破
珠子様は七歳でお父上を亡くされて・・・。
白河法皇に一身に寵愛(ちょうあい)をうけておられた祇園女御(ぎおんにょうご)様のもとへ御養女としてお入りなられ、そこで法皇に孫のように可愛がられた藤原璋子様・・・。そこから運命(さだめ)の糸は複雑に縺(もつ)れあい絡み合いを見せるのでございますが・・・。
藤原璋子様、中宮璋子様、それから待賢門院様へ、女子と致しましてどうであられたのかと・・・。
西行殿、あの頃の堀河の女と致しましての感情の起伏より、今はあの頃のことを静かに眺め、振り返ることが出来るのでございます。
総てを捨てこの西山に庵を構えなにの柵(しがらみ)もなく過ごし御仏の使いとして、経を読み、書き写す心静な日々、今まで見えませなんだ物が見え、物事の理(ことわり)が分かるにつれて・・・。振り顧みますと、私の人生は女院様の生き方の中にありまして、私を語るときには女院様の総てを語らなくてはなりませぬゆえ。
それゆえに・・・。
女院様と親しかった西行殿にお会いしてみとうなりましたのです。
源顕仲の娘として生まれ、父の影響から歌を学び、堀河として中古六歌仙の中の一人、また「千載(せんざい)和歌集」にも取り上げられ歌詠みと認められるようになるその道程(みちのり)で、令子(よしこ)内親王の女房、六条としましてお仕え致し、それから堀河の局としまして藤原璋子様に・・・。
祇園女御様を源忠盛殿へ下げ渡したその夜、お二人はなにの差し障りもなく結ばれました。璋子様は幼き頃より白河法皇にまるで成熟した女のよう甘えになられ、胸に抱かれておいででございました。
それは艶っぽく、男の心を蕩(とろか)すいたずらの瞳とあどけない仕草を持っておいででございました。それにもましてお声は男の心を擽(くすぐ)り魅了する響きをお持でございました。お生まれついての御気性だったので御座います。
女子の私は振り返ってみますれば羨ましゅうさえ思えるのでございます。あれほど愛される女子の幸せを知らぬゆえなのでしょうか。
月の物を知ったすぐ後、男を向かい入れる、歳の端のいかぬ少女の痛々しい性。女として生きる意味を知らされるということ、夜毎の営みがより深い悦びに誘うということ。そのお相手がまして、この國一番の権力者に愛されていることになればこれ以上の女の冥利(みょうり)で御座いませんでしょう。女子は強い男の愛を欲しがるものでございます。
常に雌は強い雄を欲するもの、それはあらゆる動物(いきもの)の世界の成り立ちでございましょう。森羅万象悉(ことごと)くその営みが・・・。人の世も変わりませなんだ。
堅い蕾が男の愛撫で柔らかく揉みしだかれ白く粉を吹いた柔肌に変わり、ふっくらと丸みをおび括れた曲線をたたえたお肢体(からだ)にお変わりになる、森羅万象自然の理とはいえ、見事な女の脱皮を見たようでございました。
西行殿、今は櫻も蕾をつけ寒さに耐えてはおりますが、やがて綻びてまいりましょう。寒い冷たい季節を耐えたものだけが初めて花咲かす事を許される、人の世もまた変わりませぬ。苦しみ辛さを耐えた者が許される誉れ・・・乗り越えられ血肉にされてなお励まれる修養。・・・まるで風の様で・・・それを受け流す柳の様で・・・。定めに流されるのでなく流れるそれが西行殿の生きた・・・。
西行殿、お見事でございますな。
白河法皇は璋子様の行く末を按じられて幾つかのご婚儀の話を進められましたが、祖父のように可愛がられた白河法皇との交わりを知っていてなんのかんのと逃げて話がまとまりませぬので御座いました。処女(おぼこ)でなくてはと言うような風習はありませなんだが、祖父と孫が愛し合うような間柄、そのことには男と女の出入りに寛容な時の世でも神経を逆立てたのでは御座いますまいか。
祇園女御様のように、白河法皇に愛され後に源忠盛殿へ下げ渡す、何人もの男を引き込みながらも輿入(こしいれ)する、そんな世間では御座いましたのに・・ ・。
最後に白河法皇はお孫にあたる鳥羽の帝(みかど)への話を創りまして御座います。
鳥羽の帝は何とも言えずそれをお受けになり、鳥羽の帝十五才、璋子様十七才、入内(じゅだい)が決またのでございます。
璋子様のお心がどうであられたのか、最初にお肌を会わせたお男(ひと)、初めて蕾を開き甘い蜜をおすいになられたお人、そのお人が進めるご婚儀に従わなくてはならぬ我が身の運命。その運命を抵抗(あらがう )ことも許されない事にどれほどの哀しみをお味わいになられたか。お話が決まりましての璋子様は終日泣き明かしておいででございました。そこえ白河法皇がお越しになられ白いお肌に馴染まれる、その慰めの行為により喜びと哀しみが交錯致しておいででございました。断ることの出来ない肢体(からだ)との戦い、求めるいじらしい一途さ、お側で見ている私達は切なさに身を捩(よじ)りました。
入内の儀の日はとどこうりなく過ぎましたが、その夜から高熱に身を妬(や)かれまして御座います。夜には庭に出て衣をむしり取り、髪を掻き揚げ狂ったように泣き伏したのでございます。
夜空に上がった蒼い月が池の水面に写り微かに揺れておりました。がたちまち雲の中へと隠れたのでした。
鳥羽の帝とご婚儀がなされてもご一緒に過ごされることはなく、ご病気を口実に御所に篭もられる日々で御座いました。
数日が過ぎまして璋子様は御所をお出になられ白河法皇のもとへ・・・。
中宮璋子様のお便りを運んだのはこの堀河で御座いました。色々と言い訳を設けての逢瀬、女房達ははらはらと気を揉みましたが・・・。
鳥羽の帝に入内なされ女御から中宮(ちゅうぐう)となられましても白河法皇との中は続くので御座います。璋子様を一度はお離しになられた白河法皇は異常とも言える愛欲をみせられ以前にもましてお肌を欲しがられたのでございます。
それは、匂いを放ち蜜を滴らせて待つ花びらに吸い寄せられる蝶の様を見るようでございました。
それからは世間を気にすることを忘れられたかのように白河法皇が御所にお出向きになられ、昼夜を問わずお過ごしになられました。そんな時、女房達はお二人の気配を押しやるように習いごとを始めるのが常でございました。
その時、白河法皇は六十七歳を過ごしになられ眼窩(がんか)は垂れて喉元に弛(たる)みをたたえ老いの染(し)みや皺を表されておられましたが、まだまだお若こう御座いました。それはまるで璋子様の若さを吸い取り若さを保っているようにお見受けいたしましたが・・・。
璋子様は、十七歳の幼さをお感じさせないほどの女の色香を見せておいででございました。それは白河法皇によって掘り起こされ目覚まされ磨かれたものでございました。
濡れたような黒髪、ふくよかな頬、潤んだ瞳、瑞々しく透き通った肌、それは正に落ちる前の果実のようでございました。それを鳥達が啄(つい)ばむ、まさに 白川法皇は一羽の鳥・・・。
そのころの女院様のお美しさは堀河も身震いがするほどで御座いました。
白河法皇はご信仰の篤(あつ)いお方でございました・・・理の何たるかの造詣(おもい)は深こう御座いました。そんなお方でさえ理性で抑(おさ)えられぬものがあったのでございます。それは枯れていく命を次の世へという欲・・・。
一年の後、皇子を身篭もるので御座います。鳥羽院から伯父子と言われた崇徳の帝でございます。お二人目の禧子(よしこ)内親王も白河法皇のお子か鳥羽の帝のお子か定かでは御座いませんが・・・。不義と言うより鳥羽の帝が黙認した仲でのことでございました 。
なんとも総てが思いの外、祖父と孫が一人の女を同時に愛するという倫理(ひとのみち)とか常識では図り知れぬ世界であったのございました。