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東北地方太平洋沖地震全難聴対策本部

阪神大震災を超える超大型地震の難聴者等支援情報提供

【岩手第三次支援】岩難聴「いこいの広場」報告

2011-06-14 12:20:30 | 支援活動報告

 

岩難聴「いこいの広場」の報告です。

6月12日(日)の岩難聴の交流会支援には全難聴から高岡・高木・板倉・須山の4人と、

東京難聴の事務局長の高岡芳江さん、全要研三宅さんも加わり合計6人でした。

 

「交流会の司会を高岡理事長にお願いしたい」と言う岩手難聴の声もありましたが、主催は岩手難聴で全難聴はバックアップするという事で、岩手難聴のYさんに司会をお願いすることにしました。

 

岩手難聴・大船渡地区や宮古地区から参加した方も含め、50人以上はいたかと思います。

役員の方には要約のノートテイクがつきました。

それがとても効果があり、話の内容が掴めて楽しめたのではないでしょうか?

 

交流会と言う事で、高岡理事長は司会のYさんのフォロー役と交流会の盛り上げ役です。

高木さんは補聴器相談で隣室に移動され補聴器の電池などを渡していました。

全要研の三宅さんは物品提供のホワイトボード(東京と名古屋の手作り作品)渡しの担当や伴奏のない手話の歌の歌を綺麗な声で歌って下さいました。

高岡芳江さんは参加者の精神的なケアーや心の相談の担当をされていました。

全難聴事務局の板倉さんはマスクを配ったり、手話の歌の音楽をパソコンから取り出ことをされたり、アイフォーンを効果的に使っての情報保障をも担当したり、色々なことが出来る方でとても頼りになりました。

須山は高岡理事長と小川理事の寄付の本の手渡しを手伝っていました。

 

会場ではお弁当やおやつの準備もあり、「メイドカフェ」コーナーも作られ、白いエプロンを付けた可愛い女性がコーヒーを入れてくれました。

 

Nさんの鈴を持った踊りや司会のYさんの見事な手品や五円玉のじゃんけんポンで勝ちとりゲームや手話の歌などは、とても盛り上がり楽しいひと時を過ごすことが出来たと思います。

 

かなり年配の男性の方々も笑いながら手を動かしていました。

宮古地区から参加していた方の一人が、「今日は参加出来て良かった。久しぶりに笑え楽しいひと時が過ごせた。」と言っていました。

 

準備を担当した岩手難聴の方も初めての企画で、何をどのように準備するのか分からなかったが、全難聴の高岡理事長にお聞きして準備を進めることが出来、無事に終わって、本当に良かったと感涙していました。

 

最後には皆さんと並んで記念写真を取ってお別れしました。

手にはお土産のマスクをいただき、皆さんは喜んで帰っていかれました。

 

中には私が来ていた名古屋難聴の黄色い、背中に耳マークのついたジャンパー風のチョッキを見て、「全難聴で売っているのか?」と聞いてこられた方もいました。すぐにでも買いたいような感じでした。

 

瀬戸内寂聴さんがテレビも言っていましたが、震災から3カ月が過ぎたころから心に空白が出来てプツンと切れて、鬱になって「死にたい!」なんて言う人が増えていくそうです。「被災者には心のケアーが必要な時だ。」と言っていましたが、本当にそうかもしれません。

全難聴として早々と「心のケアーを!」の取り組みは成功だったと思いました。

今回の交流会で聞こえない人達が集い、共に時間を過ごしコミュニケーションをしてお互いに笑う時間を持てたと言う事は心の修復にとても貴重なことだったと思っています。

 

この様な催しは「初めての企画だ」と岩難聴の方は言っていましたが、「少しでも被災地の皆さんに元気になっていただきたい」という思いで、役員の皆さんが一致団結して動いたから成功したように思います。

「皆さん本当にお忙しいところを有難うございました、お疲れ様でした。」

 

簡単ですが報告です。

忘れて抜けた所もありますので、他の方の報告と合わせて見ていただければ幸いです。

 

(女性部長須山様 代理UP小川)

 


【岩手第三次支援】岩手難聴行事「いこいの広場」岩手放送が取材

2011-06-14 12:19:58 | 支援活動報告

 

6月12日(日)開催された、岩手県中途失聴・難聴者協会の「いこいの広場」に、岩手放送IBCが取材に来ていました。

取材者の若い女性記者は、手話を少し使えました。

放映されたかどうかわかりませんが、IBCのホームページには以下の記事が載っています。

 

http://news.ibc.co.jp/item_16280.html

難聴者励ます いこいの広場 (2011年06月12日 18:31 更新)

耳の不自由な被災者に集まってもらって交流し、元気付けようというイベントが盛岡で行われました。

これは県中途失聴・難聴者協会が同じハンディをもつ被災地の人たちおよそ20人を招いて行ったもので、じゃんけん大会をしたり歌を歌ったりして楽しみました。宮古市や大船渡市ではこれまで耳の不自由な人たちが拠り所にしていた施設が被災したため、会合などを開くことができませんでした。

このため宮古市から参加者は、震災の情報がなかなか入らず心細い思いをしていたと話していました。被災地ではハンディのある人の生活の不安は未だに消えていないということですが、参加者は、久々の仲間との交流に元気付けられた様子でした。

(サイトから引用 報告:高岡)

 


【全日ろう連】第59回全国ろうあ者大会

2011-06-13 12:42:06 | 支援活動報告

第59回全国ろうあ者大会が6月11、12日と佐賀市文化会館で盛大に開催されました。

約2200名が参加し、会場は熱気にあふれていました。

式典に全難聴高岡理事長が岩手救援のため小川が出席、当事者団体では最もよい席で大変光栄に思いました。同じ当事者の仲間や活動を尊重いただいている現れと、ありがたく座らせていただきました。

 

式典では東日本大震災聴覚障害救援中央本部長でもある石野理事長からあいさつ、震災犠牲者への黙祷をささげました。

黙祷開始とともに会場を暗くして、終了とともに照明を明るくしていました。

 

中央本部の義援金は3,000万円近く集まったそうです。阪神大震災のときは5,000万円近く集まったそうで、まだまだこれからと、気を引き締め直していました。

 

震災支援の展示も、会場ロビーの一番目立つよいところに大きく展示され、理事が一緒になって支援を呼びかけていました。また数次に渡る支援ニュースを作成、配布していました。

展示も立派な、わかりやすいものでした。

(小川)


【岩手第三次支援】岩難聴、「いこいの広場」50人の参加

2011-06-13 12:40:10 | 支援活動報告

6月12日、岩手県中途失聴・難聴者協会の「いこいの広場」は岩手県アイーナで開催されました。

午前中の岩手難聴総会に次いで開催された「いこいの広場」は参加者が大津波の被害のあった宮古市と大船渡市聞こえの会7人を含めて、50人に及びました。
広場では、東京都八王子市の要約筆記者の「そらの会」の皆さんの作成したメッセージ付きの筆談ボード、名古屋市登要会の作成した筆談ボード、古本、マスクなどを配布しました。

メイドカフェは女性会員が担当して、白いエプロンにを身をまとってコーヒー、お茶を提供していました。
会員による歌や手話の歌、手品など大変楽しい一時を過ごすことが出来ました。

また初めての試みとして、岩難聴の理事一人ずつ要約筆記者一人ずつノートテイクをお願いしましたが、初めて自分に対するノートテイクを体験して喜んだ方や、要約筆記者と筆談を楽しんだりした方もいました。要約筆記と筆談ボランティアを兼ねたボランティアです。

参加者は、毎日辛い生活をしていたが今日は楽しく過ごせた、こんな集いは初めてで楽しかった、この企画をどのように進めようか毎日悩む日々だったが何とか出来て良かったと涙ぐむ方もいました。
岩難聴の役員の皆さんの頑張りが被災地の皆さんを大きく励ますことになり、自分たちの力を確認することにもなったと思います。


岩難聴、6月11日理事会開催。

2011-06-12 00:47:49 | 支援活動報告
大震災から、ちょうど3ヶ月目の今日。
岩手県中途失聴・難聴者協会は理事会を開催して、明日の総会の議案を決めました。

全難聴第3次支援団は、14時半頃到着し。自己紹介して、明日の「いこいの広場」の進行について協議しました。

大船渡市と宮古市の会の方々が参加されるがみな間一髪で命が助かっただけ、全員が被害者、まだ心のケアを必要としているという報告を聞いて、気が引き締まる思いをしました。

司会、進行、内容とか細かいことはまだ協議中です。
この3日間、盛岡市は「チャグチャグ馬子」祭りだそうでこの踊りも披露されるとか。

(高岡)

乾電池提供レイオバック副社長からお礼状が

2011-06-10 23:31:14 | 支援活動報告
乾電池を提供していただいたアメリカのレイオバック副社長のランディ・レイモンド氏に、お礼のメールをしました。

以下がその返事です。
私たちの提供した乾電池が実際に必要とした人々に配布されて大変役に立ったと聞いて喜んでいるとあります。
被災地の状況に驚くとともに、お見舞いと支援活動に感謝の言葉を述べられています。

高岡

Dear Takaoaka san,

Thank you for your kind email. It was our pleasure to send these batteries and we hope they provide some help to those who are so greatly in need.

Our colleagues in the company in Japan were safe, thank you for asking.

We here were absolutely shocked at the magnitude of this tragedy, the loss of life and the incredible challenges that are faced by those who survived in the area.

Thank you for your efforts to help those who are in so much need and, again, for your kind email.

Sincerely,

Randy Raymond

Vice President,
Global Hearing Aid Batteries
Rayovac

-----Original Message-----
From: tadashitzn@pdx.ne.jp [mailto:tadashitzn@pdx.ne.jp]
Sent: Thursday, June 09, 2011 7:06 PM
To: Raymond, Randy
Subject: Thank you very much for batteries!

Dear Mr. Randy Raymond,

my sympathy is with those who suffered from the latest tornados and floods. I hope your Rayovac fellows are safe and sound.

On May 30 we received UPS parcels of batteries from Rayovac UK, namely
PR41(312) 160 packages
PR48(13) 170 packages
PR70(10) 170 packages

Since there was no message from Mr. Raymond in the parcels, it was only when Ms. A. Nishikawa made an inquiry at Starkey Japan that we knew the donation was made upon your request. Please excuse our delay in saying thanks to you.

A part of these batteries were distributed to the AGM attendants of the Fukushima chapter on June 5th. This week on June 12th we will do the same at the Iwate chapter AGM. As you can see, your present arrived at with very good timing!

Our Fukushima members came together for the first time since the earthquake and were busy exchanging each other's stories at the meeting, feeling better and understood at last. The Iwate meeting will also be the first occasion for the members in the devastated areas to meet. With a cafe, Karaoke
and dance shows, it should serve them as a moment of relief. We also offer clinical consultancy for hearing aids.

Please forward my best regards to the your company as well as your office staff.
I am very obliged to your support.

yours sincerely

Tadashi Takaoka
Zennancho,the federation of the associations for hard of hearing and late-deafened people in Japan

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sent from W-ZERO3



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sent from W-ZERO3

【内閣府】平成23年版 高齢社会白書を公表しました

2011-06-09 07:09:53 | 支援活動報告

標記白書が公表されました。

直接障害者防災活動に結び付くものではないですが、全体に注目すべき点が多いです。

75歳以上の二人にひとりは難聴者だと言われています。聴覚障害者の災害対策で参考にしたい点もあります。

以下、内容から抽出します。白書は数年前からサイトでも無料で読めるようになっています。



平成23年版 高齢社会白書を公表しました(内閣府)
http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/index-w.html

平成23年版高齢社会白書は、「平成22年度 高齢化の状況及び高齢社会対策の実施状況」、「平成23年度 高齢社会対策」という2つの部分から構成されています。


○ 5人に1人が高齢者という社会
高齢化の状況
・我が国の総人口は平成22(2010)年10月1日現在、1億2,806万人。
・65歳以上の高齢者人口は過去最高の2,958万人(前年2,901万人)。
・総人口に占める65歳以上人口の割合(高齢化率)は23.1%(前年22.7%)。
・「65~74歳人口」(前期高齢者)は1,528万人、総人口に占める割合は11.9% 。
・「75歳以上人口」(後期高齢者)は1,430万人、総人口に占める割合は11.2% 。

○東日本大震災における高齢者の被害状況
・岩手県、宮城県、福島県の3県で収容された死亡者は、3月11日から4月11日までに13,154人にのぼり、検視等を終えて年齢が判明している人は11,108人で、そのうち60歳以上の高齢者は7,241人と65.2%を占めている。

○生きがいの低下
・誰とも会話をしない、近所づきあいをしない、困ったときに頼る人がいないといった、社会から孤立した状況が長く続くと、生きがいを喪失したり、生活に不安を感じることにもつながる。
・近所づきあいがほとんどない人、困ったときに頼れる人がいない人は、生きがいを感じていない割合が高い。

事例2:地域の茶の間
新潟県内に2,000か所以上あるといわれている「地域の茶の間」は、新潟市在住の河田珪子さんが始めた有償の助け合い活動の事務所が、自然発生的に、子供からお年寄りまでの居場所となったことから始まった。平成 15(2003)年には、常設型の「地域の茶の間」である「うちの実家」(新潟市)も開設された。ここに行けば、いつでも人に会い、話しができ、人と一緒に食事をとることができる。車椅子の人、認知症の人、目や耳が不自由な人、小さい子からお年寄りまで、お互いに助け合いながら、それぞれ好きなことをして過ごしている。

○住宅用火災警報器の普及促進等
高齢者の火災に対する安全性が効果的に確保されるよう、ユニバーサルデザインの観点を取り入れた消防用設備・機器等の開発・普及等を 推進するため、「聴覚障がい者に対応した火災警 報設備等に関する検討会」を開催し、音に加えて、光や振動等の多様な手段による火災警報を導入・普及するための方策等について検討、とりまとめを行った。

○23年度は災害時等における要援護者への瞬時の文字情報伝達手法の開発
自然災害情報や国民保護情報といった緊急情報を瞬時に住民に伝達するシステム(J-ALERT)は現在は音声のみの伝達となっていることから、高齢者、聴覚障害者等の災害時要援護者向けに、瞬時に文字情報で伝達できるような新たな試験装置を開発し、実証実験を行う。
(サイトから引用 小川)


【福島第二次支援】福島難聴総会時の支援行動概要-3

2011-06-08 08:26:10 | 支援活動報告

(続き)

議長/M

地震で残骸片付けしているうちに、腸の具合が悪くなり、3月20日に緊急外来へ。次の日入院した。4月13日退院。

 

倉島/県の対策本部から、次のような資料が出されています。

「大災害救援対策県本部運用上の留意点」平成23年4月15日

今回気づいたことですが、このような視点が漏れていることがわかりました。

「5(会員の義務)

大災害が発生したとき、会員は速やかに支部長と連絡を取って、被害の状況や所在場所の移動等について、報告しなければなりません。被災した会員の救援をするには、情報の交換が何よりも大切だからです。」

この通りだと思います。事務局からFAXしても応答がない、家にいないんだから。どこにも連絡しようがない状況があったらしいです。

久ノ浜のIさんが元気だったというのは、つい最近、6月に入ってやっとわかりました。

JDFの地域対策本部立ち上げの集まりがあると連絡が入り、私が行きましたが場所がわかりません。タクシーの運ちゃんもわからずにぐるぐる回りました。

市役所で聴こうとしたら、通りがかりの人が気づいてくれて、何かお困りですか、と。事情を話すと「じゃ、私の車で」という。親切な方もいるものだ、助かりました。

会場は市役所の裏にあり、すぐに見つかりました。

すでに会議が始まっていました。空いてる席がひとつもなく、いちばんうしろにいた人が席に座らせてくれました。

ろう者も参加していて、手話通訳がいたが、私は手話がよくわかりません。

急なことで、要約筆記のことは確認していませんでした。参加しましたが何一つわからず帰ってきました。残念です。

 

【交流会】

村松/被災時の状況をお話しください。まずアンケ用紙に5分間、記入をお願いします。皆さんの震災のときの状況、よくわかってません。メール等の連絡先も連絡網用に記入してください。

※以下、個別事例

1女性)建物は大丈夫だった。食料が入手困難、断水は一週間後復旧。体が不自由で友人から差し入れを頼んだ。

2女性)建物に20cmくらいのひびが多数。ライフラインに困った。1週間断水。罹災申請はしていない。給水に並んでも、3回くらい「これ以上水が出ません」と、場所を移動させられた。津波もひどかった。ハザードマップはあったが想定以上。停電復旧後はテレビで情報を得たが字幕がない。

3女性)建物は被害なし。塀が壊れた。水困った。お風呂に水くんでおけばよかった。近くに住む娘が水や買い出し協力してくれた。

4女性)建物被害なし。困ったのは情報。テレビだけ。原発のことを知りたいのに、地方のNHKでは字幕ニュースがなかった。福島からもぜひつけてほしいなと思った。

5女性)建物被害なし。1週間停電。電話やラジオがあっても聞こえない。仲間の皆さん困ってるだろうなとつくづく思った。私は家族がいたからなんとか状況教えてもらったが。一人だったら困っただろう。1週間ぶりに電気ついて本当にほっとした。津波にはびっくり。私だけ知らなかったんだわとショック。

6男性)建物被害なし、コンクリの基礎がちょっとヒビあり、2箇所被害。娘一家が避難していた川内村体育館から車三台で来てびっくりした。米が4本(ママ)あったのでよかった。娘は東京奥多摩に避難した。

7男性)ばあちゃんが老人ホームにいた。万一避難することになったら聴覚障害者の私だけで対応できるか心配だったが、避難対象にならず安心した。

人工内耳なので、専用のボタン電池がどこも品不足。少しストックあったが心配になった。職場は大きな県の建物。80人くらい避難してきて、職員も対応に追われる。私は皆さんとのコミが充分できず、困った。

テレビはNHK地方局ニュースに字幕つけばと思いつつ視ていた。

8女性)孫守りをしていて地震に遭遇。水も電気もなかったが、そんなに困らなかった。ふだんから貧乏生活なので慣れていた。停電でも車でテレビを見ることができた。

9男性)地震の後も社外にでたが、仕事もできず家に帰った 家の中食器戸棚みなごちゃごちゃ。まだ小さな地震が続くので気になるし心配、落ち着かない。

10女性)地震のとき車を運転中。交差点で止まっているときにゆれに気づく。風かと思ったが。横揺れ恐かった。家の中、食器などが散乱して足の踏み場もなく、片付けに3日かかった。ほとんどは散乱しただけで大丈夫だったが。

重いガスボンベがはずれ、50センチ動いていたのにはびっくり。停電になったが夜10時に復活。水道は最初から大丈夫だった。ガスはこわくて使えなかった。

娘が心配して来てくれた。近くの公民館に避難した人が100人ほどいたと後でわかったが、情報が入らない。

帰宅後、片付けしていた主人が震災後1週間たって腹痛で入院することになり、毎日病院通いすることになり、ほっとできたのはやっと最近のこと。

11女性)いわき市。行き先で揺れを感じ、家に帰らなきゃ、と。屋根の瓦が落ち、家の中では食器棚からみんな落ちて足の踏み場なし。

4月11日の余震もひどかった。会社に行ってたが。原発が危ないという話が出たので、埼玉に夜中に逃げた。避難するまで様子がほとんどわからず不安。埼玉で落ち着いた。

もう帰ろうかと言ってるときに、右足首骨折してしまい、ギプスをあてた。とにかくギプスをはずせないので2ヵ月あちらにいた。今も歩くと痛む。

避難の子どもらと10人家族となり親子三代で生活した。

12女性)いわき市。外出中に被災。電子レンジが壊れた。家が傾き、近くに空き家があったのでそちらに住んでいる。家が見つかるまでは近くにある実家にいた。食料どこっとあり、電気水道もあり困らなかったが。

※15:40 いわき市の方は16時のバスに乗らないと帰れないとのこと。ここで中座、皆さんと名残惜しそうに別れる。

13女性)リハビリで外出中だった。病院にいて、アパートが倒れないか心配だった。

ゆれがやむまで病院に。息子が私が家にいないと心配して探していた。二階に住んでいるが。下は足不自由な高齢者。車で避難するのに私が帰ってくるのを待っててくれてた。

ライフラインは大丈夫だったがタンス倒れた。ベッドがふさがり夜は娘の家に泊まった。息子も私も聞こえないので、テレビの内容がわからず情報が入らない。心配していた。障害者相談の電話番号がある。FAXで連絡したりして情報を得ていた。

14女性)内外の壁にヒビ。旧いビル街なので、近所はほとんどなんらかの被害。ガラス落ちるので、ガラス危険だと後で思った。ライフラインに影響。情報なく困った。食材は困らなかった。

15女性)郡山市。家にいたが避難。瓦、壁が半壊。補助金もらった。

水道は一週間とまる。風呂はたまたま空だった。水をためてみたら、黒い水。抜いてしまったが、その後全く出なくなる。トイレには使えたので抜かなければよかったと後悔。風呂は息子の家で。放射能のことは考えておらず、知らずに外の片付けをしていた。県外の人はあきれるかも。これまで水を買ったことないのに、娘から50本ももらった。

16男性)柔軟に対応する必要。テントの備えも大事。備えを。

17男性)家内が話したが、春じゃが準備中。地震のときはトイレの中だった。そのままトイレの中にいた。花瓶おちた。

ガスボンベがずれ、倒れそうになっていた。心配だったので何とか直さなければと。しかし業者と連絡がつかない、東京の娘に連絡し、業者に連絡してもらいなんとかなおせた。電気温水器もずれて倒れそうに。修理を近くに頼んだがこない。これも娘経由で東北電力に連絡してやっと。テレビ字幕も含め情報が全く入らなかった。家は頑丈で土台はこわれなかった。電線がひっぱられたはずみで、ひさしがはがれてめくれた。

その後入院したが、原発から放射能が高く心配。窓もあけられず。自分で作った野菜を気にせず食べているが。梅は無理かも。梅干し、梅酒の加工を迷っている。

18男性倉島)地震のときずっと柱にしがみついて、ゆれる蛍光灯の傘を割れないように押さえていた。仏壇倒れた。本箱の本棚がほとんど散乱。腰が痛くなった。あちこち亀裂、電気メーターも落下、修理に時間やお金かかる。

停電に留意している。テレビに字幕がなく内容がわからない。大家さんがいろいろ教えてくれる。水圧弱い。

19男性)家の棚が壊れたくらい。停電で復旧まで3日間。情報が入らず困った。FAXの受話器は停電で使えなくなったが、黒電話を持ち出して使ったらつながった。

20男性)高速道路使用のための罹災証明、証拠になる写真もってこいといわれた。

修理終わってたらもらえなくなる。罹災証明大事。

21女性)地震酔い。いつも揺れてる気がする。テレビの情報が入らず困る。特に原発情報入らない。原発は国のトップシークレットなのだと不安に感じた。

 

佐野)全難聴から。

高額の義援金が寄せられている。難聴者がんばれと全国の皆さんから全難聴へ。

(その後ハーモニカ熱唱。30年ぶりとか。やんやの喝采。)

 

村松/名残おしいですが、時間になりました。放射能どうなるかわかりません。これから苦しい時間が続くと思います。

どうか皆さん負けないで。がんばっていきましょう。

 


【福島第二次支援】福島難聴総会時の支援行動概要-2

2011-06-07 08:29:28 | 支援活動報告

http://blog.goo.ne.jp/zennan_saigai/e/5a9ce188387105419a21343a28417ddd

の続きです。

 

てきぱきと準備が進み、1時から総会開始。

福島難聴、22年度準会員も含め55人のうち、総会参加予定は22人とのよし 実際は21人?

司会担当は佐藤壽世さん。

「地震や津波、原発事故の影響で大変でしたね。延期になったが総会を開始します。全難聴の支援、貴重なグッズの提供に顔もほころびます。」

村松会長。

「被災された方々にお見舞いを。死者や不明者もいて胸が痛みます。地震や津波以外に、ここ福島では放射能の被害もあり、被害が大きいです。

私の家は3日間停電、水も4日後に復旧しました。

電源が戻ってテレビのスイッチを入れたら、津波の映像が。

思わず「うわあーっ!」と大声を出してしまいました。

実は私は3/11は東北大で入院中で、一時帰宅中でした。床屋や銀行まわりして、二時半頃自宅に戻って落ち着いたところでした。

地震のときすごい揺れで、妻は裸足で逃げ出しました。私もこの揺れはただごとではない、と思いました。

水が出るうちに風呂に水をためましたが、すぐに無くなってしまい、飲料水には苦労しました。

その後病院に戻りましたが、病院も停電等ライフラインの影響で、食事が出なかったりで、10日ほどで退院させられました。

総会も4日予定でしたが、会員との連絡が難しく集まれなかったので、今日まで延期していました。

これまでは皆さんが集まりやすい郡山市でやっていましたが、これまで使っていた会場がどこも避難所になってしまい、使えませんでした。

被害の少ない福島市で探し、この腰の浜会館がなんとかあいていて、集まっていただけました。

 

毎年総会の終わったあとで花見していましたが、今回は放射能のこともあるので自粛しましょう。代わりに交流を持ちたいと思います。皆さん被災後どうしていたか、アンケート協力をお願いします。

4月3日に全難聴が支援活動で岩手・宮城・福島へ来られ、支援物資をいただきました。耳マークグッズや筆談用具、補聴器電池などで、これを避難所に持参し、聴覚障害者が困らないようにしたいと思いましたが、避難所は防犯上入れない、また聴覚障害者がいないと言われ、断念しました。皆さんの周りでもし聞こえのことで困っている方がいたら、ぜひ支援物資を届けたいと思います。情報を寄せてください。

今日全難聴から3名支援にきています。

千羽鶴は埼玉県中途失聴難聴者協会会員から届きました。会員の皆さんが折って、送ってくれたものです。感謝申し上げたいと思います。

 

各団体から届いた会報。会場で希望者に配布していた。

 


【福島第二次支援】福島難聴総会時の支援行動概要-1

2011-06-06 07:05:35 | 支援活動報告

6月5日(日)東北新幹線Maxやまびこで10:49福島駅着。

途中福島駅近くでは、屋根に青いシートを貼った家がかなり目立ちます。2割強?

全難聴災害対策本部事務局長佐野、同次長小川、要約筆記者及び支援協力長谷川の3人は、タクシーで会場へ。

途中、町の中で大きな被害は見られず。車の通りも普通にあります。人通りも普通なのかな?会場まで100人ほど徒歩、自転車の人とすれちがいましたが、マスクを使用している人が1割程度います。そのうち10歳以下と見られる子どもが3人、全員マスクしていました。

 

11時会場着。すでに村松会長が総会資料等を運搬しています。汗をかいてお元気そうです。

福島市社協の方にお出迎えいただきました。実は今回の支援活動にあたり、対策本部事務局小川勤務先から、マスク1万枚の提供を受け、全難聴及び福島難聴の協力のもと、市社協に贈呈することになりました。事故のあった福島原発からは約50km離れていますが、放射能に対する心理的不安は障害のあるなしに関わらず大きいそうです。社協では会館を利用する約30の障害者団体の方々に、マスクを配布するそうです。全難聴と福島難聴には丁重に御礼をいただき、贈呈先の(株)VIAXには感謝状をいただきました。お届けします。写真左は館長の原さんです。

開始2時間前ですが、もう会員女性が6,7人和室に集まって昼食しながら談笑しています。そこにいらした方々は、手話は補助的に使っていますが、ほぼ補聴器および読話でコミされてます。談笑の輪の隅に快く加えていただき、持参の弁当を食べて、早速支援活動開始です。

今回八王子要約筆記サークルそらの会から被災地の皆さんにと、手作りの携帯用ホワイトボードをいただきました。応援メッセージ付きです。参加された方々に提供、とても喜んでいただきました。会員歴の長い方を中心に、皆さん使い方はご存じでした。

笑顔で応えていただけると、作った側も喜びますとお話ししたら、最高の笑顔をいただきました!

関係団体・企業、会員や関係者の皆さんから全難聴にお届けいただいた補聴器空気電池も、PR44,48,41,536の各サイズそろえて一人2パックずつ提供。特に津波、原発事故の放射能被害の大きい浜通り地域の皆さんは、電池が入手しづらいのと、放射能で外出に不安を抱えているので、なかなか遠くの補聴器店まで足が向かないので、電池を心配しながら補聴器を使っているそうです。喜んで受け取っていただきました。

協力企業提供のマスクも配布。数人にマスクは福島でも必要ですか?とお聞きしたら、「必要です。放射能が心配なので、洗濯ものも家の中で干しています。窓も開けられません」

「マスクは必要です。外出するときは必ずつけてました。最近はそうでもないですね」

「建物の中では使わない。外出するときに必要。最初のころは(外出するとき)車の中でもマスクした」

「必ず必要になります。ありがとうございます」

なるほど、会館の中で使用している方は見かけませんでした。

石川県の補聴器店から提供いただいた補聴器も、3台持参。アナログ調整なので、佐野事務局長が装用希望者に反応を聞きながら提供しました。

福島の皆さんにとっては部外者に見える全難聴からのメンバーが参加することについて、心配していましたが、支援物資提供や交流を通して、皆さんたちまちうちとけて、なごやかな雰囲気になれてよかったです。補聴器、筆談、手話、読話と持てる知識と技術を繰り出して、支援活動ができました。

オガワ/「ブログに載せたいので、写真撮っていいですか?」

Sさん/「ダメよ、被写体が放射能でだいぶ痛んじゃったw」

というジョークには大笑い。

 

磁気ループ準備は、司会の佐藤さんが担当のようで、準備に小川も協力しました。

手話通訳も2名つきます。もちろん要約筆記も県派遣。全要研支部から支部長の丹治さんほか、応援に来ていました。

 

(続く 報告小川)


寄贈補聴器提供に、日本補聴器認定技能者協会の協力を得る。

2011-06-06 01:37:01 | 支援活動報告

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日本補聴器技能者協会

福山事務局長様


この度は、補聴器相談会のご協力をいただけることになり、誠に

ありがとうございます。

岩難聴樋下理事長が、6日にご挨拶に伺うことにしています。


当会からは、Panasonic WH24005台、持参します。

これは石川県加賀市の「メガネと補聴器の店やました」山下二三夫様

からご提供いただいたものです。

参加者に補聴器のメーカー名や機種を伺うことにしています。

わかり次第、ご連絡します。

よろしくお願いします。


全難聴 理事長 高岡 正

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全難聴理事長  高岡  


佐野事務局長からご依頼のありました,岩難聴イベントにおける補聴器相談会の件。

当方からお願いしていました次の者から「承知した」旨のの返答がいただけましたのでお伝えいたします。


対応者氏名等 氏名  佐藤  

資格  認定補聴器技能者

所属  (株)メガネの水晶堂

住所  盛岡市中ノ橋通 1-4-20

電話  019-653-3434


宜しくお願いいたします。

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     特定非営利活動法人

   日

           事務局  福山 邦彦

      101-0047

      東京都千代田区内神田2-11-1

  Tel 03-3258-5964  Fax 03-3258-9033

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福島県協会への支援活動について 佐野

2011-06-05 21:09:30 | 支援活動報告
福島県協会への支援活動に行ってきました。

アイフォンのデモ的な説明をしました。協会三役以外の方々で興味を示された方々がいました。使ってみたい方は倉島事務局長へ希望を出すよう伝えました。
福島県協会総会には昨年の総会出席者数年と並ぶ会員が出席されました。皆さんが原発の放射能被曝に対する不安を話されて、福島県の被害の特殊事情を感じました。
また、放射能被曝に関する地元情報が正しく、聴覚障害者に伝えられるように願っています。

全難聴佐野


写真は4月3日の1次訪問のもの

最新情報

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