曾野綾子氏の「人間にとって成熟とは何か」の欺瞞!
東日本大震災曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末2
東日本大震災曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末1
「また、ブログを書いているの?」と顔を覗くと夫の目が少し
ばかり赤くなっている。「どうしたの?」というと、もう一つのモニ
ターに写った曽野綾子さんの記事を眼で指して・・・・。
ネットサーフィンをしていると思わぬものに逢着するものだ。曾野
綾子・産経新聞のキーワードでネットを眺めていると、3ページ目に
「産経新聞『会えなかった恩人たち曾野綾子氏』日本財団掲載記事」
のタイトルが並んでいた。どうせいつもの駄文だろうと思いながら
クリックすると、曾野綾子氏の顔写真入りのコラム「小さな親切大き
なお世話」がそっくりペーストしてあって、タイトルが「会えなかっ
た恩人たち」となっている。産経新聞平成24年5月25日付である。
当方はどれどれという感じで読み始めた。
どうせまた・・・・・しかし間もなく今までとは少し違った雰囲気の
文章であることに気がついた。文章にはそつもなく淀みもない。ひょ
っとすると夫・三浦朱門氏の文章じゃないかと思いながら無意識に読
み進めていた。いや、引き込まれていったと言ったほうがよい。それ
は曽野綾子氏が40年間続けてきた「海外邦人宣教者活動援助後援会」と
いうNGOの代表を退くにあたっての述懐を記したものだが、今まで見
たこともない氏の一面を見たような気がする。当該のNGOの代表とし
て支援者達を招いて感謝の会を開いたが、今回も出席せず、ただ温か
い言葉を送ってくれるのみで、ついに一度も相見えることもなかった
「同志」への情愛が素直に書かれていて、じわりと胸に迫るものがあ
る。
「この最後の機会に、私の中には初期からの数十年来の支援者で、
ついぞ顔を会わせたことのない何人かのお顔を今度こそ見られるだろ
う、という淡い期待があった。世間は生活に余裕のある幸福な人が、
苦しい人を助けると信じている。しかし私の体験では、長年の支援者
の多くは悲しみを知っている人たちであった。私はその一部を打ち明
けてもらう光栄に与り、人生とは悲しみこそが基本の感情であり、そ
こから出発する人には芳香が漂うのを知った。このような人たちの一
部は、しかし今度の会にもやはり出席してくれずただ温かい言葉を送
ってきた。人生には生涯、ついに会わないままに終わる方がいいのだ
という人間関係があるのだ、と私は思った。」
「深い感謝は時には恋いのような思いでもあったが、恋もやはり会わ
ないでおいた方がいい場合が多い。人生ですべてのことをやり遂げ
、会うべき人にも会って死のうなどというのは、思い上がりもいいと
ころで、人は誰もが多くの思いを残して死んでいいのだ。むしろそれ
が普通なのである。」
そして最後に、こう締めくくる。「愛というものは、2人がお互いを
見つめ合うことではない。同じ目標を見つめることだ、と昔教わった
が、ついに現世で視線を合わせることもなかった支援者たちと私は、
図らずも同じものを見つめる位置には立って人生を生きたにちがいな
い。」志を同じくして活動してきたにも関わらず、一度も相見える
ことのなかった友への惜別の情とも取れる溢れる想いが静かに語られ
ていて、当方が言っては心苦しいし、甚だ僭越ではあるがまさしく秀
逸であり珠玉と賞したい。この人は肩肘張らずに書くとこのような名
文を書くのかと驚いている。
だからと言ってはなんだが、その思いの幾ばくかを我々庶民に向け
ては貰えないだろうか。肩の力を抜いて投げたダルビッシュ有投手の
投球を大リーガーたちが誰も打てなかったように、肩の力を抜いた曽
野綾子氏の文章は珠玉となって人々の気持を鎮めるに違いない。
しかし、感動はやがて戸惑いとなり、ふつふつと湧いてくる疑問と
なる。あまりにも違いすぎる文章は三浦朱門氏の手に成るものではな
いかという疑問を否めない。折角頂いた感動をそれらの疑問で曇らせ
たくはないが、これが本当に曽野綾子氏の筆によるものであるのなら、
ここに表われている曽野氏の姿こそ本来の姿ではないのか。従来の文
章に表われる曽野氏の姿はキリスト教の信条を貫こうとして身構えた
頑なな姿で、すべてに無理があるように思える。肩肘張って書かれた
と思われる文章には瑕疵が多く、ど素人の当方でさえ、その出来栄え
には呆然とする。曽野綾子氏よ、願わくば白眉とも言えるこのコラム
を機に方向転換されんことを!
今回はこの珠玉の文章を届けてくれた曽野綾子氏と産経新聞
それと日本財団に感謝したい。ありがとう。
東日本大震災曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末2
東日本大震災曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末1
「また、ブログを書いているの?」と顔を覗くと夫の目が少し
ばかり赤くなっている。「どうしたの?」というと、もう一つのモニ
ターに写った曽野綾子さんの記事を眼で指して・・・・。
ネットサーフィンをしていると思わぬものに逢着するものだ。曾野
綾子・産経新聞のキーワードでネットを眺めていると、3ページ目に
「産経新聞『会えなかった恩人たち曾野綾子氏』日本財団掲載記事」
のタイトルが並んでいた。どうせいつもの駄文だろうと思いながら
クリックすると、曾野綾子氏の顔写真入りのコラム「小さな親切大き
なお世話」がそっくりペーストしてあって、タイトルが「会えなかっ
た恩人たち」となっている。産経新聞平成24年5月25日付である。
当方はどれどれという感じで読み始めた。
どうせまた・・・・・しかし間もなく今までとは少し違った雰囲気の
文章であることに気がついた。文章にはそつもなく淀みもない。ひょ
っとすると夫・三浦朱門氏の文章じゃないかと思いながら無意識に読
み進めていた。いや、引き込まれていったと言ったほうがよい。それ
は曽野綾子氏が40年間続けてきた「海外邦人宣教者活動援助後援会」と
いうNGOの代表を退くにあたっての述懐を記したものだが、今まで見
たこともない氏の一面を見たような気がする。当該のNGOの代表とし
て支援者達を招いて感謝の会を開いたが、今回も出席せず、ただ温か
い言葉を送ってくれるのみで、ついに一度も相見えることもなかった
「同志」への情愛が素直に書かれていて、じわりと胸に迫るものがあ
る。
「この最後の機会に、私の中には初期からの数十年来の支援者で、
ついぞ顔を会わせたことのない何人かのお顔を今度こそ見られるだろ
う、という淡い期待があった。世間は生活に余裕のある幸福な人が、
苦しい人を助けると信じている。しかし私の体験では、長年の支援者
の多くは悲しみを知っている人たちであった。私はその一部を打ち明
けてもらう光栄に与り、人生とは悲しみこそが基本の感情であり、そ
こから出発する人には芳香が漂うのを知った。このような人たちの一
部は、しかし今度の会にもやはり出席してくれずただ温かい言葉を送
ってきた。人生には生涯、ついに会わないままに終わる方がいいのだ
という人間関係があるのだ、と私は思った。」
「深い感謝は時には恋いのような思いでもあったが、恋もやはり会わ
ないでおいた方がいい場合が多い。人生ですべてのことをやり遂げ
、会うべき人にも会って死のうなどというのは、思い上がりもいいと
ころで、人は誰もが多くの思いを残して死んでいいのだ。むしろそれ
が普通なのである。」
そして最後に、こう締めくくる。「愛というものは、2人がお互いを
見つめ合うことではない。同じ目標を見つめることだ、と昔教わった
が、ついに現世で視線を合わせることもなかった支援者たちと私は、
図らずも同じものを見つめる位置には立って人生を生きたにちがいな
い。」志を同じくして活動してきたにも関わらず、一度も相見える
ことのなかった友への惜別の情とも取れる溢れる想いが静かに語られ
ていて、当方が言っては心苦しいし、甚だ僭越ではあるがまさしく秀
逸であり珠玉と賞したい。この人は肩肘張らずに書くとこのような名
文を書くのかと驚いている。
だからと言ってはなんだが、その思いの幾ばくかを我々庶民に向け
ては貰えないだろうか。肩の力を抜いて投げたダルビッシュ有投手の
投球を大リーガーたちが誰も打てなかったように、肩の力を抜いた曽
野綾子氏の文章は珠玉となって人々の気持を鎮めるに違いない。
しかし、感動はやがて戸惑いとなり、ふつふつと湧いてくる疑問と
なる。あまりにも違いすぎる文章は三浦朱門氏の手に成るものではな
いかという疑問を否めない。折角頂いた感動をそれらの疑問で曇らせ
たくはないが、これが本当に曽野綾子氏の筆によるものであるのなら、
ここに表われている曽野氏の姿こそ本来の姿ではないのか。従来の文
章に表われる曽野氏の姿はキリスト教の信条を貫こうとして身構えた
頑なな姿で、すべてに無理があるように思える。肩肘張って書かれた
と思われる文章には瑕疵が多く、ど素人の当方でさえ、その出来栄え
には呆然とする。曽野綾子氏よ、願わくば白眉とも言えるこのコラム
を機に方向転換されんことを!
今回はこの珠玉の文章を届けてくれた曽野綾子氏と産経新聞
それと日本財団に感謝したい。ありがとう。