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鎌倉近郊を歩く21.弘明寺と大岡川両岸の桜

2012-03-29 10:40:51 | Weblog
鎌倉近郊を歩く 21
             弘明寺と大岡川両岸の桜

                     (写真はクリックして見てください)

 横浜の桜の名所として、大岡川両岸の桜並木をお奨めします。

歩く:京浜急行 弘明寺駅下車

 弘明寺(ぐみょうじ)は鎌倉街道(下の道)に沿って、古代よりこの地に存在していた
ようです。吾妻鏡の治承元年(1117)1月条に「是源家累代の祈願所なり」とある「求明寺」は
、弘明寺のことだそうです。

 案内書によると「本尊の十一面観音立像(国重文)は弘明寺観音ともよばれ、高さ181.7センチ、
ケヤキ材の一木造で、丸鑿の跡を横縞状に残す鉈彫りの典型的な像である。本堂が建立されたと
伝えられる寛徳元年(1044)ごろの作であろう」とあります。

 観音堂から50メートルほど先に、南北にはしる細い道があります。これが鎌倉下の道です。
源頼朝の妻・政子が鎌倉から、この道を通ってたびたび祈願に訪れていたことは、
近くに馬洗川(上永谷)という小川が流れていることから推察されます。

 政争に巻き込まれて息子の頼家と実朝を亡くした尼将軍政子は、小川で馬を洗う青年をみて
声をかけたと伝えられています。乗蓮寺(井戸ケ谷)に政子自身が彫ったと伝えられる尼将軍
自影の木造や、保土ヶ谷区岩井町に尼将軍化粧の水(井戸)などもあって、鎌倉下の道に
不思議と北条政子に関する伝承が多いのだそうです。

 なぜ、弘明寺が源家累代の祈願所だったのか、なぜ、政子の名がたびたび出てくるのか、
確かなことはわかりません。「下の道」が幕府にとって鬼門の方角にあったからだとか、
政子の化粧領(私有地)があったからだ、などともいわれます。

 頼朝は文治5年(1189)7月奥州平泉の藤原泰衡を討つため、総勢28万の大軍を率いて鎌倉を
発ちました。信心深い頼朝は鎌倉下の道をくだって「求明寺」の前を通ったとき、下馬して、
目的を達して無事に戻れるように祈願したに違いありません。

 さらに商店街を先に進むと、すぐに大岡川にかかる観音橋があります。この橋の上流と下流は、
桜の満開時、圧巻です。露店も出ています。

 下流に沿って歩くと2時間ほどで桜木町駅に着きます。大岡川に沿って京浜急行がはしっています。
ランドマークタワーが見えるので、横道に入っても、道に迷うことはありません。みなとみらいにも
多くの桜が植えられています。

 桜と川と海の景色を、堪能できます。ご近所の桜が咲いたら出かけましょう。



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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2012-03-29 12:11:29
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