OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ありがとうへの共感

2017-02-16 20:28:33 | Singer Song Writer
ありがとう / 小坂忠 (マッシュルーム / 日本コロムビア)

移動中に爆眠して、目を覚ましてからはひたすらに頭を下げる……。

そして決まり文句が「ありがとうございます」じゃ~、あまりにも芸が無い……。
 
そんな生活が2日も続けば、サイケおやじならずとも、些か自分の命を擦り減らしていると感じるはずですが、いかがなものでしょう。

もちろん、それも稼業の宿命と割り切る事だって吝かではありませんが、なんとか今は見えている仄かな光が、果たして強く輝き、導いてくれるのか……?

その確証が欲しくてたまらないのが本音であります。

ということで、そんな心にジワジワ滲みてくるのが、昭和47(1972)年に小坂忠が出した本日掲載のシングル盤A面曲「ありがとう」です。

今日知られている小坂忠のキャリアの中で、殊更特筆されるのは昭和44(1969)年に細野晴臣や松本隆と共に活動していたエイプリル・フールのボーカリストだったという芸歴でしょう。

そして皆様ご存じのとおり、エイプリル・フールは柳田ヒロのキーボードをメインに構築されたサイケデリックロックが特徴的なバンドだったという個性は、残された唯一のLPに聴く事が出来ますが、グループ内は細野晴臣(b) や松本隆(ds)、そして小坂忠がフォークロックや日本語のロックに傾倒し始めて以降は分裂気味となり、どちからと云えばブリティッシュロック寄りの柳田ヒロ(key) や菊池英二(g) と袂を分かち、それが後のはっぴいえんどに発展したという事になっています。

つまり、小坂忠は、はっぴいえんどの初代ボーカリストに内定していたという歴史的解釈も可能ではありますが、小坂忠本人はロックミュージカル「ヘアー」の日本版に出演するためにそれを辞退(?)した等々の紆余曲折……。

それでも細野晴臣との絆は切れていなかったのでしょう。

昭和46(1971)年なって、村井邦彦やミッキー・カーチスが設立に関わった新興レーベルのマッシュルームと契約し、作られた小坂忠の最初のリーダーアルバム「ありがとう」の実質的なプロデュースをやったのが、レコーディングにも参加していた細野晴臣でありました。

で、このシングル曲「ありがとう」は作詞&作編曲が細野晴臣ということで、件のアルバムタイトルにもなったほどの名作ではありますが、なんとっ!?

それゆえなのでしょうか、アルバムに収録された「ありがとう」では小坂忠よりも細野晴臣の声が大きくミックスされるという本末転倒の秀逸バージョン!

それは小坂忠(vo,g)、鈴木茂(g)、大野克夫(stg)、細野晴臣(vo,b)、松本隆(ds) によって作り出された、ジェームス・テイラー調が強く出た世界であり、日本語歌詞で演じられながら、そのサウンドからはロックっぽさが滲み出ている事は否定出来ない仕上がりでした。

ですから、今となっては、まさに「日本語のロック」が堂々と通用する端緒の作品という評価もあるほどで、しかも歴史的には、はっぴいえんどの大傑作アルバム「風街ろまん」よりも約1ヶ月ほど早く世に出たという事実も無視できないところでしょう。

しかし、リアルタイムでは決して商業的に成功したとは言い難く、それでも当時の深夜放送のラジオでは話題となり、当該アルバムからの数曲が流されていた事もあったように記憶していますし、だからこそ、翌年春になって、いよいよミックスを改変して、つまり細野晴臣の声を極めて小さくしたシングルバージョンが発売されたのもムベなるかな、この不思議な和みのフィーリング、そして本音と風刺の利いた歌詞の味わいは同時期の歌謡フォークとは一線を画すものであり、これは明らかにニッポンのロック!?

という結論は今に至るも賛否両論、当然ながら不肖サイケおやじには、それを断定出来るだけの論拠も意思の強さもありませんが、ここでの歌詞には殊更現在、強く共感を覚えております。

そして諸事情から、それはここに記載出来かねますので、気になる皆様には、ぜひとも実際に聴いていただきとう思うのみです。

あぁ……、明日はすっきり素直に過ごしたいなぁ~~~。
コメント
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