
「接種して世界を救う」と思ってた? 大義に弱い日本人?
大挙してコロナワクチンを打っていた国民の大半にとって、ワクチン接種は単に「恐ろしい感染症の予防」というネガティブなだけのものではなかった?
21世紀の人類が直面した 「人類存亡の未曽有の危機」 を、「ワクチンという人類の叡智の結晶」 によって乗り越えるという「壮大でヒロイックなドラマ」として捉えていたひとがかなりいた?
病気の予防という ネガティブ な意味だけでなく、全世界の人類による ワクチン接種という共通の行為が、「コロナウイルス(=恐ろしい敵)を打ち負かすというヒロイックで崇高な物語への参加」として ポジティブに受け止められていた?
ワクチン接種は単に自分のためだけではなく、「世のため人のためになる立派な行為」であるかのように勝手に思い込んでいた人がそこら中にいたし、今でもいる?
ワクチンを接種しない少数派をまるで非国民のように、反社会集団であるかのように扱う風潮があった?
「コロナウイルスによる世界人類の危機」を乗り越えるために、みんなでワクチン接種をすることが、テレビ・新聞を通じて「問答無用の大義」となった?
実際はまったく空疎なその「大義」が多くの日本人を突き動かし、何度も接種させた?
特に高齢者ほどこの 怪しい「大義」に踊らされ、勇んで接種会場に向かった?「世のため人のためになれる接種券の赤紙効果」に高齢者ほど突き動かされた?
「世のため人のために接種する」という一般の日本人がコロリと参るステルス的プロパガンダによって、善意の人ほど何度も接種する羽目になった?
日本政府、WHO というお上 に設定された大義を疑うことなく信奉して突き進む日本人・・・
権威を疑うことができない性善説過剰の日本人?
破局に至るまで突き進むしかない日本人?
大義に弱い日本人?
日本人は教条主義に容易(たやすく)く染まってしまう傾向がある。お医者さま信仰もその一つ。そして積極的にそれに参加する。そもそも診療科目により違いはあるにせよ 医師という技能集団の教義そのものが、バベルの塔のようにそびえ立つ教条主義の固まりのようなものだと私は考えます。
その教義が現実に適合していれば幸いだが、そうでない場合は時に悲惨なことになる。妊婦に新型コロナ"ワクチン"を強要した産婦人科医集団は、日本の人口動態に重大な悪影響を与えているのではありませんか?
疑うことを禁じたらサイエンスではない。ガリレオ・ガリレイが「それでも地球は回っている」と呟いたという話がありますが、教条主義の厄介なのは 利害集団が絡んでいるから - 要するにお金のこと。ローマカトリック・バチカンが弾圧したわけだ。そんなことを言われたら困る。だから教条は 往々にして 山のように動かし難い。
ニコニコ動画で発信している 天狗さん がこれらの受益者集団を「ウンコに集(たか)るハエ」と例えていました。言いえて妙。生産性にも経済充実にも全く寄与しないのに 日本では百兆円ものカネを 財務省らの合意のもとに 中央銀行が刷って 利益集団にばらまかれたと言われる。ブレーキをかけながらアクセルを踏んだ。当然ながら物価が上がる。このようなことが世界的にシンクロして行われたのであるから、このプランデミックの首謀者が何処の誰であるかは 指を指されていましょう。
いわく、愛、健康、思いやりワクチン・・・ その偽善性を見破るのは、思うより簡単ではないのかも知れない。
なぜ信長は殺害されたのか? なぜ利休は切腹を仰せつかったのか? もっと高く大きな視点から見る必要はないか?
遅れて新教徒も来た。信長、秀吉、家康はどう対応したか? 彼らから学ぶことがあるかも知れないと私は思います。