シャンソン歌手

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シャンソン歌手リリ・レイLILI LEI フラメンコを習っていた頃

2017年12月11日 03時46分27秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEI フラメンコを習っていた頃

ベルギーで 四年半過ごして
コンセルバトワールの オペラ科を
一年で
プルミエルプリで卒業して
そして 大学院みたいなクラスに入り
二年で シュープリエールプリで 卒業して
まだ
更に 声楽ソロのクラスに 入り直して
学生ビザのまま 勉強しつづけたかったけれど

すでに34才なので
一度日本に帰国して
日本と ベルギーを 行ったり来たりしながら
舞台に出演し続けていましたけれど

オペラ カルメンを 日本語で 地方で歌う 文化庁の仕事
が よく入り
演技の為の 踊り部分のスキルアップの為に 
フラメンコを 有名な
山田恵子先生に 個人レッスンと グループレッスンで
週三回 習いに行っていました。

あまり 稽古に夢中になり過ぎて
それに 私は 器用なので
直ぐに舞台出演を誘われたりして
がんばったら

膝の半月板が切れ裂けて
壮絶な痛みで 動けなくなりました。

無理やり 入院させられて
左膝に穴を開けて 水を流して 映像を
見せてくれたのですが
手術を しなければ 一生 ゴルフもスキーも 
正坐も出来ない・・・と言われたのに

手術の後のリハビリが数か月かかるといわれたことと
すでに検査だけの入院で 麻酔をかけたのに
痛すぎて 耐えられなくて
夜中に
看護婦さんに頼んで お医者さんに
伝言して モルヒネを
二度も追加してもらい

こりごり。
膝と言う場所は とんでもなく 痛い場所みたいです。

手術をせずに 暫く ビっ子を引きずり歩いていましたけれど
バレエストレッチを 習ったら ビっ子左足は
直ってしまいました。

直っていないかもしれませんが
膝の後ろに 筋肉が出来たので
足が 曲がらなくなり 膝に負担が掛からず
まるで 何もなかったみたいな
丈夫な足腰に 今はなりました。

なので 三十代の時 怪我したお蔭で
歩き方 体軸に対して
とても 神経質に生きています。
膝は 治ってはいないので 正坐だけは
長時間しないようにしています。

明日は 区の一年に一度の身体検査です。
インフルエンザの予防接種も ついでに 致します。

昨日の 黒豆の タンパク質大量摂取と お一人しゃぶしゃぶで
牛肉250グラム タンパク質をぺろりんしたので
ニキビが でました。

本日は 玄米餅と五穀米の雑炊と サラダだけにして
おきました。
そして 午前中が検査なので
もう寝なくては・・・・です。

シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY フラメンコ 鑑賞の日曜日

2017年12月11日 03時19分50秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY フラメンコ 鑑賞の日曜日


えにし縁というものは
どうして 繋がるか 切れるか
継続するのか・・・計り知れません。

お商売や 仕事関係の縁というのは
少し ギブ&テイク的な 感じがあったりして
人間的な魅力で 接することも難しい
経済性重視の場合もあり

私の場合は18年間の お店時代の
関係者達とは もう すっかり
過去の世界となり

縁は 敢えて つなげていきたいとは
あまり思わないのですが
昔の お店時代のお客様とかから
連絡があるときも ありますが
私の お付き合いに対するポリシーは


2011年三月 震災直後に 大変化致しました。

もう 商売は やーめたー
私に向いていない。

子供の頃に戻って
芸術 音楽
教える事
そして 
趣味に ひっそり 静かに生きたーい。


音楽の 楽しさ 美しさ を
教えることに専念しよう。

自分の技術進化と 学びと
音楽の神様への 感謝に 生きよー。

私は 震災後でも 生きていた。
なので これから 私は 本当の私として
生きたい。
自分の心のままに 
ギブ&テイクでなく
心の底から 好きな人とだけ 付き合いたい
とも 思いました。

教育者になるつもりはないけれど
勿論
教職の免状もあり
お勤めして 教員になりたければ
なれた若かりし頃
教員と言う お勤め人になって
自由が無くなるのは 嫌でした。

私は 運命として 父の事業を継続して
経営者 店のママさん 店の歌手
舞台歌手 歌の先生・・・と
五足の草鞋をはいて 元気溌剌に生きた
経済人として 社会人としての
18年間も 後悔無く 愛しいでいます。

達成感があります。

後悔どころか とても 良い経験をした
運命に 大感謝しています。
珍しい 想定外の 経験。
あの時代 珍しい想定外の 恋愛もしました。

全て 哲学する暇もなく 嵐の様に
2011年までが 過ぎ去り

自宅で 静かに 野に咲く花の様に
地味に 芸術に浸り 暮らしたかったです。
20才までの 無欲で のほほん
音楽馬鹿の私に戻りたかったです。
戻りつつあります。

藝大と藝大大学院 オペラ 二期会研究所
ベルギーのコンセルバトワールで
習い 学んだ西洋音楽と 西洋芸術を
伝承したり
自分が 全人生をかけて 自ら経験した
舞台の技術や 舞台のマナー

音楽家の心意気 歌手の心構え
などなど
教えることが
晩年の 私に相応しいと 今の生活にも
感謝しています。

趣味の方に教えるにしては 少し高度過ぎるかもーー
とも 思いましたけれど
月日が経てば 誰でも すこしづつ 向上するので
継続が力・・・の音楽稽古です。

そんな 生活の中でも 新たな縁も 生まれてきます。

裁縫の先生が シャンソン好きで
私のコンサートをプレゼントすると
よくいらしてくださるのですが
先日
銀座ブロッサムホールは 開始時間が午後五時で
先生は お仕事で 不可能なので
先生の 裁縫のお弟子さんに
先生が連絡して
一人 いらしてくださる方を見つけてくださったので
プレゼントいたしました。

そのお弟子さんの 娘さんは 20才から20年
スペインに在住して フラメンコダンサーを
しているそうで
娘の帰国フラメンコを
見に来てほしいとの連絡があったので

二子新地と言う 場所での会なので 
マイカーなら30分で行けるかしら・・と
日曜日夕方4時開始 フラメンコのショーを
ピーちゃんを お誘いして 出かけてみました。

出掛けるのも遅かったし 渋滞もしていて
路にも迷い 二部開始時 五時に 間に合いました。

二子新地の集会所みたいな場所で
店でもなく 舞台装置も無く
その 福原絵里さんと言う ダンサーのチラシも
今一つ 情熱をそそられないチラシなので

駄目元・・・期待も無く
半分 ピーちゃんにもプレゼントしても
時間を 無駄にさせては 申し訳ない
良くない ショーだったらどうしよー

ビクビクしていました。

会場に入ると なんとになと 鈴木美奈子さんが
一人で 一部から 鑑賞に見えていました。
銀座ブロッサムホールで ダンサーのお母様が
私の招待チケットで お隣席だったら
娘の
スペイン舞踊チケットを営業した様子。

美奈子さんは 活動家で 良い人だし お一人様なので
松戸から 永遠と 二子玉川まで
いらしたようすです。ブラボー 
美奈ちゃんの行動力に まずは 大拍手。

スペイン舞踊は タブラオと言う 飲んで食べながら
楽しむスタイルなのですが
お店でないので
ボランティアの支える方が 料理やワインを
皆さんに提供していて
街の集会みたいな 雰囲気でした。

でも 驚いたことに
フラメンコは 素晴らしかったです。
私は 感激して メガネの下から 涙が垂れてきたのです。
素晴しかった。
終わったら ピーちゃんも 泣いていたので
感動したのだと思います。

歌は 太ったスペイン人男性 慟哭の唸り声を
雄叫び 腹声 かすれ声 張り上げ声 鳴き声
リズムは 日本人の スペインギター奏者
線が細い 演奏でしたけれど
一人 若いスペイン女性のフラメンコダンサーは
ジーンズで 踊り 圧巻。

情熱的慟哭と エネルギーが 圧倒的に
私の魂に食い込み 涙が落ちました。
こういう 感動の涙 が ほろほろ流れる
私の 感性と 心の透明な部分は
私の一番好きな 私の長所です。

感激もしない 感動もしない 心も震えない
涙も こぼれない人間には まだ なっていない。
私は 生まれつき
事情的な 脳回路
見たもの聞いたものが 脳に届いて
考える前に 身体が 自然に反応する・・・

なみだは 悲しくない時でも でるのが
好きです。
美しかったり パワフルだったり
人間の内面や 汗水 努力で表現された魂に
触れた時に
出てくるものです。

感性が 生きていて まだまだ 大丈夫だわぁー
私は まだ 心が生きているーーと
感じて 
偶然に 出かけた フラメンコの地味な舞台で
大感動できました。

新たなえにし縁は どこで 降ってくるか
分からないものです。感謝です。