福島難聴の総会、二ヶ月遅れて総会開始。
参加21人でしょうか。
司会から震災被害についてあいさつあり、全難聴の支援や貴重な補聴グッズやマスクの提供に顔もほころびます!と。
埼玉難聴から提供された千羽鶴も会場に飾られ説明。
議事に入りました。
開始2時間前から村松会長、 元気に資料運びこみに汗を流してます
暑いですね!これからますます暑くなりますよ!放射能が心配で、窓を開けられないんじゃないかなあー。
とのこと
マスクしてる方が一割程度でしょうか?途中見かけた子供は三人マスクしました
5/8(日)朝、盛岡を出発。画像は樋下理事長の車。
盛岡を出た一行は、めがね橋で有名な宮森で休憩。その後、大船渡市社協に立ち寄る。社協の案内で大船渡市内の被災地を見学。
限られた範囲の行動にも関わらず、想像を超える被害に茫然。
道路のゴミを、車が通れるように脇に積んでいる。
大船渡市福祉の里に到着。補聴器電池の案内があった。
こんな案内も。
集まった大船渡市聞こえの会のみなさんから、体験を伺った。
聞こえの会は35名、手帳を持たない難聴者から2級まで様々。
似顔絵を描いて緊張を解きほぐす高岡理事長。
赤外線補聴システムが用意してある。10年以上前から活動実績があり、市からも一目置かれているようだ。ご年配の方が多いが、皆さん受信機を使い慣れていることに高岡理事長も驚いていた。
体験談を拝聴。真剣な表情で聞き入る高岡理事長。
この日が震災後初めての集まりだったそうだ。皆心に引っかかっていたものを吐き出すように涙ぐみながら話していた、心のケアも必要だと感じたとのこと。
終了後、全難聴の支援チームと一緒に、全員集合スナップ。
皆さんお元気で!
5月28日(土)夜、全難聴総会を前に全難聴東日本大震災対策本部会議が開催され、被災地域の代表にもご参加いただきました。
青森県難聴者・中途失聴者協会 瀬谷理事
宮城が停電すると、青森も停電する。3月11日の発生時だけでなく、4月7日の余震のときも、県内全域が停電した。
3月11日は、八戸の津波被害が大きかった。海岸近くに会員1人いた。避難した最初の公民館が満杯で次の避難所に回されたが、そこでもたらい回しにされた。14日まで避難生活を送った。停電が3日続いた。情報保障をお願いしたが、対応いただけなかった。
青森県協会の会員は全員無事。厚労省から依頼あり、現地対策本部が立ち上げられ、会合が4月24日にあった。
被災地への手話通訳派遣ができることになり、青森も手話通訳派遣を依頼され、被害の大きかった宮城県大船渡市に派遣していた。
青森協会では4月17日に震災シンポジウムを開催。本当は協会設立10周年の集いが3月13日予定だったが、地震で延期されており、それに代えて行われた。震災時のコミというテーマで行われた。緊急時の避難方法や対処方法について、絵を使ったわかりやすいものがあるとよい、全国統一の表示があると助かる、という声があった。
渡辺事務局長
八戸の会員で70代の方が、地震のショックで不安を抱え、なかなか立ち直れない。最近少し良くなってきたようだ。
一番困ったのがライフラインの切断。メールやFAX連絡ができない。聴覚障害者の家族と同居で助かった人も多いが。連絡がとれるようになってやっと全員の無事を確認した。(小川)
5月8日第二次支援活動で。大船渡市難聴者の会の皆さんと。
5月28日(土)夜、全難聴総会を前に全難聴東日本大震災対策本部会議が開催され、被災地域の代表にもご参加いただきました。
(特)岩手県中途失聴・難聴者協会 樋下理事長
全難聴の皆さんや理事長の支援に感謝。会員の心を大事に活動していきたい。
これまで二次に渡って支援を受け、やってきた。
遅くなったが、6月11~12日の県協会総会のときに、会員が集まれる企画等の準備をしている。岩手県は広い。盛岡と宮古、大船渡はとても離れている。このような大きな災害を想定していなかった。
宮古、大船渡の難聴の会を訪問し、今後のことを高岡理事長に指導を受けて、いろいろやってきた。
総会で会員の皆さんに喜んでいただけるようにしたい。
皆さんからいろいろ物資や励ましの言葉をいただいたこと、心からありがたく思っている。会員にも(被災直後から)会報を作って発送している。(小川)
5月28日(土)夜、全難聴総会を前に全難聴東日本大震災対策本部会議が開催され、被災地域の代表にもご参加いただきました。
(特)みやぎ・せんだい中途失聴難聴者協会 村田氏レポート
現地対策本部の村田氏からレポート報告あり、小川代読。
会員76人全員無事。3月末に11項目のアンケート実施し、59人からのアンケ回答があり、報告をまとめている。アンケまとめは別途報告している。
全治3週間のケガをしたのが2%1人、家屋の一部損壊が5%3人、避難等で自宅外にいると回答したのは3人、情報コミに不安を抱えて生活している様子などがわかる、裏付けられている貴重なデータ。
さらにアンケでは特に被害の大きかった気仙沼、南三陸地域3人の回答は得られていないが、家が流出したりして避難していることがわかっている。1人は4/7の余震時に家が土砂崩れで半壊。元会員が1名亡くなっていたことも最近わかった。
被災直後からメーリングリストなどのネットワークを使って状況の把握や、会員同士の情報共有に努めている。
各団体と協働して支援活動に取り組み、県の障害福祉課、仙台市の障害企画課、仙台市福祉協会など関係団体にも聴覚障害者の持つニーズ、窓口の筆談等対応の必要性、厚労省通知や補聴器電池の支援など、説明している。要約筆記団体とも初期から支援を受けていた。派遣制度が使えることは行政側は了解していた。
支援する側の問題として、通信ネットワークの遮断、(被災初期)ガソリン不足のため支援の足がなかったこと、交通網の寸断、可動スタッフの欠如などの困難がある。
被災者は心のケアの必要性が大きいことがわかっている。ピアカウンセリングの研修を実施した。研修を受けた難聴会員が、要約筆記者と共に被災地域の会員を支援活動している。これまでに15回、県内各地を訪問。
--
支援のモデル的活動になりそうです。(小川)
5月28日(土)夜、全難聴総会を前に全難聴東日本大震災対策本部会議が開催され、被災地域の代表にもご参加いただきました。
福島県中途失聴・難聴者協会 村松会長
義援金や支援物資ありがとう。3/11当日、私は東北大学病院入院から外泊していた。被災で10日間、病院に戻れなかった。会員消息をFAXで尋ねた。ライフライン絶たれ、停電でFAXも使えず、確認できるようになったのは2、3日後。
原発事故もあり、特に県内でも浜通りに住む会員は放射線漏れであちこち避難してしまい家にいない。津波で流された会員もいたと、後で分かった。しばらくたって会員全員が無事とわかった。
4/3に全難聴から義援金と支援物資を受け取った。4/15に避難所や公的窓口に配布しようとしたが、手順があるようで、やたらに行っても入れない。市役所に行って、そこから社協に連絡。社協がまとめていた。
中途失聴者が支援物資を持って行っていいか、確認が必要だった。要約筆記者の情報で、支援物資が余っているとのことだった。
東総合体育館、ここは浜通りの会員が避難していたところ。1000人以上いる。これから行くと連絡したが、電池やメモ用紙はすでに配布済みで不要との返事だった。それで避難所に行くことはできなかった。
協会の理事会・総会の予定があったが会員に連絡できず、中止、延期となった。
改めて6月5日、総会をやることになった。会員にアンケートをとり、被害状況をまとめたいと思っている。
倉島事務局長
福島は震度6強だったと思う。大きな揺れが2分以上続いた。家が倒壊するか、一巻の終わりになるかと思った。歩けない、逃げようもない状況。柱にしがみついていただけだった。
浜通りは震度7。津波もあった上に、原発事故も。三重苦だ。
浜通りに住んでいた会員のうち、二人の家の一部が流された。本人や家族は高台に避難、無事だったが、家財が流出、家の残骸が残った。これもいろんなところに問いあわせて、5月に入ってからやっとわかったこと。ろう協は情報網が完備していたようだ。
避難所名簿から調査し、二人のうち一人はまず息子のいる会津若松市に避難、それから郡山市の妹のところに移って、やっとハガキで無事がわかった。
もう一人は自宅では生活できず、娘のいる埼玉に転居。協会も退会してしまった。
協会の避難者は4人、一人は状況が不明、透析しているので心配している。FAXにも返事がない。無事なことだけはわかっている状況。他の会員は家が一部壊れたり、室内に散乱した程度。
ろう協と聴覚障害者対策本部立ち上げたが、ほとんどろう協側がやっている。ときどき事務所に、物資を配る等の連絡がある。携帯電話とパソコンの中間のようなものなどが配布され、2ヵ月間貸与してもらっている。
4月はじめにJDF支援センターの福島県本部立ち上げの発会式が、郡山であった。JDF支援センターから連絡があり、私が出席したが、要約筆記もループもなく、内容が理解できず帰宅した。
(小川)
4月3日福島市で。写真右から福島難聴会長の村松さん、全要研福島支部長丹治さん、福島難聴事務局長の倉島さん、佐野全難聴事務局長。
5月28日(土)夜、全難聴総会を前に全難聴東日本大震災対策本部会議が開催され、被災地域の代表にもご参加いただきました。
茨城県協会 齋藤理事長
3/11の安否確認、会員72人に対し、3/13までに26人の確認にとどまった。3/21に69人の状況確認、全員命に別状なかった。ライフラインの停止で困った方が多いが、大きな人災はなかった。全体として聞こえなくて困っている状況についてFAX等で回答を寄せた方はごく少数だった。近隣に頼りにくい方は、要約筆記との連絡が助けになった。
3,4月の協会行事は見送った。常磐線が不通になった状況もある。
関係団体、聴覚障害者団体は3月20日に対策本部を立ち上げたが、難聴はオブザーバー出席。
4/17の理事会を、協会対策本部としてスタートした。
佐藤事務局長
車の免許がない理事が多い。早期に集まりを持つのが困難だった。
避難所周りは(財)全日本ろうあ連盟傘下団体や関係団体が実施、難聴者協会はしていない。要約筆記団体と動きの話し合いはほとんどしていない。大震災のとき不安だ。
県内に放射線高い地域もあり、不安が多い。支援していけるかどうか心配だ。
(小川)
4月2日(土)南三陸町松原公園付近から、水門?の破壊された河口付近を見る。地盤が70cm以上低下し、高潮等に対して無防備のように見える。
大潮による高い潮位に関する宮城県潮位情報 第2号
http://www.jma.go.jp/jp/kishojoho/data/choipdf/312_14_JPSN_201105271655_00_fuken.pdf
平成23年05月27日 16時55分 仙台管区気象台発表
5月31日から6月7日頃までは、満潮の潮位が高くなります。さらに、今般の地震により、宮城県の沿岸では地盤が大きく沈下しており、海岸や河口付近の低地で浸水や冠水のおそれがあります。
台風や低気圧等が接近した場合は、潮位がさらに上昇する可能性があります。
高潮と潮汐(気象庁のサイト)
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/4-1.html
台風に伴う風が沖から海岸に向かって吹くと,海水は海岸に吹き寄せられて「吹き寄せ効果」と呼ばれる海岸付近の海面の上昇が起こります。この場合,吹き寄せによる海面上昇は風速の2乗に比例し,風速が2倍になれば海面上昇は4倍になります。特にV字形の湾の場合は奥ほど狭まる地形が海面上昇を助長させるように働き,湾の奥ではさらに海面が高くなります。
また,台風が接近して気圧が低くなると海面が持ち上がります。これを「吸い上げ効果」といい,外洋では気圧が1hPa低いと海面は約1cm上昇するといわれています。例えばそれまで1000hPaだったところへ中心気圧が950hPaの台風が来れば,台風の中心付近では海面は約50cm高くなり,そのまわりでも気圧に応じて海面は高くなります。
(サイトより引用)
--
津波で被災した沿岸部では、1m近く沈下した地域もあるそうです。台風や高潮で、これまで想定してなかった被害が起きる可能性があります。あくまで状況からの推測ですが、沿岸部の皆様、くれぐれもご注意を!(小川)
写真は4月2日、南三陸町入谷小学校の避難所で。体育館の壁に避難希望者の第一次移転先が掲示されていた。
宮城県の聴覚障害を持つ被災者が都内S区に避難していることがわかりました。N区の補聴器店へ聞き取り調査した結果わかったものです。
避難後に補聴器の申請に来られたので、居住地の制度で両耳作成したとのこと。ただし重度難聴で、通常の耳栓ではハウリングの懸念が高いのですが、居住地では判定を受けていなかったので、両耳ともイヤモールド作成するのに制度が使用できなかったそうです。
同店では適宜対応してくれたそうですが。
店には、ご本人に都内の聴覚障害者団体連絡先を紹介いただけるようお願いしました。
補聴器店でも制度の対応についての熟知、顧客への充分な説明、関係団体等の情報の共有が求められます。(小川)
写真は4月2日、南三陸町の海岸近くの松原公園で。かろうじて残っていた桜の幹に、漁網等がからんで立っていた。遠方に破壊された水門?が見える
震災犠牲者、障害者は2倍 死亡・不明2%、内閣府推計
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105230516.html
東日本大震災で被災した沿岸37市町村に住む障害者約15万人のうち、約9千人のうち2.5%にあたる約230人が死亡、または行方不明になっていたことが、内閣府の聞き取り調査で明らかになった。住民全体に占める死者・行方不明者は1%弱。障害者は2倍に上り、被害が際だっている。
23日にあった障がい者制度改革推進会議で、内閣府が障害者関係27団体に確認報告した。
(サイトから引用 朝日記事)
--
痛ましい限りです。情報支援があればもっと助かっていたでしょうか。(小川)
各県警察で発表している、身元が判別できないご遺体の中には、補聴器をつけたまま亡くなった方もいます。
先日全難聴で対策本部関係者から指摘を受けて調べたところ、発表された補聴器の画像から、文字や記号を手がかりに、19日までに2名の身元を推測、ご遺族と思われる方に連絡することができました。
岩手県大船渡市の方と、福島県浪江町の方と思われます。それぞれ、補聴器の製造元を推測し、ご遺体が見つかった近くの販売店に問いあわせてわかったケース、補聴器に書かれた名前からご遺族を捜し出したケースがあります。
亡くなられた方には哀悼の意を捧げます。
補聴器をつけている方はどこにでもいるのです。被災された方がいるのでは、という懸念、残念ながら現実のものになりました。最近のことなので、当初はもっといたはずです。
補聴器がご本人の身元を判断する、有力な材料になることもわかりました。補聴器メーカーにも問いあわせが多数寄せられたのではないでしょうか。
(小川)