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歴史探索を楽しむ

鎌倉近郊を歩く23.義経首洗い井戸と白旗神社

2012-08-09 10:40:47 | Weblog
鎌倉近郊を歩く 23
         義経首洗い井戸と白旗神社


               (写真はクリックして見てください)

 源九郎義経の首洗い井戸と白旗神社をたずねてみました。

歩く:JR藤沢駅で小田急江ノ島線に乗り換え 藤沢本町駅下車

 駅の直ぐ南に旧東海道があります。東に5分ほど歩くと、最初の四つ角の東北側に信用
金庫の建物が見えます。その裏近くに小さな公園があり片隅に義経首洗い井戸があります。

 立て札の説明に、「文治5年(1189)に奥州平泉の藤原泰衡から義経の首が鎌倉に送られ
てきました。首実検ののち腰越の海に捨てられました。それが潮にのって境川をさかのぼ
り、この辺りに漂着したのを里人がすくいあげ、洗い清めた井戸と伝えられます。ここか
ら北方40メートル辺りに義経首塚と伝える遺跡もありました」とあります。

 吾妻鏡文治5年6月13日の条に、和田義盛と梶原景時が腰越の浜で、黒漆の櫃に納め
美酒に浸された首を「実験」した、とあります。「観る者皆双涙を拭ひ、両衫を湿ほすと
云々」(岩波文庫)です。

 泰衡は源頼朝の圧力に耐えかねて4月30日衣川の館に義経を奇襲しました。享年31歳。
それから40日以上もたって、鎌倉に送られた義経の生首はどんな状態だったのでしょう。
太陽暦では7月の盛夏です。歴史の本をみると、昔の日本酒は白濁していて、アルコール
分は5%ぐらい。今のビールのアルコールの程度だそうです。

 その程度のアルコール分では、肉片が腐乱するでしょう。当時は形式を重んじました。
首の実態はどうであれ、セレモニーがとり行われたのでしょう。頼朝の家来たちは、義経
の用兵を怖れていました。首実検のセレモニーが終わると、頼朝は直ちに奥州藤原の征討
を宣言して、出発の用意を命じました。

 首洗い井戸から北へ5分ほど歩くと、白旗神社がまします。案内書に「創立年代は不詳。
古くは白旗明神と呼ばれ、相模一宮の寒川神社を勧請したもので、寒川比古命と源義経を
祭神としている。社殿が小高い丘の上にあり、その丘が亀の形をしているので、亀形山と
呼ばれた」とあります。

 本殿に向かう石段の下に「此よりはちおうしかいとう」と刻まれた道しるべを兼ねた庚
申塔や江ノ島弁財天道標などの石塔があります。また境内には「草臥亭 宿かる比や 藤
の花」という芭蕉の句碑も立てられています。

 白旗神社横の南北道は467号線です。鎌倉街道のひとつでした。真っ直ぐに北上すると
町田、府中、川越、熊谷、足利に達します。奥州遠征軍は公称17万騎です。多くの将兵
たちが、義経の首塚を横目で見ながら北上したに違いありません。推定でいえば、腰越の
浜で首実検のあと、この地に埋められたのでしょう。義経ファンの方は、ぜひ、一見され
ることをお奨めします。