あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

政治の詐欺師と私の責任

2013年11月22日 18時08分17秒 | Weblog
 特定秘密保護法案に、みんなの党と日本維新の会が賛成することになった。修正協議の結果だと言うが、ほとんど変わった点はない。せいぜい永久に公開されない可能性があった特定秘密が60年で公開になるという点くらいか。
 今から60年前と言えば朝鮮戦争が休戦した年であり、奄美が日本に返還され、永谷園が創業し、エリザベス女王が即位、REM睡眠が発見され、水俣病が発生した年である。これを前時代と見るか、今でも生々しい時代と見るか。それでも情報が公開されないよりは決定的に良いことだが、問題はそれ以前に政府が都合の悪い情報を破棄してしまう可能性が排除できないことだ。
 一番わけがわからないのは、みんなの党の主張だ。第三者機関として首相が一元管理させるように修正するという。特定秘密は政府の秘密であり、その最高責任者である首相は当事者以外の何者でもない。第三者というのは利害関係を持たない外部の人間のことを指すのであり、法律でもそうなっている。この奇怪な言い換えをして得意げな顔をするみんなの党とは、いったい何なのか。こういう政治家の自己宣伝のパフォーマンス、茶番に国民がうんざりしていることがわからないのだろうか。

 いったいなんで、こんな国になってしまったのか。
 政治的な反対派は、今までもそして今でも「国や与党に騙されるな」と主張している。しかし我々は騙されてここまで来てしまったのだろうか? それじゃあ騙されすぎである。
 憲法が守られていないとか、公約が守られていないとか、そんなことは、それこそ60年前から国民はみんな知っていたではないか。それなのに選挙になると政治家は幻想的で無意味な夢の図面を広げてみせ、有権者はそうした政治家を選んできた。
 投資詐欺とかオレオレ詐欺に引っかかるお年寄りは何度も同じような手口に引っかかると言うが、日本国民みんながみんな、そんなに騙され続けるようでは、それこそとてもナンバー・ワンの国になどなれるはずがない。

 有権者は騙されてなどいないのである。
 政治家が嘘を言っていて、いろんなことを誤魔化しているのをちゃんと知っているのである。それでもそういう政治家を選ぶ。これは騙されているのではない。共犯者なのだ。
 それこそ、政府や与党がひどいことをしても、これは私の責任ではない、騙した政治家が悪いのだ、と言い逃れをしているに過ぎない。もちろん、こんな責任回避をしているようでは民主主義など成立のしようもない。
 しかし政治家は(自分のために)選挙に勝とうとして、今日も虚言と嘘を言い続ける。60年後のことなど考えてはいない。その時に嘘がばれても、もう自分はいないのだから、今この瞬間だけの自分の利益が確保できればよいのである。

 有権者はなぜ政治家の共犯者になるのか。
 それは有権者も政治家と本質的に同じだからだ。
 将来、未来のことなど考えてはいない。今このときに甘みがあればそれでよいのだ。そもそもそれが自分の問題だとか責任だとか考えもしない。そしてまたそれを糾弾する人もどこにもいない。
 政治家や役人はもちろんだが、マスコミも大衆向けの商売をしているのだから、一般大衆を敵にはしない。誰も有権者の責任を問わない。

 それでは誰が有権者を批判できるのか。
 自分自身しかないのだ。自己批判するしか方法はない。
 自分のあり方を見つめ直す。それは最終的には自己否定に至るはずだ。このままでよいのか。何かを変えなくてはいけないのではないか、と。
 自己否定は自虐ではない。むしろ自己肯定への過程である。否定するしかない自分自身の問題点を乗り越えて、自分を芯から肯定することが出来るようになろうと思うことこそが自己否定の論理である。

 もう騙されたと言うのはやめよう。
 もちろん、これからも騙されることはあるだろう。しかしこれは詐欺ではない。すべての事実は見ようとしさえすれば見えるのである。隠されていることがあるなら、少なくとも隠されているという事実だけは見えるかもしれない。
 あなたが民主主義を正しいと思うならその責任も負わねばならない。そのとき「騙された」という言葉はただの責任回避の言葉にしかならないのだ。