新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

年末関西旅行記(その9)西ノ京の巻<下>

2010-01-04 06:46:09 | 旅行記

年末関西旅行記(その8)西ノ京の巻<中>」のつづき。


とりあえず、2日目の「ミッション」(薬師寺唐招提寺に行くこと)を終えた私、さぁてぇ~とこの後の行動を考えました。
この時、思い出したのが、薬師寺の門前で見かけたこの案内図。

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唐招提寺の門前にも同じものがありましたので、この案内図をしげしげと見ているうちに、思いついたのが、

唐招提寺垂仁天皇陵西大寺平城宮跡史料館大和西大寺駅鉄奈良駅

のルートでした。

これまで前方後円墳を間近に見たことがありませんでしたし、西大寺JRのポスターを見て興味を惹かれたことがありましたし、史料館は一般的に大好きな施設です。

   

100104_1_2 ということで、携帯のGoogleマップ(右の写真は「イメージ」です)を頼りに、まずは垂仁天皇陵を目指しました。

その道すがら、こんな石標を発見

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大界外相」ですと? 初めて聞く(見る)四字熟語です。
ドタバタと調べてみますと、「たいかいげそう」あるいは「たいかいげしょう」と読むらしく、俗世間と聖域(結界)との境目を示すものなのだとか。
ということは、唐招提寺の結界は、西側の近鉄橿原線の線路を越えて広がっているということ? 電車の乗客は、いつの間にやら唐招提寺の結界を通過しているということ?

う~む…です。

この旅行記の片がついたら、もう少し調べることにして、先に進みます。

   

さほどの距離を歩くこともなく到着しました。垂仁天皇陵(垂仁天皇菅原伏見東凌:すがわらのふしみのひがしのみささぎ)です。

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みだりに入るな」とか「魚・鳥などを捕るな」とか「竹・木などを切るな」とか、大したことのない注意書きが立派な屋根付きってのが、いかにも宮内庁

そんなことよりも、垂仁天皇なる方がいつ頃の、どのような天皇だったのかを説明していただきたいのですけれど宮内庁のHPを見ても、①11代目の天皇で、②第10代天皇の崇神天皇の皇子だったことくらいしか判りません。

ちなみにWikipediaの記述はこちら。おぉ、紀元前~紀元後99年間も天皇位に就いていた天皇で、崩御されたのは139歳の時ですと…

それでも、自宅にある「日本の歴史(1) 神話から歴史へ」によれば、第10代の崇神天皇や第12代の景行天皇らと共に、実在した可能性のある天皇だそうです。

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で、地上から見ても前方後円墳であることが判ります 凄いです

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写真の右側に見える小島は、田道間守なる人物の墓と伝えられているそうです。

それにしても、濠の水が少なくて、干潟状態です。ちょっと寂しいですな。

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先に紹介した「歴史の道」案内図では、ここから更に北上して西大寺に至ることになっていますが、私はちょっと歩き疲れてしまいまして、近くの尼ヶ辻駅から1駅だけ電車に乗って大和西大寺駅まで行くことにしました。

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いかにも「各停しか停まらないぞ」といった風情です。
事実、各停がやって来るまでに、2本ほど電車が通過していきました


あ、これにて「西ノ京の巻」、一巻の終わりです。


つづき:10/01/05 年末関西旅行記(その10)西大寺の巻

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