yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

何ともやりきれない・・・。

2011-04-07 00:42:47 | 独り言

何ともやりきれない・・・。

 情報の錯綜に振り回されている方も多かろうと思う。と言うことは政府の会見を信用していないと言うことだろう。
 思うに過ぎたるは及ばざるがことし、ある程度大袈裟に構えている方がいいかもしれない。それが起きなかったら甘んじてそしりを受け、何もなかったことを喜べばいいことなのである。
 日本は震災で被害者になったが原発事故で加害者になった、という。
 つまり地震は天災で原発事故は人災であると言うことなのだ。かつて、わたしは人間が扱えない物を使うべきではないと言った。まさに原発事故はそれである。放射能の中和剤もなくただ水で冷やすことしかないと言うのだから、原始的で技術の進展はなく、良くもそれを安全として公言し使っていたものであると思う。
 わたしが市民運動をしていたときに、原発反対を訴えたのは、非核三原則に抵触するのではないかと言うことだった。核を使って原発を造ると言うことは、直ぐに原子爆弾が造れるからでもあった。「簡単に原子爆弾を造る方法」という本を読んで一層それを感じた。軍事評論家の小山内宏さんが書いていたのだ。それを書いて小山内さんは官憲からマークされたのだ。まあ、実際非核三原則は名ばかりで、持たない、造らない、持ち込ませないは、アメリカの原子力空母で持ち込まれ、原発で持ってしまい、造ってしまっていた。前にも書いたが、原発があれば原爆はいとも簡単に造ることが出来るのだから造らないというのことは詭弁になることで、原発を持つことはつまり核を持つということになるのだが、今でも非核三原則を提唱しているのはおかしくないのだろう。非核三原則は言葉だけになって行ったのだ。言葉のあやで縮小解釈をすれば違反になり、拡大解釈をすれば違反ではないという、不思議な物になっているのだ。
 この二、三日は西日本にも、北海道にも放射能の飛散はあると言う観測データーを発表したのは日本政府ではなく、ドイツ、ノルウェーの気象データーであった。日本政府は気象庁からの風の流れの報告を貰っていながら国民には隠していたのである。意図的であった。風評被害を懸念しての物であろう、国民がパニックになると案じての物かその真意は分からないが情報操作をしたのである。が兵庫県の農産物から放射能が検出されシンガポールで拒否されたことを考えれば、福島原発周囲の県だけの観測だけでは駄目なのではないかと国民は思うようになっている。わたしの住む岡山は兵庫と隣接しているから放射能の汚染はあるかも知れないという疑心暗鬼になるのは当たり前なのだ。
 ツィッターで東電と政府と原子力保安院を徹底的に批判したある女性は流言飛語であると非難囂々であるがそんなことはへのカッパと前より激しく攻撃中である。が、母と京都に疎開、今では九州に逃れている。わたしの行動が無駄であることを願うという。それはソフトバンクの孫さんも、「この原発による国難が無事に何事も無く過ぎて「お前が騒ぎ過ぎた」と批判された時、私は心の底から喜んで辱めを受け入れます。本当に皆と一緒に日本の無事を祝福。私自身の名誉や批判などは、人々の命の尊さと比べる次元のものにあらず」と言っている。
 あくまで危惧であって欲しいと言う願いからの発言であるまだ。言葉だけではない皆様も承知して居るであろうが、百億円を義捐し、将来の役員報酬を寄付するとまで言っているのだ。口先ばかりの政治家や御用学者の言葉より孫さんの言葉がいかに大きく人は信じるであろうか。日本人の金持ちは人間にとって何が大切かが分かっていないようだ。金にすがりそれをステータスにして生きればいいのか、貧しいとしか言えない。情けないと言いたい。
 国会議員は一体何をしているのか、震災復興のために国民から税金を取るなどと言っているが、議員は少しも身を切らないで居る。多少の報酬カットではすまされないのではないか、まずこの際政党助成金三百六十億のカットと政務調査費のカット、議員宿舎を被災者に提供する。まず自らが最初に身を削るべきなのではないか。そうしなくて国民に税の負担を強いるようなことがあっては国民も黙っていないだろう。国会へ押し掛けることになり暴動が起こりかねないのだ。政府は東電の補償の肩代わり、国民の税金を使われたのではたまった物ではない。復興資金として年金機構の金を使うという様な噂も出ているが全く馬鹿に付ける薬はない。これ以上国民を犠牲にしてその場を繕うのご勘弁願いたい。
 放射能の汚染水を海洋に放棄した現実は国際的に信用を失う結果になった。正に、国際的に加害者になったのである。原発事故に関わっている人たちには頭が下がるが、宿舎の廊下で寝起きする忍耐力には、東電の幹部がスイートで寝起きしていることを考えればなんたる扱いかと腹が立ってくる。
 東電の体質は前にここに書いたが、その体質は今でも直っていないのだ。今まで儲けさせて貰ったという恩義でマスメディアは東電のことを書かない。全く情けない、正義も自覚もまったくないと言わざるをえない。東電は人災として今しなくてはならないことをすべきなのだ。被爆者に対する補償である。今までの対応で補償金の拒否が起こっても一軒一軒ドアーを叩き手渡すことなのではあるまいか。市や県に丸投げをしては誠意が見られないのだ。これは東電だけではない、日本の電力会社に共通している体質なのである。
 初動の認識の甘さがこの事故を大きくし事は否めない。
 武田邦彦教授は毎日自らのブログで今どのように考えればいいかを書いておられる。
 わたしは公害闘争をしていたときにPPMでごまかされた。今またシーベルトとベクレルに翻弄されようとしている。空に鳥たちが囀り、河に魚が泳ぎ、作物が育つ事がPPMより遙かに分かり安い。放射能はその鳥や魚をじわじわと殺傷する。それは人間にも通用することではなかろうか。

 悲しいうたが聞こえてくる。
 それは「リンゴのうた」ではない。

 このように書くことが全くの徒労であった欲しいのです。