日本共産党 吉岡正史のページ

日本共産党中央委員会・党建設委員会に勤務。時々、思うことをつづります。

安倍首相。この若者たちの声に、こたえられますか?

2015年06月29日 22時23分56秒 | 日記
6月27日、渋谷駅前が、若者たちの聴衆で埋まりました。
SEALDs(シールズ=自由と民主主義のための学生緊急行動)が行った「戦争法案に反対するハチ公前アピール街宣」です。
多くのメディアにも紹介され、話題になったこの街宣。
聴衆の規模だけでなく、マイクを握った若者・学生の訴えの中身も、反響を広げました。
2人の大学4年生の訴えを、紹介します。
言葉が持つ力は、すごい。
安倍首相。
リスクを承知で訴えている、この若者たちの声に、こたえることはできますか?

首相を置いて前にすすむ(小林叶さん・大学4年生)
みなさん知っていますか。日本は世界でトップレベルの先進大国であるはずなのに、1日に100人近くが自殺している。高校、大学の学費は上がっていて、学費のために昼夜必死でバイト。労働者は派遣労働で搾取をされている。

この国は国民をなめています。私たち一人ひとりの生活など、初めからどうでもいいのです。普遍的な人間の尊厳を踏みにじっているのです。

そして、「国民を守るため」といって戦争法案を通そうとしています。どうして信じられますか。もうウソをつくのはやめてください。

つい100年前まで選挙権は常識ではありませんでした。権利を獲得するため、先人たちは血を流しました。そして、言葉を、理想を、命をかけて未来に届けてくれた。

私たちも、自分の意見を発して未来にタイムカプセルを埋めなければいけません。

安倍首相。あなたたちのやっていることはわれわれ人類への、先人への侮辱です。私たちは、あなたを置いて前へ進みます。人間の社会は進歩するのです。近いうちに歴史が証明するでしょう。




未来のためにたたかう(福田和香子さん・大学4年生)
先週の金曜日、毎週行われている抗議行動の様子がテレビで報道されました。それに対して、インターネット上で罵詈雑言を投げかける人たちを尻目に、私は、今日ここに立つことに決めました。私は本気だからです。

私や私の仲間がこの場所にこうやって立つことでどれだけのリスクをしょっているか、想像に難くないはずです。それでも、私がしょいこむリスクよりも、現政権に身を委ねた結果訪れる未来のほうがよっぽど恐ろしく見えるのです。もう人ごとではありません。全ての国民が当事者です。想像力を捨て、目先の利益にとらわれ、独裁的な指導者に首をつながれた、そんな奴隷になりたいですか。

私は今、自分が持つ全ての可能性にかけて、この法案と、そして安倍政権を権力の座から引きずりおろします。

そうすることでしか、受け入れるにふさわしい未来がやってこないからです。1%でも可能性が残っているのなら、私は声をあげることをやめません。



住民分断・対立あおる維新政治、終わらせましょう

2015年05月14日 21時53分33秒 | 日記
大阪の住民投票も、いよいよ終盤です。
大阪市を市民もろとも行政上も地図上からも消し去り、
住民サービスを切り下げる、いわゆる「都」構想。
ウソとごまかしに満ちた構想に、強い憤りを感じます。
そんな中、今日、5月14日付の「しんぶん赤旗」に掲載された記事は、
本当に胸を打つものでした。
党HP上にはアップされていないので、ご紹介します。

対立政治、続けるのか
帝塚山学院大学教授・薬師院仁志さん

橋下市長や維新の会は、学者とそれ以外の人を分断して対立させてきた。学校現場では保護者とか生徒や教師を利害共同体でなくし、対立させる。公務員と民間人を対立させる。つまり、対立を持ち込み二つに分断して、多い方の票を取って多数決で勝ちだっていう。そういう政治をずっと持ちこんできてるんですね。

だけど、まちが発展するっていうのはそういうことじゃない。会長派と社長派が対立し、いがみ合っている会社をすばらしいと思いますか。そうじゃない。そんなことじゃ絶対に発展しないんですよ。

今の大阪は非常にまずい状態です。市民が二つに分かれて争ってる。そんなまちは発展しません。そもそも、市民は大阪市をつぶすかどうかでもめてたわけじゃない。対立なんてなかったんですよ。

もめ事を治めて合意を取るのがリーダーの仕事です。だけど、維新の政治は、もめてなかったところに対立を持ち込んだ。本当に大阪市民が豊かになることを考えてくれているのかなと思います。

私たち学者だって大阪市民です。公務員だって大阪市民なんですよ。民間と大阪府・大阪市・市民が協力しないと大阪の発展なんかないんです。

こんな対立政治をいつまで続けるのか。住民投票では、大阪市をつぶすかどうかも問われますが、人を対立させて、いがみ合わせるような政治をいつまで続けるのか。そういうことも問われると思います。(9日、大阪市で)



その通りだと思います。
橋下さんは、常に何かしらの「敵」をつくり、「対立」を演じ、「改革」をアピールしてきました。
しかし、結果的に大阪の借金は減っていない。
減ったのは、住民サービスです。
さらに、橋下さんたち維新メンバーは、住民投票を第一歩に、安倍さんたちと改憲も展望しています。
5月17日の住民投票は、大阪市の存廃に加え、この国の未来も正面から問われます。
一度、大阪市が廃止されれば、もう二度と、市には戻れません。
心から、よびかけたい。
住民投票で、大阪市をなくす「都」構想に、反対の意思表示を!

自衛隊にも広がる、安倍政権への危惧、共産党支持の流れ

2015年03月08日 10時57分23秒 | 日記
3月7日(土)、定数5の横須賀から県政に挑戦する井坂しんや市議を応援すべく、日本共産党演説会が開催されました。
ご本人の決意表明、党派の違いを超えて井坂市議を応援する勝手連の皆さん、井上哲士・参院議員の演説など、すばらしい演説会でした。
何より驚き、感動したのは、会場で紹介された横須賀基地に努めた元自衛官の方からのメッセージ。
ご紹介します。


「若い時(昭和44年)、神奈川県横須賀市にあります海上自衛隊横須賀教育隊に入隊しました。それから30年間、国と国民を守るべく自衛隊で勤務していました。自衛官の時は使命の自覚、個人の充実、責任の遂行、団結の強化を肝に銘じ、『政治に関与せず』国民の負託に応え、事に臨んでは危険を顧みずの気持ちで過ごしてきました。
ある時は護衛艦に乗り、またある時は対潜哨戒機で通信、電測要員として乗り組み、またある時は外国へ特殊通信員として随行してきました。
自衛隊を退官後も、予備自衛官として15年間、昨年まで訓練に参加してきました。そして東北の震災、広島の災害などにボランティア活動をしたり国民を守るべく過ごしてきました。
ところが、残念なことに昨年、集団的自衛権の問題が発生しました。私や同僚たちの考えが大幅に変わる事がおこりました。
これは私の考えですが、細目はどうあれ、憲法9条と言う立派な柵があるのにもかかわらず、なぜ今更の様に柵を乗り越えて戦争行為を身近にしてしまうのか理解ができません。
今までは守られていましたが、何か大きなテロや戦争行為などの争いが起きた時、政府は集団的自衛権を(自衛隊を海外に派遣する)言い逃れに使うことでしょう。
いま安倍政権の暴走行為を抑えられるのは共産党以外にありません。若い仲間も共産党しかないという考えを持っています。一番大切なことは、今の小さな子どもたち、将来ある若い人たちを危険なことから守らなければなりません。微力ながら私も命ある限り闘います

元海上自衛隊・海曹長
川村純雄」


この間、私のもとにも、学会員の方や自衛隊関係者の方から安倍政権の戦争する国づくりの暴走への危惧・不安が寄せられていましたが、このメッセージに込められた思いや決意の深さに、言いようのない感動を覚えました。

横須賀は、学生時代、民青同盟の活動で何度も足を運んだ地。「基地の町」として自民党が強い足場をもってきたこの地でも、巨大な変化が起こっている…。
20年ぶりの横須賀は、得るもの多い、訪問でした。


阪神・淡路大震災から20年~支え合いの心、さらに広げて

2015年01月17日 18時58分40秒 | 日記
早いものです。あの阪神・淡路大震災から20年。
報道に接するたび、被災地の惨状と悲しみを、昨日のことのように思い出します。

当時、私は大学3年生。
現地から刻々と伝えられる報道の1つひとつに、衝撃を受けました。
当時、民青同盟の仲間だった学生のA君。
いてもたってもいられず、自ら警察に直談判し交通許可証を取得。
「すぐ支援に行こう」と提起してくれました。
震災から1週間後。
A君が用意した軽自動車に支援物資を積み込み、昼夜寝ずの交代で20時間かけ現地に向かいました。
空襲を受けたかのような長田区の焼野原。
その中を、思い出の品など探し歩く被災者の皆さん。
冷たい食べ物が当たり前の被災地で、暖かい炊き出しは喜ばれはしましたが…。
大事な命とともに生活が奪われた被災者の皆さんに、どう声をかけたらいいのか?
自分たちに何ができるのか?
その無力感。悔しさ。忘れることができません。

その後も広がる被災地ボランティア。
いつしか、支援に行った人たちの間で、
「政治の力で、被災者の生活応援を」
が、合言葉となっていきました。
被災地と全国で運動が広がり、政府も否定していた個人補償を認める流れが生まれ、不十分ながら、今日の東日本大震災の被災者支援にも生きています。

もう1つ、大きな流れになったのは、ボランティア活動が根付きはじめたこと。
阪神・淡路大震災は、それまで「社会参加に無関心」とされた若い世代を動かし、
多くの方々がボランティアに立ち上がりました。
2年後に起こった日本海重油流出事故では、阪神・淡路大震災の被災地からも若い人が支援に向かい、全国からのべ30万人と言われるボランティアが活動。
当時、大学院生だった私。現地支援を呼びかけたところ、研究室の教授や仲間からタオルなど多くの物資が寄せられ、本当に感動しました。
この流れは、東日本大震災含め、今も根付き、広がっているように感じます。
支え合ってこそ、助け合ってこそ。
そして、政治を変えてこそ。
震災はなくせなくても、政治の力、人の力で、人災はなくせる。
この広がりを、さらに、本格的なものに!
あの日から20年の今日、心から思います。

悲しみの地から、喜びの地へ ~ 比例候補として結果報告の訴え

2014年12月17日 13時29分15秒 | 日記


投票日の翌日の15日、新宿駅西口で選挙結果を報告する街頭演説が行われました。
初当選となった宮本徹・池内沙織の両衆院議員、そして坂井和歌子、大田朝子、私の比例候補5名が訴えました。
吉良よし子・参院議員も飛び入りで訴えました。

晴天の中、実に気持ちいい結果報告の街頭演説でした。
ネットで街頭演説を知った多くの方がかけつけて下さり、「共産党!」「宮本!」「さおり!」等々のコールが何度も続きました。
本当に感慨深い街頭演説でした。

実は、私は7年前、2007年にもこの地で結果報告の演説を行いました。
国政への初挑戦となった、同年参院選の比例候補としての演説でした。
あの時、東京選挙区で挑戦した田村智子さん(現参院議員)、比例候補だった谷川智行さん(医師)、私の3名の街頭演説でしたが、当時、3名ともに議席に及ばず、くやしい結果を受けての演説でした。
ご自身は気丈に訴えながら、谷川さんの訴えがはじまると、ハンカチで目頭を押さえていた田村さんの姿が忘れられません。

あの悔しさの地で、2度目の比例候補者としての訴えは、東京比例ブロックで18年ぶりの3議席目の獲得、全国でも8議席から21議席へと2・6倍加させる結果を受けての訴えです。
議席に届いた2人も、届かなかった3名も、笑顔あふれる訴え。流れる涙は、うれし涙。
宮本議員も、涙を流しながらの訴え。
聴衆の皆さんも、何人も涙を流している方がいて、議席の重みを実感しました。

訴えにたった6名の演説。とても評判をいただき、動画としてもアップされました。
30分程度で見れるものです。ごらんいただければ幸いです。

私は、再び、党本部で党づくりの仕事に関わります。
お寄せいただいた期待にこたえらる、安倍政権の暴走に対峙できる、強く大きな党をつくる。
この分野で、がんばっていく決意です。

本当にお世話になりました。