歩く

歴史探索を楽しむ

鎌倉を歩く15.田楽辻子のみち

2012-05-02 06:56:45 | Weblog
          田楽辻子のみち



「今日は田楽辻子のみちを歩こう」「でんがくずし?なんだ、それ」「行けばわかる」
「そうか、とにかく歩ければ、何処でもいいよ」「運動不足。新聞を読んで、飲んで寝るの毎日だ」
「早くいえば、そうだ」「遅く言っても同じ」「お前だって、同じだろう」
「まあ、な。まずは鶴岡八幡様に参拝して行こう」

歩く:鎌倉駅 鶴岡八幡宮 宝戒寺

「宝戒寺は案内書に、9月に白い萩の花で知られ、萩の寺ともよばれるとある。山号は金龍山。
執権の北条屋敷跡に足利尊氏が建てた」「ここに、そう書いてある」「太平記に、14代執権北条高時は
『田楽のほか他事なく』とある」「その、でんがく、ならわかる。歴史でならった。連日、酒びたりで、
天狗などが来て踊った」「その場所がこの地だった」「そう」

「宝戒寺を出て、すぐ南横の路を滑川まで行ってみよう」「細道をよく知ってるなあ」「立派な橋がある」
「なんと宝戒寺橋だ」「あそこに紅葉山やぐらというパネルが見える」「昭和10年に発見された。
納められた五輪塔や納骨壺から、鎌倉時代から室町時代の上層階級の墳墓と推定される」とある」
「北条執権家のものか」「そうかも」

「民家で行き止まりだ」「すぐ北側が田楽辻子だ」「なるほど。それにしても、直接行けないんだ。
当時はどうだったのだろう」「宝戒寺は元執権屋敷だった。当時の首相官邸だ。このあたり警護の士が
詰めていたのだろう」「そうだね」

「宝戒寺前に戻って、雪の下の道から大御堂橋を渡ろう」「ずいぶん歩かせる」「たいした距離ではない。
ぶつぶつ言ってる間についた」「滑川の対岸からみると、目の前に宝戒寺がある」「この路を東に少し歩く」
「田楽辻子(でんがくずし)のみちの由来のパネルがあった」

「鎌倉時代に呼ばれていた小路で、路名の由来は路ぞいの釈迦堂前に田楽師が住んでいたためと伝える、とある」
「田楽を職業とする人たちが住んでいた」「田楽のプロだね」「京都や奈良に、新座本座といわれる田楽興業の座が
人気を博していた」「そう」「たいへんな人気で、見物席の座が抜け落ちて多数の死者が出たと太平記にある」
「今も昔も同じだなあ。テレビで舞台に合わせ観客席も手をふり踊ってるのを見る」「余興の少ない時代だ。
鐘や太鼓、笛の音に観客が興奮して踊りだし、座が抜け落ちた」「そうだろう」

「足利尊氏も田楽が大好きだった。尊氏はもと高氏。高の字を高時からもらった。」「ほう」
「小路の向かい側が上杉屋敷跡とある」「ここだね」「母が上杉清子。高氏は上杉屋敷にいつも遊びに来ていた」
「それはいえる」「もう一人、佐々木高氏。バサラ大名と言われたほど田楽好きだった。二人高氏はたいへん仲がよかった」
「佐々木は近江の守護大名だ」「高時と二人高氏は田楽で繋がっていた」「執権屋敷から鐘や太鼓の音が響くと、二人高氏が、
それっとばかりこの路を走って行った」「二人高氏が高時を田楽に溺れさせ、滅ぼし、それで執権屋敷跡に宝戒寺を造って
彼の霊を慰めた」「また珍説だ」

「この奧の釈迦堂谷から衣笠山へ行こう」「今日はここまで。足が痛む」「頂上まで15分と書いてある」
「そうか、行ってみるか」「そう、元気を出して歩こう」「それにしても、のどが乾いた」「歩いたあとのビールはうまいよ」
「飲みながら、お前の珍説を聞きたい」「珍説とはなんだ」「言い間違えた、ご高説だ」「ほんとに、もう」



最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ねぇ (nene777ne@yahoo.co.jp)
2012-05-14 17:48:23
はじめまして!ハロッo(~∇~*o)(o*~∇~)oハローッ 初めてコメント残していきます、おもしろい内容だったのでコメント残していきますねー私もブログ書いてるのでよければ相互リンクしませんか?私のブログでもあなたのブログの紹介したいです、私のブログもよかったら見に来てくださいね!コメント残していってくれれば連絡もとれるので待ってますねーそいじゃ(V)o¥o(V)=(V)o¥o(V)=(V)o¥o(V)=(V)o¥o(V)アドレス残していくのでメールしてね!そいじゃ(V)o¥o(V)=(V)o¥o(V)=(V)o¥o(V)=(V)o¥o(V)
返信する

コメントを投稿