あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

Nさんへの手紙(5)~ソ連の政策について

2013年11月13日 10時38分31秒 | Weblog
 Nさん、おひさしぶりです。

 さてご質問は、旧ソ連の第一次五カ年計画の際に、重工業化政策が行われると同時に農家の集団化(集団農場の建設)が実施されたが、それを高く評価すべきかどうか、ということですね?

 これはロシア革命の正当性にも関わる難問です。もちろんどの方向から見るかによって評価は違うと思います。
 しかしそれでも、ぼくは「高く」評価することはできません。

 そもそもの経緯として、早すぎたロシア革命の悲劇としての革命政府による血の弾圧、人民への抑圧があり、さらにはネップなどのジグザグした政策を経て、当時の革命政権はまるでコントロールを失ったジャンボジェット機を、なんとか墜落しないように無理矢理飛ばせているような状況だったことでしょう。
 新左翼の俗論的な解釈としては、レーニンの戦時共産主義、ネップ、その後の経済政策の転換(実質的にスターリンの第一次五カ年計画のもと)は正しい、スターリンの五カ年計画は一番はじめは正しかったが、あとはだめだ、ということになるかもしれませんが、ぼくはそうは思いません。

 農工業の近代化と生産性の向上は、全世界の反革命からの攻撃、干渉に対抗するため、成立直後のソ連邦にとっては喫緊の課題であり、ロシア革命(と、その成果)の防衛という観点から言えば必要なことだったのだと思います。また、農業の集団化そのものは人類史レベルの大枠の議論で言っても当然のことだとも思います。
 問題なのはその手法です。これはレーニンもスターリンも同じだと思いますが、民衆、労働者、農民に対して強制と血の弾圧によって政策を実行するやり方は間違っていたと言うしかありません。
 何のための誰のための革命なのかという本質を忘れてしまっているのです。と言うより、これでは自分のための革命でしかありません。
 あまりにも早すぎたロシア革命は、封建主義的社会から一気にプロレタリア独裁に移行しようとしたために、何をするにも、時間的にも物質的にも精神的にも余裕がなかったことは理解できます。しかしこのことがマルクス主義を大きく(悪い方に)変容させてしまったことも事実です。

 さて一方で、ローザ・ルクセンブルクなどはロシア革命以前からレーニン主義を批判しており、戦時共産主義にも否定的でしたが、それではローザならロシア革命を成功させられたかと言えば、それも難しかったでしょう。しかし重要なのは成功するか失敗するかではなかったのだと、ぼくは思います。
 レーニンは、これは歴史的な制約で仕方ないことなのですが、マルクス哲学をほとんど知りませんでした。レーニンが知っていたのは後期マルクスの経済学だけだったと言ってもよいくらいです。もっともそこからあれだけの思想体系を作り出したのですから、やはりただ者では無いのですが。もしレーニンが初期マルクスの哲学的業績を知っていたら、あるいは革命後の政策も違っていたかもしれません。

 有名な『経済学批判序説』の「下部構造は上部構造を規定する」という言葉がありますが、これは新左翼でさえしばしばその意味を俗論的に取り違えます。本来の意味は法律や国家機構はその国の現実的な生産や流通、経済のあり方を支えるものにならざるを得ない、というような意味だとぼくは解釈していますが、これを誤って認識して、革命を起こして企業を国有化したりすれば、民衆は自動的にみな共産主義思想になるなどという暴論を吐く人がいます。レーニンが実際にそう思っていたかどうか、ぼくは知りませんが、おそらく結果的には同じような考え方になっていたのでしょう。
 とにかくまず実行ありきで(これもマルクスの『フォイエルバッハ・テーゼ』の「哲学者たちは、世界を様々に解釈してきただけである。肝心なのは、それを変革することである」という言葉を引用して正当化されることが多いのですが)、何かを成し遂げれば自動的にその後の歴史が発展するということだったかもしれません。

 ぼくの考え方は一般的な既成左翼や新左翼とは違うと思いますが、実践至上主義的な考え方は間違いだと考えますし、成果主義も間違いだと思っています。重要なのは過程であり、最も正しいと思われる過程を踏んでいって、その結果で失敗し破綻しても良いのだと考えます。もちろんそれは大変につらいことですし、何の成果も上げられず名前も残せず、ただ犬死にするだけのことになるかもしれません。しかし、そのことこそが、世界史の中でたぶんずっと後に輝くことになり、人類の未来への示唆になるはずだと思います。

 もう一度まとめて結論的に言えば、五カ年計画や農業集団化の政策自体は良いものだったかもしれないが、やり方は間違っていた。その間違いは五カ年計画の時に急に起きたものではなく、レーニンのロシア革命指導のところにまでさかのぼり、それは実践至上主義の誤りであった。たとえロシア革命が失敗したとしても、革命家は人民に寄り添う政策を採るべきだった。

 以上がぼくの考えです。