岩難聴「いこいの広場」の報告です。
6月12日(日)の岩難聴の交流会支援には全難聴から高岡・高木・板倉・須山の4人と、
東京難聴の事務局長の高岡芳江さん、全要研三宅さんも加わり合計6人でした。
「交流会の司会を高岡理事長にお願いしたい」と言う岩手難聴の声もありましたが、主催は岩手難聴で全難聴はバックアップするという事で、岩手難聴のYさんに司会をお願いすることにしました。
岩手難聴・大船渡地区や宮古地区から参加した方も含め、50人以上はいたかと思います。
役員の方には要約のノートテイクがつきました。
それがとても効果があり、話の内容が掴めて楽しめたのではないでしょうか?
交流会と言う事で、高岡理事長は司会のYさんのフォロー役と交流会の盛り上げ役です。
高木さんは補聴器相談で隣室に移動され補聴器の電池などを渡していました。
全要研の三宅さんは物品提供のホワイトボード(東京と名古屋の手作り作品)渡しの担当や伴奏のない手話の歌の歌を綺麗な声で歌って下さいました。
高岡芳江さんは参加者の精神的なケアーや心の相談の担当をされていました。
全難聴事務局の板倉さんはマスクを配ったり、手話の歌の音楽をパソコンから取り出ことをされたり、アイフォーンを効果的に使っての情報保障をも担当したり、色々なことが出来る方でとても頼りになりました。
須山は高岡理事長と小川理事の寄付の本の手渡しを手伝っていました。
会場ではお弁当やおやつの準備もあり、「メイドカフェ」コーナーも作られ、白いエプロンを付けた可愛い女性がコーヒーを入れてくれました。
Nさんの鈴を持った踊りや司会のYさんの見事な手品や五円玉のじゃんけんポンで勝ちとりゲームや手話の歌などは、とても盛り上がり楽しいひと時を過ごすことが出来たと思います。
かなり年配の男性の方々も笑いながら手を動かしていました。
宮古地区から参加していた方の一人が、「今日は参加出来て良かった。久しぶりに笑え楽しいひと時が過ごせた。」と言っていました。
準備を担当した岩手難聴の方も初めての企画で、何をどのように準備するのか分からなかったが、全難聴の高岡理事長にお聞きして準備を進めることが出来、無事に終わって、本当に良かったと感涙していました。
最後には皆さんと並んで記念写真を取ってお別れしました。
手にはお土産のマスクをいただき、皆さんは喜んで帰っていかれました。
中には私が来ていた名古屋難聴の黄色い、背中に耳マークのついたジャンパー風のチョッキを見て、「全難聴で売っているのか?」と聞いてこられた方もいました。すぐにでも買いたいような感じでした。
瀬戸内寂聴さんがテレビも言っていましたが、震災から3カ月が過ぎたころから心に空白が出来てプツンと切れて、鬱になって「死にたい!」なんて言う人が増えていくそうです。「被災者には心のケアーが必要な時だ。」と言っていましたが、本当にそうかもしれません。
全難聴として早々と「心のケアーを!」の取り組みは成功だったと思いました。
今回の交流会で聞こえない人達が集い、共に時間を過ごしコミュニケーションをしてお互いに笑う時間を持てたと言う事は心の修復にとても貴重なことだったと思っています。
この様な催しは「初めての企画だ」と岩難聴の方は言っていましたが、「少しでも被災地の皆さんに元気になっていただきたい」という思いで、役員の皆さんが一致団結して動いたから成功したように思います。
「皆さん本当にお忙しいところを有難うございました、お疲れ様でした。」
簡単ですが報告です。
忘れて抜けた所もありますので、他の方の報告と合わせて見ていただければ幸いです。
(女性部長須山様 代理UP小川)