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鎌倉近郊を歩く7.披露山の古東海道

2009-02-23 07:53:17 | Weblog
鎌倉近郊を歩く 7
           披露山の古東海道



 古東海道は藤沢から鎌倉を通り、葉山へ出て走水へ抜け、上総へ渡りました。鎌倉から葉山に行くには逗子を通らなければなりません。

 厨子市教育委員会の「歴史と伝説の道」に、「古東海道は鎌倉から小坪峠を越えて姥が谷へ下ります。ここから小学校前を通って披露山へ上がり駐車場手前の古道七曲りを新宿海岸へ出ていました」とあります。

歩く:鎌倉駅 材木座海岸 光明寺裏山 小坪小学校 披露山 浪子不動 JR逗子駅
(鎌倉駅から光明寺までバス便があります)

 光明寺裏山から材木座海岸、由比ケ浜、そして鎌倉の町を眺める景色はすばらしい。ここから見下ろすたびに、源平盛衰記の「小坪合戦」(1180年)のことを思いだします。

 石橋山の頼朝挙兵合戦に遅参した「三浦の輩」は、酒匂宿(小田原)から引き返し、「八松が原、稲村崎、腰越が浦、由井の濱をも打過て、小坪坂を上らんとぞしたりける」、とあります。稲村崎と腰越の順が違うのは、筆者のミスなのか、鎌倉近辺を熟知しなかったのでしょう。

 そこに、畠山重忠が五百騎を率いて追いつき、「敵に後をばみせ給ぞ、返合わせと(ののし)り」ました。「三浦三百騎、畠山に懸(かか)られて、小坪の峠に打上り、轡(くつわ)を並てひかえたり」と続きます。

 畠山に挑まれて和田義盛が率いる二百騎が「小坪の峠より打ち下り」て激しく戦いました。この「小坪の峠」は、光明寺裏山に違いありません。総勢七百騎に供回りの歩卒を合わせれば、二千人近い合戦になります。せまい小坪の地ではなく、材木座海岸で戦ったのでしょう。

 披露山から眺める海の景色もすばらしい。この辺りではトンビが不意に襲って食べ物を奪うので、昼食など注意しましょう。七曲の古道もいいが、駐車場の突き当りから浪子不動に降りて、海上の不如帰碑を見るのも一興です。海岸に出られる地下道があります。