ゆりゆりダイアリー

育児と仕事に追われながらも“日々是好日”をモットーにガンバる ワーキングママのつれづれ日記

まおさん

2016-11-23 14:56:27 | Weblog
私は以前から毎日、幾つかのブログをチェックしている。
共通するのは、すべて、病気と闘っている方あるいはそのご家族のブログだということ。
私自身が直接何かの助けになることはできなくても、
病気と闘っている方の思いを少しでも共有し、身近に感じて、
遠くから一緒に祈りたいと思っている。

一番長く、もう3年以上にわたって見ているのは、
ハワイで暮らしながら脊髄小脳変性症と闘っている方(のご家族)のブログ。
遺伝性の病気であるため、旦那様そして愛する娘さんまで発症し、
その方は、2人の運動機能の低下・認知の問題・人格変化などと必死に闘っている。

そして、小林麻央さんのブログもそのうちの一つ。
麻央さんのお姉さんの麻耶さんと旦那様の海老蔵さんのブログとともに
この数ヶ月間、3人のブログを毎日読ませてもらっている。
その麻央さんが、世界で影響力のある女性100人に選ばれたことが、本日、ニュースになっていた。

私がブログを始めてかれこれ8年ちょい。
誰に見せるでもなく、あくまで自分の防備録(日記)的な位置づけで書いてるので
写真を載せたりリンクを貼ったりは今まで一度もしてこなかったけど、
今日だけはリンクを貼りたいなと思いました。
彼女には、ブログでの病の公表に批判的な意見もあるようだけど、
私は素直に応援したいなと思います。
http://www.bbc.com/news/world-38012048

ハワイで闘っている淳子さんのブログのリンクもよろしければ是非。
http://ameblo.jp/junko-shiozawa/

以下、BBCに寄稿された麻央さんの今の思いだそうです。
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2年前、32歳の時に、私は乳癌であることを宣告されました。
娘は3歳、息子はまだ1歳でした。
「治療をして癌が治れば元の自分に戻れるのだから大丈夫!」と思っていました。
けれど、そんなに簡単ではありませんでした。
今も、私の身体はがんと共にあります。

私はテレビに出る仕事をしていました。
病のイメージをもたれることや弱い姿を見せることには「怖れ」がありました。
なので、当時、私は病気を隠すことを選びました。
隠れるように病院へ通い、周囲に知られないよう人との交流を断ち生活するようになっていきました。
1年8か月、そんな毎日を続けていたある日、緩和ケアの先生の言葉が私の心を変えてくれました。
「がんの陰に隠れないで!」
私は気がつきました。
元の自分に戻りたいと思っていながら、私は、陰の方に陰の方に、
望んでいる自分とはかけ離れた自分になってしまっていたことに。
何かの罰で病気になったわけでもないのに、
私は自分自身を責め、それまでと同じように生活できないことに「失格」の烙印を押し、
苦しみの陰に隠れ続けていたのです。

それまで私は、全て自分が手をかけないと気が済まなくて、
全て全てやるのが母親だと強くこだわっていました。
それが私の理想の母親像でした。
けれど、病気になって、全て全てどころか全くできなくなり、
終いには、入院生活で子供たちと完全に離れてしまいました。
自分の心身を苦しめたまでのこだわりは、失ってみると、
それほどの犠牲をはたく意味のあるこだわり(理想)ではなかったことに気づきました。

そして家族は、私が彼らのために料理を作れなくても、幼稚園の送り迎えができなくても、
私を妻として、母として、以前と同じく認め、信じ、愛してくれていました。
私は、そんな家族のために、誇らしい妻、強い母でありたいと思いました。
私は、闘病をBlogで公表し自ら日向に出る決心をしました。
すると、たくさんの方が共感し、私のために祈ってくれました。
そして、苦しみに向き合い、乗り越えたそれぞれの人生の経験を、
(コメント欄を通して)教えてくれました。
私が怖れていた世界は、優しさと愛に溢れていました。
今、100万人以上の読者の方と繋がっています。

人の死は、病気であるかにかかわらず、いつ訪れるか分かりません。
例えば、私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。
「まだ34歳の若さで可哀想に」「小さな子供を残して可哀想に」でしょうか? 
私は、そんなふうには思われたくありません。
なぜなら、病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。

私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、
2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです。
だから、与えられた時間を病気の色だけに支配されることはやめました。
なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。
だって、人生は一度きりだから。