しかし真人は、母親の声が聞こえていないように、家具の後ろや狭い隙間を覗いて、なにかを探し続けていた。
「冷蔵庫の下よ――」
と、いつからいたのか、真人が開けっ放しにしていたドアの向こうに、恵果が立っていた。「なくして困る物なら、外に持ち出さないで」
母親は、そんな場所になにもあるはずがない、と首を振っていたが、真人が、冷蔵庫の隙間からノートを引っ張り出すと、目を丸くさせた。
「なんで、こんな所にあるんだ」
と、真人が、らしくない舌打ちをしながら言った。
「よかったわね」と、部屋を出て行こうとする真人に、母親が言った。「もう、なくさないようにね」
「フンッ――」
と、真人はつまらなさそうに言うと、さっさと2階の部屋に戻っていってしまった。
「――」と、恵果は何事も起こらなかったことに、胸をなで下ろした。
「ケイコちゃん」
と、弟のあとから部屋に戻ろうとした恵果に、母親が言った。
「とうとうわかったわ。あなたなんでしょ」
声のトーンが、いつもとは違っていた。
恵果は、はっとして母親を見た。その顔は、これまでに見たことのない、厳しい表情をしていた。
「いい加減にしてちょうだい。お母さんがこれまで、どれだけ迷惑をかけられたか、わかってるの。気に入っていた食器は壊れるわ、靴は全部ひっくり返されるし、夜中にバタバタ走り回るわ、クローゼットの中の洋服も、全部床に広げられてた。人の目を盗んで、こそこそと。一体なにが楽しいっていうの? 真人のおもちゃだって、どうしてあなたが、なくした場所を知ってるの? 物知り顔でやって来て、人の困る様子が、よっぽど愉快なのね」
「――」と、驚いた恵果の目には、いつのまにか涙が溢れていた。
「もう、マコトには近づかないで」
と、母親は、手にしていた雑誌を恵果に放り投げた。
「もともと、お姉ちゃんのために空けていた部屋に、移ってちょうだい。それで、もう意地悪はできないでしょ」
と、両手で顔を覆って、嗚咽を上げ始めた母親を残し、恵果は下りてきた2階に戻っていった。
――次の日の朝、母親はいつもと同じように見えた。父親もなにかを感じてはいたが、心配そうなそぶりを見せつつも、いつものとおり、通勤の電車に間に合うように、会社に向かった。
弟の真人も、まるですっかり記憶をなくしたように、いつもと、なにも変わったところはなかった。一人、恵果だけが、なにか大きな変化が起こることを、覚悟していた。
「いってきまーす」
と、二人が学校に向かって玄関を出る時も、なにも変わったところはなかった。
しかし、恵果が、いつものとおり学校から家に帰ると、玄関のドアを開けた途端、それまでの生活が、一変したのがわかった。
玄関のドアを開けた途端、先に学校から帰っていた弟の真人が、バタバタと2階で騒いでいるのがわかった。弟だけではなく、なにやらガタンゴトンと、大きな物音も聞こえてきた。
おそるおそる恵果が階段を上ると、首にタオルを巻いた母親が、弟と一緒の部屋にあった恵果の荷物を、四畳半の空き部屋に運びこんでいた。
もともと、家を建てる時から、子供部屋にする予定の部屋だった。お姉ちゃんの恵果が生まれて間もなく、弟の真人も生まれたため、もう少し広い部屋で、姉弟とも寝起きさせることになった。
二人とも大きくなれば、別々の部屋に分けるつもりだったが、空き部屋を物置のように使っていたことから、ズルズルと、これまで姉弟は、ひとつの部屋に机を並べていた。
ドキリとして唇を噛んだ恵果だったが、思いのほかきれいに片づけられた部屋は、友達を呼びたくなるほど、すっきりと片づけられ、おとなしく飾りつけもされていた。
「どう? きれいになったでしょ」
母親が汗を拭きながら、恵果に言った。恵果は、すぐに笑顔を浮かべた。
「――ありがとう」
「前」
「次」
「冷蔵庫の下よ――」
と、いつからいたのか、真人が開けっ放しにしていたドアの向こうに、恵果が立っていた。「なくして困る物なら、外に持ち出さないで」
母親は、そんな場所になにもあるはずがない、と首を振っていたが、真人が、冷蔵庫の隙間からノートを引っ張り出すと、目を丸くさせた。
「なんで、こんな所にあるんだ」
と、真人が、らしくない舌打ちをしながら言った。
「よかったわね」と、部屋を出て行こうとする真人に、母親が言った。「もう、なくさないようにね」
「フンッ――」
と、真人はつまらなさそうに言うと、さっさと2階の部屋に戻っていってしまった。
「――」と、恵果は何事も起こらなかったことに、胸をなで下ろした。
「ケイコちゃん」
と、弟のあとから部屋に戻ろうとした恵果に、母親が言った。
「とうとうわかったわ。あなたなんでしょ」
声のトーンが、いつもとは違っていた。
恵果は、はっとして母親を見た。その顔は、これまでに見たことのない、厳しい表情をしていた。
「いい加減にしてちょうだい。お母さんがこれまで、どれだけ迷惑をかけられたか、わかってるの。気に入っていた食器は壊れるわ、靴は全部ひっくり返されるし、夜中にバタバタ走り回るわ、クローゼットの中の洋服も、全部床に広げられてた。人の目を盗んで、こそこそと。一体なにが楽しいっていうの? 真人のおもちゃだって、どうしてあなたが、なくした場所を知ってるの? 物知り顔でやって来て、人の困る様子が、よっぽど愉快なのね」
「――」と、驚いた恵果の目には、いつのまにか涙が溢れていた。
「もう、マコトには近づかないで」
と、母親は、手にしていた雑誌を恵果に放り投げた。
「もともと、お姉ちゃんのために空けていた部屋に、移ってちょうだい。それで、もう意地悪はできないでしょ」
と、両手で顔を覆って、嗚咽を上げ始めた母親を残し、恵果は下りてきた2階に戻っていった。
――次の日の朝、母親はいつもと同じように見えた。父親もなにかを感じてはいたが、心配そうなそぶりを見せつつも、いつものとおり、通勤の電車に間に合うように、会社に向かった。
弟の真人も、まるですっかり記憶をなくしたように、いつもと、なにも変わったところはなかった。一人、恵果だけが、なにか大きな変化が起こることを、覚悟していた。
「いってきまーす」
と、二人が学校に向かって玄関を出る時も、なにも変わったところはなかった。
しかし、恵果が、いつものとおり学校から家に帰ると、玄関のドアを開けた途端、それまでの生活が、一変したのがわかった。
玄関のドアを開けた途端、先に学校から帰っていた弟の真人が、バタバタと2階で騒いでいるのがわかった。弟だけではなく、なにやらガタンゴトンと、大きな物音も聞こえてきた。
おそるおそる恵果が階段を上ると、首にタオルを巻いた母親が、弟と一緒の部屋にあった恵果の荷物を、四畳半の空き部屋に運びこんでいた。
もともと、家を建てる時から、子供部屋にする予定の部屋だった。お姉ちゃんの恵果が生まれて間もなく、弟の真人も生まれたため、もう少し広い部屋で、姉弟とも寝起きさせることになった。
二人とも大きくなれば、別々の部屋に分けるつもりだったが、空き部屋を物置のように使っていたことから、ズルズルと、これまで姉弟は、ひとつの部屋に机を並べていた。
ドキリとして唇を噛んだ恵果だったが、思いのほかきれいに片づけられた部屋は、友達を呼びたくなるほど、すっきりと片づけられ、おとなしく飾りつけもされていた。
「どう? きれいになったでしょ」
母親が汗を拭きながら、恵果に言った。恵果は、すぐに笑顔を浮かべた。
「――ありがとう」
「前」
「次」