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相模国と近国を歩く2.土肥の城願寺から城山へ

2009-09-07 12:09:35 | Weblog
相模国と近国を歩く 2
          土肥の城願寺から城山へ



 JR湯河原駅の前に、出陣前の土肥次郎実平と妻の像があります。そのとき実平は73歳であったとういう説があります。彼の館跡だといわれる城願寺を訪ねてみました。

歩く:JR湯河原駅 線路に沿って真鶴方向に5分ほど歩く。ガードをくぐる。城願寺へ。

 JRガード下から坂道を10分ほど上がると、城願寺の階段下に着きます。山門の横に周囲6メートルの巨大なビャクシン(イブキ、ヒノキ科)があります。樹齢推定8百年で実平が手植えしたともいわれます。国指定の天然記念物とあります。

 吾妻鏡治承4年(1180)8月20日の条に、源頼朝が総勢3百人を率いて「伊豆国を出て相模国土肥郷に赴かしめ給ふ」とあります。韮山北条を出て箱根峠を越えれば、たっぷり1日かかる行程です。疲れきって、ここ、成願寺の地にたどり着いたに違いありません。庭から、真鶴岬と相模湾が一望できます。

「土肥次郎の女房心さかしき者」(源平盛衰記)とあります。侍女たちと炊き出しに懸命だったでしょう。近くの農家からも手伝いを求めたはずです。3百人の腹を満たすのはたいへんなことです。そんなことを思いながら、城願寺から山頂を目指しました。

歩く:城願寺 → 山頂まで約1時間 

 山頂に「土肥城趾」と彫られた石碑があります。揮毫は男爵小早川四郎。実平の子孫が沼田荘(広島県三原市)の地頭に任じられて、小早川を姓としました。小早川の名は、小田原市の早川に由来するのでしょう。

 実平からおよそ4百年後の戦国時代、毛利元就は小早川家に息子を入れて、瀬戸内海水軍を掌握しました。豊臣秀吉の希望により、秀吉の甥が名家を継いで小早川秀秋と名乗りました。関が原の戦い(1600年)で西軍を裏切り、徳川家康に天下を取らしたことで知られます。

 秀秋の代で小早川家は絶家となりましたが、明治維新で功績があった毛利氏の願いにより、小早川家が復活しました。

歩く: 北へ尾根伝いに30分歩く。 バス停(つばきライン)

 海を背にして箱根方面へ、案内にしたがって山道を30分ほど歩くとバス停へ出ます。湯河原駅へ行くバスがありますが、せっかくここまで来たのだから、もう少し歩きましょう。案内板を見て城山トンネルをくぐって10分ほど下ると、鵐の窟(しとどのいわや)があり、その付近に多くの石仏があります。この辺りは椙山(すぎやま)と呼ばれ、旗揚げの石橋合戦で敗れた頼朝が実平に連れられて逃げ回ったところです。

目前に幕山が見えます。そのまま30分ほど山道を下ると梅林があって、3月初旬は斜面いっぱい梅の花で埋まります。売店もあります。20分ほど海に向かって歩けばバス停に出ます。周りはみかん畠で、景観もよく、歩くにはよい道です。



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