アイドルの本と同じみたい,苦手な予感がしたが,結局最後まで読んでしまった.第2章からは原発反対の檄文が増える.最後は「私にも絵が描けた」.365日絵を描き続け自費出版した内容から.表紙イラストもここから選ばれた.1日目・1月2日は4本足の鳥だがどんどんうまくなる.下に一日ぶんをコピーした.

著者自身が書いた「あかるい死にかた」に関する文章は少ない.「第3章 あかるい別れかた」は生前親交のあった坂本龍一,岩井俊二,桃井かおりの文章.「はじめに」はパートナー,「おわりに」はお嬢さん.

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呉市立美術館 水船六州展

2021-01-25 09:14:45 | お絵かき
六州は本名で「むつくに」だが,作家としては「ろくしゅう」と読むのだそうだ.1912-1980.この展覧会で初めて名前を知った.
彫刻家と版画家のふたつの顔を持つ.ウエブページによれば「彫刻家としては,異端と表されるほどの前衛的探究を推し進め,その末に到達した孤高の彩色木彫で注目を集めた」.トップ右側の等身大の「指人形 1968」は,何だかすごい.下図・右の「椅子の唄 1963」は前衛作品? 木を彫った後,焦がしてある.

下左上のエッチング「コーヒーミル 1954」はとてもかわいい.しかし版画で最終的に到達したのは,まず彫刻刀をいれていない四角い板木に墨をつけて真っ黒な画面を刷り,その上に複数の色版を刷っていくという技法.トップ左の「夜の客 制作年不詳」のようなカラフルな作品もあるが,「古くさびれたことども」「こわれて見捨てられたものたち」「不完全でよるべのないものたち」への共感を表に出した作品も多い.下の左下は「王様凧」.他には抽象的な作品が多いなか,ここでは凧という漢字がモチーフ.



壁面の8割ほどはガラス部屋で囲まれており,さして大きくもない版画たちを距離をおいて鑑賞せざるを得ないのはいかがなものだろう.
また,図録もない.これは「所蔵品展」であって,美術館にとっては「特別展」よりも扱いが軽いのかもしれない.しかしそれでは永久にこの作家に日が当たらないことにもなりかねない.紙の図録ではなく,CDやネット配信なら費用もかからず簡単と思うが,人手がないのだろうか.
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ご近所さん

2021-01-24 09:43:23 | お絵かき
履物収集癖があるらしい.
ファミリーで住んでいるらしい.
まるまると美味そうだが,猪は食べても狸は食べないようだ.不味いのか...脂ばかりなのか...

CDケースに内側からアクリル絵の具.
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かなの書

2021-01-23 08:42:40 | エトセト等
墨でかな文字を並べてみたくなって思い出したのが,山村暮鳥「銀色モザイク」.ネットには複数のプロの書家がアップしているが,活字を並べたのに及ばない...というのがシロトの勝手な感想.そのうち山村の自筆原稿にたどり着いた.これを眺めていれば十分で,あえて書くには及ばない...と言う気持ちになる.
それはそれとして,作者はこの詩が活版印刷されたときのことも計算していたのだろうとも思う.



下は書初めの書き直し...書き直したら書初めにはならないか...
「草野心平詩集」ハルキ文庫 角川春樹事務所(2010/3) 所収.「牡丹園」の「上小川村」の「根本」というタイトルの最初の2行.最後の2行にもこれがリフレインされる.それぞれの「うぐいす」の後に句点「。」があったが書かなかった.
この2行でなぜか違う詩人による「いちめんのなのはな」を思い出した.
右下が寂しかったので梅の花,ではなく猫のあしあとを押してみた.「左」と「右」は書き順がちがうんだぜ !



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中島らも「今夜すべてのバーで」

2021-01-22 08:56:17 | 読書
講談社文庫 新装版(2020/12),旧・文庫は 1994/03,単行本は講談社 1991/3.

Amazon 引用の「BOOK」データベース*****
完全無欠のアル中患者として緊急入院するハメになった主人公の小島容。全身ボロボロの禁断症状の彼方にほの見える“健全な生活”。親友の妹さやかの往復パンチ的叱咤激励の闘病生活に次々に起こる珍妙な人間たちの珍事件…。面白くて、止まらない、そしてちょっとほろ苦い、話題沸騰、文壇騒然の長編小説。*****

解説・町田康が分析しているように4つの筋が織り合わさっている.
1) 主人公 (おれ) の入院記およびそれまでの経緯.
2) 車に引かれて死んだ悪友のはなし.
3) その悪友の妹のはなし.
4) 入院先の病院の患者たちと医師 ( + アル中に関する蘊蓄...町田の原文にはなく16トンが追加した).

読んでいる途中は,Wikipedia に見る著者の生きざま死にざまから,シュールな結末を予期したが,以外にもハッピーエンド.入院してから退院するまでで終わり.その後また入退院を繰り返したのかもしれないが,その気配はここにはない.主人公が健康を取り戻してフケが出たと言って喜び,病院を抜け出して酩酊して帰院したら,同室の少年が死んでいたというあたり,あまりに小説的でちょっと恥ずかしい.

読み応えがあるのは,なぜ酒がやめられないかという屁理屈群だった.
そのひとつに,アル中の要因はあり余る「時間」だ,というのがあった.コンピュータの導入,平均寿命の伸びなどが膨大な「空白の時間」を生む.「教養」のない人間には酒を飲むことくらいしかのこされていない.「教養」とは学歴のことではなく,「一人で時間をつぶせる技術」のことである....

ここまで引用して (コピーして) 痛感したのは,著者が「」を乱用することだ.

「Stay Home → 空白の時間 → 家飲み → アル中」への戒めとしての新装版だろうか.タイトルは意味不明.
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