新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

帰省の途中で平安時代にタイムトリップ #2

2024-05-21 16:26:17 | 旅行記

「帰省の途中で平安時代にタイムトリップ #1」のつづきです。

えさし藤原の郷は、20haの広大な敷地に厳密な時代考証のもと再現された日本初の平安時代の歴史テーマパークだというだけあって、エリアが広い

もちろん、20haの敷地内をくまなく歩き回れるわけではないけれど、自然たっぷりの中に「平安時代」が点在しています。

政庁南門を出ると、そこは「大路」

なんてことのない通りのようにも思えますが、政庁南門にあった説明板によると、

「麒麟がくる」のロケスポットだそうで、

道の真中に門を建てて京の都として使われました。戦のあとの荒廃した都や、本能寺の正門、華やかな京の市中と、美術スタッフがその都度装飾を変更しています。
足利義輝と光秀の出会いの場面や、旅芸人の一座が練り歩く場面などを撮影しました。

だとか。

別邸には近年の大河ドラマ総集編BDにダビングしてコレクションしていますので(「どうする…」は敢えて録画していない)「麒麟がくる」の総集編を超早送りで見直したら、

おぉ、確かにえさし藤原の郷の「大路」

なお、大路に面した左側の門、実際はトイレの入口です

   

さて、次は案内看板にあった「藤のトンネル」を拝見しようと、大路を真っ直ぐに進みました。

丁字路を左に曲がってすぐに右に曲がると、蓮やアヤメ、ツツジが咲くがあり、その先には城柵が見えました。

説明板によると、宮城県築館(学生時代に世論調査のアルバイトで行った思い出の町)にあったという伊治城の門。
伊治城は、こちらによると、

『続日本紀』によれば神護景雲元年(767)に設置され、律令政府による古代陸奥国経営の重要拠点の一つ

だとか。
この時代(8世紀)新潟を含む北日本にあった律令政府の拠点は「○○柵」がほとんどで、「城」と呼ばれたのは、多賀城秋田城くらいものですから、この伊治城は、陸奥国府(多賀城)の北方支所のような位置づけだったのではなかろうか

私が見た順番は前後しますが、この他にも、朝廷と対立した安倍氏の拠点の一つで北上川をはさんで伊治城と対峙した河崎柵(一関市)とか、

安倍氏の拠点にして前九年の役(1051~1062年)安倍氏滅亡の場所となった厨川柵(盛岡市)とかも再現されていました。

さてさて、「藤のトンネル」です。

「藤原の郷」というくらいですから、やはりがないとね…

とてもきれいだし、藤の香りがかぐわしくて、大変良かったのではありますが、を愛でる観光客に負けじとたくさんの大きなたちが狂喜乱舞していて、ちょっとビクビクでした

   

厨川柵を入り、さらに奥に進んでいくと、初めて聞く「アラハバキ」(秋葉原のアナグラムではない)というものがありました。

説明板には、

アラハバキの神は、古代の神で、朝廷にとって「まつろわぬ民」であった蝦夷の神様という伝承があります。
このアラハバキは、平成5年(1993)大河ドラマ『炎立つ』で、朝廷軍と奥六郡の豪族・安倍氏の戦いの火ぶたが切られた「鬼切部の戦い」に際し、安倍貞任が自分の行く末と戦いの勝敗を占ったシーンに使われたものです。

とありますが、見た感じ、大湯環状列石(ストーンサークル)みたいだ… と思いました。
あとになって「園内散策マップ」を読んでみると、

東北でさかんに行われていた古代神信仰の霊場を、秋田県鹿角市の大湯ストーンサークルを参考に再現したものです。

ですって
やはり… です。

   

次に見たのは、奥州藤原氏のシンボルともいえるこちら。

言わずと知れた中尊寺金色堂です。

説明板には、

平泉黄金文化の象徴である金色堂を、建立当時を想定して覆堂のないかたちで再現しています。奥州の覇者となった藤原清衡公は平泉で新都建設に着手しました。その中心となったのが中尊寺で、諸堂の造営にかかった歳月は約21年に及びました。
現存する金色堂は三間四方の建物で、全体に漆が塗られその上に金箔が張られています。清衡公は戦乱で罪なくして死んだ魂を弔い、奥羽の安寧と国家の安泰を祈念するとともに、辺境と言われた地に都と同じ仏教文化を築くという願いを込めて金色堂を建立しました。

と、ありました。
今年1月、私は東京国立博物館「中尊寺金色堂」展を観て、こちらで書いたように、あらためて金色堂にお祀りされている仏像その他の素晴らしさと、奥州藤原氏の凄さ感服しまくったことを思い出していました。

なお、3か月にわたって東京出張されていた諸仏は、こちらによると、先月24日までに無事に金色堂に戻られたそうです。

この金色堂は、実際にそうであるように高台にあって、そこからの眺めは格別でした。

これほど本格的な建物群ですから、そりゃ、ドラマ・映画の製作陣は放っておけないよな…
まるでオープンセットみたいですが、もとをただせば、大河ドラマ「炎立つ」の撮影用につくられたオープンセットを引き継いだのがこのえさし藤原の郷だそうです。
えさし藤原の郷の運営主体NHKとの費用分担はどのようにしたんだろ と下世話なことを考えたりして…

金色堂から急な石段を下りた私は、眼下に見えた「平安時代の寝殿造の様式を再現した日本唯一の建造物」だという「伽羅御所」に向かいました。
その見聞録は「#3」で。

【追記】記憶違いが判明しましたので、最後のパラグラフをちょいと修正しました (2025/05/29 09:32) 

つづき:2024/05.29 帰省の途中で平安時代にタイムトリップ #3 

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