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鎌倉近郊を歩く13.逗子の徳川家達別荘と前方後円墳

2010-07-30 07:07:21 | Weblog
鎌倉近郊を歩く 13
       逗子の徳川家達別荘と前方後円墳

                       (写真はクリックして見てください)

 逗子市桜山にある郷土資料館は、徳川宗家16代家達(いえさと)の別荘でした。木造平屋建ての瓦葺き家屋が二軒あり、そのうちの一軒が資料館として公開されています。

歩く:JR逗子駅 バス富士見橋下車 蘆花記念公園内(逗子駅から歩いて15分くらい)

 公園内の緩やかな坂を上がると質素な門があって、中に入ると昔なつかしい和風建物の入り口に立ちました。庭から海をながめると江ノ島が見えて、その上に富士山の姿が浮かんでいます。まさに絶景です。

 家達は夏には庭に出て、冬にはガラス窓越に太陽の光をいっぱい受けて、湘南の海と富士山を眺めたのでしょう。徳川幕府が倒れて(1868)15代将軍慶喜から家督を継ぎ、駿河国府中藩主70万石に封じられたとき6歳でした。 翌年、版籍奉還で静岡藩知事に任命されました。

 イギリスに留学後、27歳で公爵に叙されました。明治36年(1903)40歳で貴族院議長となり、昭和8年(1933)まで30年間もその職にありました。華族最高の貴人が営んだ別荘ですが、今から見れば質素な造りです。

 郷土資料館は徳富蘆花と蘇峰の作品が中心で、民俗、歴史などの資料も展示されています。蘆花は高養寺(浪子不動)を舞台とした人気恋愛小説「不如帰」を書いて大評判となりました。桜山に住み、逗子の自然の美しさをたたえた散文集「自然と人生」を出版しました。

 資料館の裏を案内に従って上っていくと、長柄・桜山第1・2号古墳に至ります。案内書に「共に前方後円墳で、全長がそれぞれ90m、88m。遺物などから4世紀前半の築造と考えられ、県内最古の巨大古墳であって前後の歴史に続かない」とあります。

 被葬者については「葺石や埴輪など畿内的様相をおびていることから、古東海道の交通・軍事の要衝を守った大和政権と関係のある人だったのだろう」とあります。4世紀前半といえば、大和政権が誕生して間もなくのころです。神話時代、逗子は大和と房総半島を結ぶ交通と軍事の重要拠点だったのでしょう。

 来た道を通って田越川畔に戻ると、六代御前の墓があります。平惟盛の嫡男(清盛の孫)で、平家滅亡のとき京都嵯峨野の大覚寺辺りに隠れていました。捕えられて処刑されるところを文覚上人の嘆願で助けられました。のちに文覚上人が反逆の罪で佐渡へ流されると六代御前は鎌倉に送られ、田越川のほとりで斬首されました。彼の遺臣たちが、堂を建立して墓守りをしたのだそうです。

 湘南の海を眺め、散策するには好い処です。春には桜を、晩秋には紅葉をめでることができます。