「思いつきの岐阜ドライブ旅行 #1-5」のつづきです。
金華山ロープウェーで麓(ふもと)に下りた私は、ロープウェイ山麓駅の裏手(南側)にある織田信長居館跡を見物しました。
金華山上にあるお城は、生活の場としては不便きわまりないわけで、公式HPから引用すると、
岐阜城の歴代城主の館は、金華山の西麓にある槻谷(けやきだに)にあります。発掘調査の成果から、この地形は斎藤氏三代の頃に造られ、織田信長公が大規模に改修をし、関ヶ原の合戦前哨戦まで使われていたことがわかってきました。
現在、岐阜公園内で見られる地形は、織田信長によって造られたもので、槻谷(けやきだに)を流れる谷川の両側に段々地形を造り、建物や庭園を配しています。
だそうな。
まずは、「館の入口」エリア。
段々になっていて、平山城の縄張りのミニチュアみたいですな。
金華山から槻谷を下る谷川沿いに「造成」されたところですから、小さな扇状地みたいな感じです。
上に載せた写真で、斜面がシートで覆われた区画が見えますが、これが「C地区」と呼ばれる、宮殿のあった場所で、そこまではなだらかな石段を登って行きます。
その途中、「庭園跡」という場所がありまして、
説明板によれば、
居館には庭園がいくつも造られました。巨石列と石垣で区画されたこの池もその一つで、発掘調査では景石(けいせき)の他、池底を飾った色鮮やかな石、多くの金箔瓦が確認されています。瓦の出土状況から、庭園の上部に金箔瓦を葺いた建物があったとみられます。
だそうです。
そして、「居館の中枢部」と考えられるという「C地区」。
現在は、「ただ平らな場所」以外の何ものでもありませんな…
復元図(下図)で⑤と示されている地点なのですが、当時を偲ぶよすがはございませんでした。
ここから更に谷を登ったところは「B地区」で、2~4階建ての建物や茶室、庭園があったらしいのですが、ここから先には入れませんでした。
ところで、岐阜公園のランドマークになっているのが、三重塔です。
ここにお寺がある(あった)わけではなく、
この三重塔は、大正天皇の即位を祝う、御大典記念事業として企画され、市民から寄付を募り、大正6年に岐阜市が建立したものです。
塔の考案は、日本建築史学の創始者と言われ、明治神宮や築地本願寺などを設計し、建築界で初めて文化勲章を受章した伊東忠太氏です。
場所の選定は、岐阜市にゆかりのある日本画家の川合玉堂氏が行ったといわれています。
だそうでな。
ここでも出てきましたなぁ、伊東忠太先生
それはさておき(素っ気ない…)、「C地区」から三重塔に向かって、谷川に架かる朱塗りの橋を渡ると、
「A地区」です。
「#1-4 [番外編]」で書いた「ブラタモリ #92 岐阜」によれば、「A地区」は元庭園で、褶曲したチャートの露頭を滝が流れ落ちるという眺めをメインに据えたものだったそうな
復元図によると、織田信長居館は、空中回廊のような超立体的な建物群だったらしいけど、復元図だけではイメージするのが難しくて、模型があったらいいいのに…と思いました (VR映像はあるらしい)
ということで織田信長居館跡の見物はおしまいにして、エリア外に出ました。
そこからの先のお話は「#1-7」で書きます。
つづき:2020/03/25 思いつきの岐阜ドライブ旅行 #1-7