おきらくごきらく

社会人大学院(早稲田大学大学院商学研究科プロフェショナルコース)へ通う、のんきなサラリーウーマン実録

マーケ理論はアメリカ発ばかり、の謎

2005年07月02日 | お勉強

今日はゼミや授業がなく、早稲田大学の産業経営研究所が行っている「産研アカデミック・フォーラム」とやらに行ってきました。

早稲田だけでなく、他大学の先生がそれぞれ30分くらいの発表を行い、最後にパネルディスカッションをする形式で、今回のテーマは消費者行動とマーケティングでした。

私が一番印象に残ったのは、明治学院大学の清水聰教授が述べた内容。

「日本のマーケティングは、アメリカでの消費者行動のトレンドを日本に紹介したり、日本の市場にあてはめて研究することが多い。」
「いつまでも、アメリカがどうした、アメリカの学者がこう言った、という研究内容で良いのか?」
「日本独自のマーケ発想や理論があるべきなんじゃないの?」

そう、そうなんですよね。
清水先生がおっしゃっている事って、私が4月から学生を始めて、最初に思った疑問と同じでした。

マーケティングは、その学問自体がアメリカで発展したものであるために、米国の学者が創った理論が非常に多く取り上げられています。

私達が読みなさいと言われる本も、米国のマーケの本を日本語に訳したものばかり。日本人の先生が書いた本であっても、中身は米国のマーケ理論の紹介ばかりです。

米国に6年住んでいた私にとって、日本とアメリカは人種も消費者行動も大きく違うはずなのに、どうして、なんでもかんでもアメリカの理論をあてはめているのか不思議でたまりませんでした。

清水先生曰く「日本でのマーケティング研究が遅れているわけでもないし、分析環境も劣っているわけではない」。
だからこそ、日本人を対象にしないと出来ない研究や、日本のデータ環境を利用しなければ出来ない研究をすべきであると。
そして日本人の学者も、どんどん英語の論文を発表して、アメリカのジャーナルに載せてもらえるくらいにならないと・・・。

でも、それにはいくつかハードルがあるようです。

まず、語学の問題。論文を英語にするには時間がかかること。その上、論文を雑誌に載せるにあたり審査がはいるような場合は、審査員から届く質問に答える必要があり、場合によっては、それに沿って書き直す必要があること。(つまり、非常に面倒ってこと)

そして、いくら日本発のマーケ論文を書いても、そのようなジャーナルに載るための審査で興味を持ってくれないということ。(つまり、実績にならない、ってこと)

そう。研究をしても、それを評価してくれる土俵がないと、実績にもならず研究者もやる気が萎える、ってことなんです。そんな時間をかけて評価されにくいような研究をするより、母国語の日本語で論文を3つくらい書いたほうが、よっぽど自分の評価につながる、と。

なるほど。そういう事だったんですね。悲しか~。

でも、そんな、ちょっとお恥ずかしい現状までもさらけ出して、この問題提起をされた清水先生はエラいと思いました。フツーはこんな後ろ向きな言い訳、暴露したくないですよね。

日本発のマーケティング研究、期待しています。