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鎌倉を歩く22 大江広元の墓と邸址

2016-06-20 10:43:54 | Weblog
鎌倉を歩く 22 
              大江広元の墓と邸址


                    (写真はクリックして見てください)

 「胃の調子はどう?」「ようやく禁酒が解けた」「それはよかった」「といってもビール
一缶だけ。それも土日は禁酒だ」「そうか。やはり、歩かんとアカンのや」「そやそや、
そやさかい、きょうも頼むで」「大江広元の墓と屋敷址を尋ねてみよう。大江家は菅原家
と並ぶ京の学者家だった」「それで上方弁で話した」「源頼朝も京育ち」「え?鎌倉で生ま
れ育ったのではないの?」「そう。まずは鶴岡八幡宮に参詣しよう」

歩く:鶴岡八幡宮、頼朝の墓、北条義時の法華堂跡

 「参拝が済んだから、階段を降りてすぐ左折だ」「前に頼朝の墓に行ったと同じ道だね」
「そう。頼朝の墓と書かれた指標を見ながら歩こう。その近くに、大江広元の墓がある」
「頼朝と広元はどう繋がるの?」「頼朝の母は熱田神宮家の娘。父の義朝が在京中に頼朝
が生まれた」「そう」「6歳で大江熟に入って広元と机を並べ学んだ」「ほんと?」
「と思う。頼朝と広元はほぼ同年齢だった」「歩きながら、いつもの珍説を聞きましょう」。

「広元は頼朝に招かれて鎌倉に下った」「そう」「二人はどうしたら守護・地頭の制を朝廷
に認めてもらえるか考えていた」「守護・地頭は頼朝に始まるの?」「平清盛もそれらしき
考えをしていたようだが、頼朝ほど強引に進めなかった」「そうだよね、古代から国司と郡司
の制度があった。朝廷が国に二つの制度を認めるワケがない」

「そこで、義経を使った」「何で、義経が出てくるの?」「平家を滅ぼして帰ってきた義経
の鎌倉入りを許さなかった」「義経は頼朝の許しなしに朝廷から任官してもらった、あれね」
「オレの許しもないのにと、頼朝は怒った」「義経は京にひきかえすしかない」「義経逮捕
ということで鎌倉軍が上京したが、義経は逃亡していた」「それで捜索逮捕に守護・地頭
の設置を朝廷に迫ったんだ」「そう」「なんだかできすぎてる話しだなあ。頼朝と義経の芝居
ではないか」「脚本を書いたのが大江広元だ」「そうか」「話しているうちに頼朝の墓の前に
来た。この横だ」

 「義時・法華堂址の看板の前を通って、あの石段を登る」「これはおっかない石段だ」
「どうする?」「せっかく来たのだから上がってみよう」「おや、横穴墓が二つある」
「向こうにも横穴墓が見える」「あちらは島津忠久の横穴墓。足元に気をつけて行ってみよう」
「参詣は終わった。行きはよいよい、帰りは恐い石段だ」

 「やれやれ、ようやく降りることができた」「無事に降りられてよかった」「それにしても、
おかしいね」「何が?」「国史蹟でない」「この案内書に、幕末、毛利家や島津家が整備し
たもので、実際にこれらの人の墓と見ることはできない、とある」「それで、鎌倉青年団
の石碑がない」「ここに村松清風の歌の碑がある。清風は周布清之助や吉田松陰の先生格
だったと書いてある」「大江広元の子が毛利家の祖先だったんだね」「島津の祖は頼朝の
隠し子だったという説がある」「そうか、幕末、徳川家へのあてつけだね。徳川より、
毛利や島津の家のほうが歴史が古く由緒あるのだと」「言いたいのだろう」「そう」

「次ぎに、大江広元邸址に行ってみよう。あそこには鎌倉青年団の石碑がある」「行ってみよう」
「おや、今日は歩く気まんまん」「ともかく健康第一」「そうでないと、ビールが飲めない」
「医者通いはうんざりだ。ビールが飲めるなら何だってやるよ」「東に向かって細い路を
歩こう。自動車道より歩きよい」「歩きながら、ご高説を拝聴しましょう」「胃を悪くして
素直になったなあ。頼朝亡きあとも幕府政治が揺るがなかったのは鎌倉に下った広元ら
学者グループの提案が役だった」「あ~、足が痛い」「聞いてない」