ザウルスの法則

真実は、受け容れられる者にはすがすがしい。
しかし、受け容れられない者には不快である。
ザウルスの法則

ワク推しで、晩節を汚したリチャード・ドーキンズ

2023-09-13 21:50:59 | メディア時評

ワク推しで、晩節を汚したリチャード・ドーキンズ

 

先日、ふと気になって調べてみた。自分が尊敬するリチャード・ドーキンズは、ワクチンを推していたかどうかを。反ワクなわけはないと思ってはいた。しかし、案の定、ワク推しだった。しかも反ワク批判の論客でもあった。

 

 

 

わたしは、彼の出世作 The Selfish Gene 「利己的遺伝子」(1978)以来の忠実な読者で、ほとんどの著書を読んでいる(日本語で読んだものは一冊もないが)。The Selfish Gene は、繰り返し読み、フランス語版も読んだほどだ。

今から30年以上前に彼が日本に講演に来たことがあった。勤めが終わってから夕方一人で地下鉄を乗り継いで講演会場に行ったのを覚えている。講演の最後に質疑応答があり、手を挙げて英語で質問した。今では何を質問したのかも思い出せない。Extended Phenotype 「延長された表現型」についてだったと思うが、はっきりしない。直接当人に質問できたというだけで舞い上がっていたミーハーな追っかけだったのか。面目ない。いずれにせよ、彼はわたしにとっては現存する最も魅力ある知的ヒーローだった。

 

コロナ茶番、ワクチントリックの過去3年ほどのあいだに彼はさまざまな発言をしていたようだ。わたしは、ほとんどそれらを目にしていなかった。今から思うと、わたしは彼のそうした発言を目にしたくなかったのかもしれない。目を背けていたのかもしれない。自分が憧れていたヒーローのぶざまな姿を見たくないという気持ちが心のどこかにあった気がする。

その私の知的ヒーローが、ワクチンを支持し、推奨し、反ワクを批判している事実を知るのには、一抹の寂しさがあった。

 

 

今回の世界的ワクチンキャンペーンは、世界のアカデミズムの虚妄を見事に炙り出した。

ワクチントリックを見抜けない学者たち、  医療体制の邪悪さに気づかない論客たち、  気づかずにトリックに加担する知識人たちがいた。

もちろん、ワクチントリックを知っていて推進し、利益を得てきた学者たちがいちばん罪は重い。

しかし、気づかずにワクチン推進の旗を振っていた学者の罪も非常に重いはずだ。リチャード・ドーキンズが、これに属することは疑い得ない。

 

 

コロナ・ワクチンの3年で社会は分断した。それを以前、以下のように図表化したが、再度ここで使う(言及用に数字を付した)。

「建前」の行では、Cがワクチン反対派、つまり反ワクである。(  )内の「ワクチン主義」とは、一般論としてワクチンは有効であり、必要なものだ、という考え方を指す。

 数字は、同じ枠内での選択肢を示しているだけで、通し番号には意味はない。

いちばん下におおまかな人口比を示した。2021年当時での予想であるが、「Aが70%以上」は、結果的に決して間違ってはいないが、実際は80%前後であろう。甘い見通しだったと思う。

 

さて、話をリチャード・ドーキンズに戻す。

欧米では現代有数の論客とされている彼は、「A」 にすっぽり入っている。

「主張」では、1の積極的肯定(ワクチン推奨)

「行動」は、もちろん 「接種する」

「行動の理由」では、4の「ワクチン主義を信奉」

「実態」はけっきょく、世界的に知られた知的巨人ではあっても、「ウソを真に受けて騙される」 に終わったのである。

 

 

 

 

 

世界中に 300万人のフォロワーがいる、この懐疑主義者で合理主義者で、実証主義者の世界的に著名なインフルエンサーが、「ワクチン接種をすべきです」 と言ったのである。ワクチンにお墨付きを与え、接種を強く勧めたのである。接種者の数を増やすのに大きく貢献したと考えられるのではなかろうか。

はっきり言って、ドーキンズは、世界中の多くの自分のフォロワーを結果的に苦しませ、早死にさせたと言える。実に無責任な、罪なことだと思う。ひとの生き死にに関わることに、しなくてもいいのに、わざわざ介入して、そそのかしたのである。

すでに書いたが、ドーキンズは、LGBT や移民問題や宗教問題等々、様々な問題について持論を展開している。しかし、ひとの生き死にに直接関わるワクチンについての発言は、別格であり、決して見逃すことはできない。

 

 

リチャード・ドーキンズは、科学の啓蒙家としても本を書き、世界各地を飛び回って数多くの講演をこなす YouTuber でもある。オックスフォード大学を卒業し、同大学で教え、オックスフォードに住んでいる彼は、アカデミズムのエリートそのものである。ウィキペディアでは以下のように書かれている。

「熱烈な無神論者、反宗教主義者、懐疑主義者、ダーウィニストとして知られ、世俗的ヒューマニズムやブライト運動、科学的合理主義の推進者でもある。2004年にプロスペクト誌が行った「イギリスの知識人100人」で首位に選ばれた。2006年(65歳)の著書『神は妄想である』は2007年11月の時点で英語版の売り上げが150万冊に達し、31言語に翻訳された。今日、彼の著書の中で最も有名な一冊となった。」

 

そして、科学を信奉するエリートは通例、ワクチンは人類の英知と思うのだ。しかし、ドーキンズは、普通の知的エリートとは違うはずだ、とわたしは思っていた。

わたしが残念でならないのは、彼ほどの合理主義者、懐疑主義者、宗教批判者、実証主義者、反権威主義者が、反ワクチン主義(反ワク)を占星術やフラットアースと同列と見なしていることである。つまり、自分が気に入らない相手を 「科学 vs 迷信 の図式」 に当てはめて切り捨てている。

ドーキンズはまた、代替医療、ホメオパシーも批判している。つまり、根っからの西洋医学の信奉者のようだ。当然、ワクチン信奉者だ。

そればかりではない。彼は、9.11 もアラブのテロリスト犯人説として疑わず、アポロ月面着陸も事実として疑わず、それらに疑問を抱く人間を陰謀論者として侮蔑している。

彼ほどの八面六臂の論客はあまりにも忙し過ぎて、もはや相手の主張を個々に吟味する暇はなく、「非科学的な迷信」 というカテゴリーに相手を放り込んで、そばからシュレッダーにかけている印象がある。

ドーキンズは、遺伝学者ジェリー・コインの発言を次のように引用している。「本当の戦いは合理主義と迷信の間で繰り広げられている。科学は合理主義の一形式に過ぎず、一方で宗教は最もありふれた迷信の形式である」 

この遺伝学者の指摘は非常に重要だと思う。つまり、今日の 「科学」 という体制化された知は、合理主義の一つのかたちに過ぎない、ということなのだ。しかし、引用している当のドーキンズは、このジェリー・コインの趣旨を捉えそこなっているように思える。本質的な 「合理主義」 の精神を忘れ、体制化した 「科学」 の権威を使って、「疑似科学」を断罪するようになってしまったのではなかろうか?

 

ドーキンズの敵は反ワクだけではない。宗教(キリスト教、イスラム教等々)、LGBT、代替医療、疑似科学等々、多数である。ドーキンズは 「科学」 という錦の御旗を振りかざして、さまざまな迷信を打破してきて、多くの場合、確かにそれは成功した。

しかし、彼が攻撃した 「反ワク」 は、科学的には多くの医学論文で否定されているかのようだが、実はその医学論文を含む科学・医学のパラダイムじたいが邪悪なビッグファーマによって20世紀に営々と作り上げられてきた壮大な虚妄だったのだ。

つまり、現代有数の懐疑主義者、合理主義者、反権威主義者であるドーキンズすらも、見事に騙して味方につけるほどのパラダイムを作り上げる権力と財力と支配力をもった勢力が隠然と20世紀に台頭していたのだ。

ドーキンズの愛読者であるザウルスがこうした、ドーキンズとは異なる視点を持つに至ったのは、もちろんザウルスの経歴がエリート学者とは程遠いことが決定的だ。(^-^; エリート学者のドーキンズの思想を理解し、彼から学んだ合理主義、懐疑主義、実証主義、ダーウィニズムを、エリートの特権的立場無しに、現実社会に適用して、透けて見えてきた結果なのだ。

 

 

 

 

 

ドーキンズは20世紀からすでに科学の信奉者、啓蒙者として活躍してきたが、21世紀のコロナ・ワクチン時代に突入すると、そのまま、ワクチンを科学の英知、栄光として賛美することになってしまった。ワクチン推進の旗振りに見事に成り下がってしまったわけだ。これは彼の一生の不覚ではなかろうか。

ドーキンズは、本来の合理主義者、懐疑主義者、実証主義者のままに物事を見て 「先入観無しに」 判断すれば、ワクチンというものが相当に怪しい代物であることはわかりそうなものだ。

ドーキンズの信奉者でずっと来たザウルスは、ドーキンズから学び、吸収したそのほとんど同じ合理主義、懐疑主義、実証主義、ダーウィニズムに基づいて考え、このコロナ・ワクチン時代にあっては、「反ワク」 こそが正しいという結論を出さざるを得なかったのだ。

以下の Survivability Index は生存力指標。権威主義、楽観論・軽信派、接種受容、反陰謀論の傾向の人間は生存力指標がマイナスである。一方、反権威主義、慎重論・懐疑派、接種回避、陰謀論の傾向の人間は、生存力指標がプラスということである。言うまでもなく、生存力指標がマイナスの人間は、不適者淘汰の対象である。接種回数が1回の人間は、生存力指数がマイナス1である。5回の人間は、生存力指数がマイナス5である。

 

 

 

けっきょく、ドーキンズは、コロナ・ワクチン時代に人類史上空前の 「不適者淘汰」 が目の前で進行していることに気づかなかったのである。ドーキンズから徹底的にダーウィニズムを学んだザウルスは、20世紀にはすでにダーウィニズムの本質は「適者生存」ではなく、「不適者淘汰」であると考えるようになっていた。そして、コロナ・ワクチン時代に入って、その 「不適者淘汰=生存価値低位者排除」 が目の前で繰り広げられていると認識した。

もちろん、コロナ・ワクチン時代の 「淘汰」 は、計画され、計算され、準備され、組織化され、演出された 「人為淘汰」 であって、純然たる「自然淘汰」ではない。しかし、たしかに淘汰圧は人工的なものではあるが、淘汰が人為的であるか自然のものであるかを問わず、「不適者淘汰」の原理、つまり、生存価値低位のDNA が集団(遺伝子プール)から排除されるというメカニズムは貫徹しているのである。警戒心のDNAが乏しいカモシカがワニに食われるプロセスと同じということである。

言うまでもなく、コロナ・ワクチン時代において、「不適者=生存価値低位者」とは、ワクチンを疑わずに接種する人間のことである。注意力の DNA を欠き、生存上の危険に無頓着な個体である。そして、まんまとワクチントリックに引っかかることは 「自発的不適者淘汰」 と言える。

ザウルスはこう考えたのだが、リチャード・ドーキンズは、ワクチンを接種しない 「反ワク」 こそが 「不適者=生存価値低位者」 と考えていたのである。実に凡庸な発想ではないか!「利己的遺伝子」でデビューしたときのあの切れ味はどこに行った!

しかし、彼の判断の基となるワクチンパラダイムは、20世紀にビッグファーマとWHOが巧妙に作り上げたものであり、アカデミズムの世界のほとんどの人間が受け入れて疑わなかったものなのだ。

アカデミズムのエリートはたくさんいて、そのほとんどがワクチントリックに騙されたのは理解できる。しかし、リチャード・ドーキンズは、エリートではあっても、懐疑主義、合理主義、実証主義の論客として幅広く活躍してきたダーウィニズムの主唱者だったのだ。

ダーウィニズムの随一の継承者であるはずの彼には、「ワクチンによる不適者淘汰」が見えなかったのである。

自分がワクチンを接種するのはかまわない。しかし、自分の300万人のフォロワーに 「誰でも接種すべきです。 Everyone should take it.  とまで言ったのは、実に無責任で罪が深い。彼の言葉に従って接種し、ワクチン後遺症になったり、死亡したフォロワーに対して責任が取れるのか?ドーキンズは300万人のフォロワーに向けて、ワクチンを推奨したことを謝罪すべきだろう。

これは、ドーキンズの一生の不覚であり、ダーウィニズムの歴史上最大のアイロニーである。

 

「ワク推しで、晩節を汚したリチャード・ドーキンズ」

 

 

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4 コメント

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わからないことばかりだけど (とまとまと)
2023-09-18 00:10:58
>『神は妄想である』
コロナ教、ワクチン教のご本尊が妄想か真理か
本来の科学ではそれぐらいだけは、わかりそうな気がします。疑うことを忘れて、ただただ妄信する科学教でなければ。。。

{/redleaves/
Unknown (ウボ)
2023-09-18 11:57:58
科学(サイエンス)だけが学問ではない:

サイエンスだけが学問ではないのである。例えば政治学、法学は思考力を要する学問ではあるが、サイエンスではない。余談ながら、数学はサイエンスに利用されるが、数学はサイエンスであろうか? 否、私の理解では数学はサイエンスではなく、神学の一分野である。なぜなら数学は「この世」に縛られず、「現実」を超えた思考を許される。つまり「神」の領域なのだ。神は現実に縛らず、より自由である。

そういうわけで、サイエンス至上主義者は、時に道を誤る。自分は何にでも思考力があると勘違いすることがある。

○ ミネルバの梟(ふくろう)は黄昏(たそがれ)に飛び立つ

のだ。サイエンティストが先走ってフライングしたら、ろくなことがない。データが十分揃わない状況でサイエンティストは知ったかぶりをするな、ということである。サイエンスとはそういうものた。

このパンデミック騒ぎ、新型ワクチン騒動は、サイエンス以前に政治的、法学的な出来事である。求められるのは政治的・法学的なセンス・思考力なのである。例えば、接種を回避した著名人に世界政治へのセンスがある人々がいる。米国大統領選挙のおかしさを追っているうちに、なんだこのコロナ・ワクチン騒動は? これは全体主義ではないか! と感づいたのでだ。

データが揃ってから、では遅い。サイエンスを待てない。そういう差し迫った状況で求められるのは政治・法・経済のセンス・思考である。何かおかしいと感ずる嗅覚なのだ。

私はリチャード・ドーキンズのことは良くわからない。なるほど超一流のサイエンティストなのであろう。しかし、そういう人物が、政治学・法学的なセンス・思考力にも恵まれているかどうかは、また別の話である。こういう問題にも自分は優秀だと勘違いして頭を突っ込み、大きく誤るのは、如何にもありそうなことではないか。
Unknown (ウボ)
2023-10-15 15:36:05
もし マイクル・クライトン が生きていたら:

歴史に「もし」はないとか言いますが、もしマイクル・クライトンが生きていたら、コロナ茶番・ワクチントリックの動きも違っていたのではなかろうか? 彼は大変博学な現代の知識人の一人だった。

彼には「ジュラシック・パーク」のように超売れたSF
作品の他に、渋い著作群もあり、私は "Travels", "Rising Sun" などは原書で読みました。クライトンの英文はセンテンスが短く単語はやさしく、一般大衆向けに書かれています。「恐怖の存在」では環境を巡る事柄を扱っていました。

マイクル・クライトンが確か2008年に66才で亡くなった時には、私はその早すぎる死に驚きがっかりしました。やや難しい事象を人々にわかりやすく伝えることが出来る人が、やはり切に求められますね。
ウボ さま (ザウルス)
2023-10-15 16:48:27
マイケル・クライトン、懐かししですね。僕もいくつか原書で読みました。地球温暖化のウソを突いた State of Fear(2004) を覚えています。しかし代表作は「ジュラシックパーク」でしょうね。映画で済ませていますが。クライトン以外では、ダン・ブラウンをほとんど読みましたが、同工異曲に飽きましたね。

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