Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

日日是好日

2019-06-30 10:32:05 | 新音律
樹木希林映画を観た.観客の9割はおばさん・おばあさん.
「ひびこれこうじつ」と読むと思っていたら「にちにちこれ...」と読むものらしい.

樹木希林は茶道の先生で,そこに20歳で弟子入りする黒木華の成長物語.先生役は吉永小百合でも誰でも,それなりに行けそう.樹木が死んで終わるのかと思ったら,死ぬのは黒木の父.鶴見辰吾だった.
茶道がどんなものか初めてわかった気がする.これで見る限り男子禁制らしい.こうガチガチに決まった通りやらないといけないのでは,ふつうの男子にはできない.でも千利休の昔からこうだったとは思えない.

黒木華は就職して失敗し,結婚しようとして失敗し,...けれどまあ平穏な二十余年.ストーリーとしては,戦災とか震災とかが起こって,それでも「日々是好日」と澄ましている方が面白いと思うが,それでは朝ドラになってしまうのかな.
表千家茶道の CM 映画の趣.

つい,いろいろ憎まれ口を並べてしまったが,見終わって悪い感じはしなかった.次々に登場する お茶菓子が美味しそうだった.

監督あるいは脚本家の思い入れと思うが,黒木さんが 1954 年 (日本公開は 1957 年) のイタリア映画「道」に再三言及していた,ザ・スリー・サンズが演奏するテーマ音楽がヒットしたが,下のはサントラ版.



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科学の発明と生産性の向上

2019-06-29 08:45:26 | 科学
ちょっと古い話だが,6/6(木)朝日朝刊に,米の経済学者ロバート・ゴードンへのインタビューが出ていた.
オピニオン&フォーラム「低成長時代を生きる」シリーズで,見出しは「画期的発明による生産性の劇的向上 もう起こりえない」.

彼の「アメリカ経済 成長の終焉」は昨年邦訳された.日本語で超1000ページという大著を読み通す気力体力はない.しかし彼のいうことは直感的に正しいと思う.アメリカ経済は衰退するが,それは日本経済衰退の後追いであるという.中国の衰退も時間の問題だ.

デジタル革命のイノベーションは認めるが.電気の発明の衝撃には及ばないという.電気文明が世界中に行き渡ってしまえば,それで成長の時代はおわるということだ.

これは科学の終焉と関係していると思う.

前世紀のゼロックスの普及で科学の論文が手に入り.計算機の普及で計算速度も桁違いに上がった.しかし科学の世界では相対論と量子論以来,イノベーションはないと思う.情報速度の向上が科学にもたらしたものは,本質的には,ない.

昨今のデジタル革命と経済との関係も似たようなものだろう.
物理現象の応用は電気を使うことで終わった.原発は核エネルギーを解放したわけではなく,発電方法のオプションに過ぎない.しかも原発事故は物理現象を工学的に利用することの難しさを人類に思い知らせた.

しかし,それでも,物理学者も電気工学者も経済学者もメシが食えているのだから,よしとするべき.万事この調子で時代は流れていくのだろう.
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タジン鍋の朝食

2019-06-28 09:07:04 | エトセト等
タジン鍋は北アフリカ・マグリブ由来の無水鍋で.蓋はとんがり帽子みたい.
この朝食は寒い季節に始まったが,暑くなっても続いている.

野菜をある程度の時間蒸してから,卵でとじる.

この日は,キャベツ,もやし,玉ねぎ,トマトを適当に切った.イワシ水煮缶が余っていたので魚肉も汁も投入 (ふつうはベーコンを入れることが多い).おまけにレモンの (これも余っていた) 果肉も投入して.蓋をして弱火で15分.
その後で,オクラを混ぜた卵液をまわして,しばらく加熱して出来上がり.
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昭和日本の音楽教育体験

2019-06-27 08:52:38 | 新音律
「平成日本の音楽の教科書」で,自分が受けた音楽教育を思い出した.
多度津町立資料館「2007年企画展戦争資料展」のページにあったのがトップの教科書.昭和22年度および23年度の2年間のみに用いられた最後の国定教科書で,通称「よいこ読本」と呼ばれる.緑と黒の2色刷りだが,赤が退色した結果かもしれない.ひらがなから教えたのもこの教科書から.印刷部数は生徒数に足りず,2年生からのお下がりを使った.
昭和24年度からは現行の検定教科書となった.その前は「墨塗り教科書」を使った.
この歌詞には右のメロディが付いていた. (出典 http://bunbun.boo.jp/okera/w_shouka/s_sengo/se1_minna_iiko.htm) いまでもソラで歌える.

この歌を別とすれば,小学校の音楽の授業については脈略のない断片的な記憶があるだけである.音楽は低学年では担任がごまかした...というより,ほとんどやらなかった.そもそも教室不足の2部授業だった (例えば同じ教室を午前中は1年生・午後は2年生が使った) .中学年以上では校舎が整備され,音楽は音楽室で,女の先生に教わるようになった.そこにベートーベンたちの肖像画があったかどうか,記憶にない.学校で教わる歌は良い歌で,ラジオから流れるのは悪い歌とされた.しかし後年親から聞いたところでは,自分が最初に覚えたのは「赤い花なら曼珠沙華...」だったらしい.調べたら昭和13年の歌だが,戦後も盛んにラジオから流れていたのだろう.

中学では歌う他に楽典を学習した.都立高校入試の筆記試験は英・数・国・社・理・音楽・図工・職業家庭・体育の9科目,100点ずつの900点満点であった.ただし英語・数学と同じように音楽を「勉強した」という認識はない.学芸会を除き,音楽の時間に器楽を演奏したことはなかった.楽器が生徒に行き渡らなかったのだろう.
楽典は全く無味乾燥な暗記ものであった.この恨みが数十年後「音律と音階の科学」という本になった.
おんなの先生は家庭科と音楽だけで,家庭科はおばさんだったが,音楽は若くて,国語の先生と噂があった,授業中突然先生が泣き出して,ぼくたちはあっけにとられたことがある...というようなことは思い出すくせに,お顔は覚えていない.

高校では音楽を専攻しなかった.
大学に行ってから,ギターをいじったりしたが,中学時代の知識が役に立った.

現在もその傾向はあるが,戦後のクラシックのシーンは大衆音楽と遊離していて,音大を卒業した女性の大部分はピアノの先生になったらしい.大衆商業音楽を支えたのは,主として音楽には素人の不良少年とその成れの果ての皆さんだったと思う.
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平成日本の音楽の教科書

2019-06-26 08:03:54 | 読書
大谷能生,新曜社よりみちパンセ (2019/5).
「東京大学のアルバート・アイラー」の (共)著者の本なので手に取ったら面白そうなので購読.

第1-3章がそれぞれ小学校・中学校・高校の教科書をタイトルとしている.平成期の音楽教科書の内容の紹介だが,第2章では著者の意見の占める比重が大きくなり,第3章では音楽好きな生徒へのアドバイスも増えてくる.



帯に上のように書いてあるが,自分は③? ⑤? それとも⑥?

以下,ランダムに印象的だったことを書き連ねてみる.本来の著者の記述とニュアンスが違うかもしれない.興味がある方は原本をお買い求めください.

- 小学校低学年では音楽とは歌うこと・弾くことだが,中高学年では「純音楽」を「鑑賞」することも強要する.大人になれば音楽は (鑑賞とはいかないまでも,とにかく) 聴くものになってしまうひとが多いから,そういうものかもしれない.
そういえば,図画=美術も同じで,大人になって絵筆を持つことはあまりない.国語で俳句を作ったりするのも人生のうちの小中学校時代で終わりだな...

- 小中学の教科書では「日本の伝統音楽」の比重が大きくなりつつある.道徳教育の復活・愛国心の強調などの教育方針と関係があるのかもしれない.日本が,明治期に学校教育では日本の伝統音楽を捨て,西洋音楽を選んで富国強兵に邁進したことをおもえば,どこかちぐはぐ.

-「演歌」は江戸時代からの大衆音楽と明治以降の西洋音楽とのフュージョンだ.しかし (J POP はとりあげられるが) 演歌は学校音楽では全く無視されている.

- エリクトリック・ギターのわざと歪ませた音も論外.

- 西洋音楽が音響物理に基づいている (と解釈できる) ことも教科書では無視されている.でもそれを先生が教えるのは大変だろう.
私見だが,理科の先生と協力したら? また,音楽とダンスとの関連も,体育の先生と協力して教えたら?

- 教科書が教材とする歌は,歌手を持たない歌である.一方われわれがふだん耳にするのは,歌手と曲が一体化した「商品」としての歌である.小中学校の音楽教育は「商品価値」と絶縁している.学校音楽は校外の資本主義から隔離された音楽であり,これを敏感に感じ取れば,反抗期の児童は学校音楽に背を向けるだろう.

- 本書で繰り返し強調されているのは,中学校までに習う音楽の技術で,十分に現在の「商業音楽」は演奏できるということ.
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金眼銀眼ちゃん

2019-06-25 09:36:26 | お絵かき
CD ケースに内側から描いた絵の一部を拡大したもの.金眼銀眼ちゃんは前にも描いたことがあって,その時は眼の部分に内側から金紙銀紙をあてた.
この度は片目ずつ違う玉虫色絵の具 (偏光アクリル ターナー 391-D, 393-D) を使ってみたが思ったようにはいかなかった.この絵の具はある程度の面積を塗らないと効果を発揮しないようだ.同じ絵の具で瞳孔を描いて,上からそれぞれの玉虫色を塗り重ねたら,片目だけ下の絵の具が溶け出し,左右の瞳孔の色が違うことになってしまった.



写真の出典はhttps://en.wikipedia.org/wiki/Odd-eyed_cat
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サイエンスミステリー 亜澄錬太郎の事件簿

2019-06-24 08:14:24 | 読書
わが街の青少年図書館らしい蔵書.化学の研究室に在籍したことがあるので,興味を持った.

読んだのはシリーズ5冊目の「新潟編・撤退の代償」.齋藤勝裕 著,C&R 研究所 (2019/6).
「名古屋工業大学名誉教授...大学に入学以来50年.化学一筋できた超真面目人間....」で始まる,巻末の長い著者紹介は,著者ご自身の執筆と思われる.
帯には「3通り楽しめる業界初の化学読本」とあるが,「業界」ってどこの業界だろうと疑問に思った.

3通りの楽しみ方の最初はミステリ小説.この巻は「新潟編」ということで,それぞれ佐渡・高田・新潟・長岡を舞台とする4短編.大学の化学の研究室の助教の亜澄と,大学院生の安息香 (あすか) がコンビで探偵役をつとめ,水銀刑事に知恵を貸す.亜澄はアズレン,安息香は安息香酸という,それぞれ化合物名から取ったという.アズレンはともかく,安い息の香りという名前を化学美女につけるのはきのどくではないか.
不可思議犯罪的トリックやアリバイがあるわけでもない.また事実を記述しているだけで,心理描写があるわけでもなく,あまり面白くない.殺人はどんどん起こる,というより,気軽に殺し・殺されすぎると思う.
63ページでは助教が女子の院生を「お前」呼ばわりするのは,パワハラに敏感な現在ではありえない.ときどき亜澄が刑事に調査を「依頼」するのも変だ.

2通り目はトリックの解明だが,もともとトリックというほどのものはないので,わざわざ亜澄が刑事にアドバイスしなくても,警察だけで解決できそうなことが多い.新潟編では安息香が偽装自殺にまつわる古い因縁を警察に教えるというくだりがあるけれど...
高田編ではエバポレータから毒物が検出される.素人としては,溶液からエタノールを取り除くには装置など使わず,放置して蒸発乾固させればいいと思う.また化学者なら使用後の装置はていねいに洗浄して毒物の痕跡を残さないとも思うけれど... それとも,エバポレータを図示して紹介することも,このシリーズの目的のひとつなのかな.

というわけで,実は最後の「使われた化学知識を解説」部分がいちばんおもしろかった.ヒ素の毒性,ニコチン・コニイン・カフェインなどのアルカロイドの解説など,悪用でそう...というのは悪い冗談です.周期律云々は,シリーズの前の方から読まないとわからないのだろう.
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Django のベースライン / 本多俊夫「体験的モダンジャズ入門」

2019-06-23 11:57:59 | ジャズ
若い人たちと Django を演奏してみよう,というときに話題になったのが,(下に埋め込んだ) MJQ の古典的な演奏におけるパーシー・ヒースのベースライン.それが 40 年近い昔に買った
 本多俊夫「体験的モダンジャズ入門」スイングジャーナル社 (1981/8)
に採譜され掲載されていた.
この曲はアドリブ・パートはコードネームだけが与えられていて,その部分が図1である (下から2段目はリフレインする).本多さん曰く「(この図に即してよく考えれば) モダン・ジャズのハーモニーとリズム,さらにはアドリブ・ソロのやり方までわかってくる.すくなくとも,モダン・ジャズ解明の糸口になるはずである.」
ちなみに図2は本多さん作成のモダンジャズを知らない人によるベースラインの例.

図1を打ち込んで,それに合わせて演奏してみようか.

この本は月刊誌スイングジャーナルの連載をまとめたもの.著者はベーシストとして現場で活躍されたのち,DJ・ジャズ評論家に転身された.それゆえにベースに関わる記述は豊富で具体的.
ただし全体に書き方は系統的でなく,頭から尻尾まで続けて読む分には面白いのだが,後でどこに何があったかを探すのがたいへん.図1を探すのにも時間がかかった.脱線の多い名講義という感じ.

最近になってジャズの古書が話題になることが多い.我が書棚に 1980 年代から残っているのは,この本を含め数冊しかない.

コメント (4)
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日本語が英語と出会うとき

2019-06-22 08:24:17 | 読書
今野 真二,研究社(2019/5).副題「日本語と英和・和英辞書の百五十年」

著者の専攻は日本語学で,これは英和・和英辞書という切り口で見た日本語の本.面白く,素人にもよくわかる記述だが,素人にとっては枝葉末節に入りすぎている感もある.
著者は辞書を「読む」ことを勧めている.

高校時代わいわい友達と,同じ単語を英和と和英で比べてみたり,いくつかの辞書の解釈を比べたりしたことがあったが,この本はあれを系統的に行ったものだ.あとがき (おわりに) には tradition という単語に対する日本語が,1962 年の英和対訳袖珍辞書から 1919 年の模範新英和大辞典までの 30 ほどの辞書についてずらりと並んでいる.

内容は,
第1章 最初の官版英和辞書 / 第2章 西欧で出版された辞書 / 第3章 日本の辞書とのハイブリッド / 第4章 ヘボン『和英語林集成』 / 第5章 英華辞書から英和辞書をつくる / 第6章 英和辞書の発展 / 第7章 和英辞書の日本語 / 第8章 『言海』を編んだ大槻文彦の『英和大字典』 / 第9章 大正期の英和・和英辞書と日本語



辞書で日本語と英語が同居するとき,文字の向きをどうするか.英語は左から右への横書きだが,日本語は縦・横/左から・右から の4通りの組み合わせがありうる.この本からいくつかの画像をスマホで撮影するとこんな感じ.よく見えない? ...本を手に取ってくださいと言いたいが,残念ながら図版の多くは不鮮明.画像処理が発達した現代の本としてはお粗末.索引も文献リストもない.ついでに言わせていただけば,サブタイトルに150年とうたいながら,大正時代で終わっていて,百年もカバーしきれていない.

研究者の本をまともに手に取ったのは学生時代以来かもしれない.この研究社,三省堂など出版社を軸にした章があっても良かったのでは.

いかにもという感じの図書館の本.☆☆☆★
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年金の財源

2019-06-21 09:47:34 | エトセト等
6/20のブログを「この手の問題の専門家ではないので,以下の記述には間違いがあるかもしれません」という文章で始めたら,果たして間違いがあったので,以下のように書き直しました.

上側の図が年金の財源を示しているそうだ.すなわち老人の年金支払いを若い世代が担っているというのだ.まるで老人は加害者である.

従来のぼくのイメージは下の図.同世代の保険者が保険料として資金を拠出・プールし,その運用利益を後年分け合うという制度である.個人が定期預金や投資信託で老後に備えるのと変わりはない.年金を支えているのは過去の自分たち,すなわち自分たちが過去に払ったお金を回収しているだけであって,人口が増えようと減ろうと年金の実質額に関係はない.この過去の自分(および,世代の人たち)の収めた保険料を原資とする制度を積立方式という.

現実には現在日本の制度は上の図,すなわち賦課方式で,基本的には現役世代の収めた保険料が今の年金生活者への支払いに充てられる.

発足当初は積立方式だったが,いつの間にか賦課方式に変わったらしい.
賦課方式であれば,原則としては「保険料収入=保険給付額」となるはずだ.しかし1970年以前では収入は支出の5倍を越えていた.賦課方式なら保険料を1/5以下にするべきだが,それは念頭になかったようだ.当時は保険料を積み立てていたのだ.
ちなみに1950年以降,保険料率は (凍結されたことはあるが) 下がったことは一度もない.

積立方式の弱点はインフレに弱いと言われる.タンス貯金じゃあるまいし,それくらい運営で対処できるはずである.
しかし,その資産運用がまずいと 積立方式は破綻する可能性がある.わが国では賦課方式の名目のもと.1970年代以降実質的に積み立ててあった多額の資産を社会保険庁?がほしいままに流用した結果,損失を現役世代の保険料で埋めるという自転車操業に陥った.賦課方式を取らざるを得なくなったのである....

少子化には賦課方式では対応できない (いっぽう平均寿命はが伸びることは,そのぶん保険料を支払う期間も伸びるから影響は少ない).しかし今から積立方式に移行することはなかなかできそうもない...

いろいろ意見はあると思うが,これが独断と偏見のまとめです.
Facebook にいただいた K 先生のご指摘と,サイト「年金のまなびば 年金財政の賦課方式と積立方式.それぞれのメリット・デメリット」を参考にしましたが,文責は sixten tones にあります.
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