分け入っても分け入っても本の森

本読む日々のよしなしごとをそこはかとなく♪

●オバマとかハトヤマとか

2009年10月09日 21時31分07秒 | opinion
オバマ米大統領がノーベル平和賞ですって。
もうほんとうに、まったくもって、いよいよ相当おかしいや、こりゃ。

実にばかげている!
(どこの世界に、実績によらず期待で与える賞があるというのでしょう)


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この件に関してもやはり、ハトヤマはフリーメイソンでしょうね。
確信に近く、確証はありませんが……いや、あるのかな?(疑)
選挙前にはよく、文芸春秋並び(プリンス通りの麹町寄り)のモスバーガーにいたハトヤマさん、SPなしでスーツ姿のひとり窓際。今だから書きますが、目立っていました。
さすがに選挙後は見かけません。


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昭和天皇はフリーメイソンなどではありません。
ものの本でいろいろ取りざたされていますが、肝心な情報は活字に流出しません。
(マッカーサーがどんなに誘いをかけても昭和天皇は巧妙に誘いを断り続けて、けっして首を縦には振らなかったこと、とか。(ハワイのカメハメハ大王なんか、あっさり落ちたわけですけど)ですから、日本はアメリカの属国などではありません。(握りこぶし!)これ以上書いたら叱られるので、やめておきます……)
出版規制は、あると言わざるを得ないです。
ですから今、活字になっているのは、ほとんど「あーあ」な内容。
流行っている(いた)白州次郎関連の本の数々だって、うふふ♪な内容。

そもそもフリーメイソンとは何なのか、一般に膾炙するはずもなく。
モーツァルトでさえフリーメイソンと関わりがあったのだから悪くない、とでも思っている人もいるくらいでしょう。


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インターネットの双方向性ということについて、ぼくはそう信じてはいません。
げんに圧力は、いくらでもあるからです。
ただ、抜け道も多いのは事実。


もうずいぶん前ですが、米国防総省はペンタゴンだと知った時はのけぞりました。
そりゃえらいことだな、と思って逆引きして回りましたが、ペンタゴンそのものについての正確な記述をできている書籍もネット情報も存在しません。("United States Department of Defense"はもとより、wikiであれ玉石混交天下の2chであれ、その他、蜘蛛の糸の表裏端々まで)*1
どれだけインターネットを徘徊しても、書籍を繙いても無駄なことです。
アメリカはペンタゴンを活性化する方法を知らずに使っているわけです。
まあ、知っていたら、とんでもない話です。
でも庁舎をあの形にしてペンタゴンと称するくらいですから、何か嗅ぎ付け知ったつもりでいるのだと思いますけれど、知っているとしても一部を知らされて帰されているパターンです。CIAといえども○○○には入り込めないですから。
ペンタゴンは、それ自体ではというか、そのままでは機能しません。


真実であり史実でもあるわけですが、第二次世界大戦ではチャーチルはアレイスター・クロウリーに英国全土に魔法陣を張らせていました。(ここはじつは、あまり笑うところでもないのですけど、知らない人が聞いたら笑いそうです。実際、こういう頭のおかしい人(チャーチルとか、もちろんもっとおかしいのはヒトラー)が指導者として世界を動かしている(いた)わけです)
まあ、それでもロンドンは空爆されましたけどね。
(ペンタゴンについては、クロウリーごときの知るところではないです)

ところでバーバラ・ブッシュは、このクロウリーの娘だといわれていますが、真偽のほどはどうなのかな。


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だめだ、これ以上は書けないや。(書き続けようとしたら、生理的にも物理的にも変てこりんなことが起こるのです)

ぼくは、あらゆる新旧の宗教団体、政治団体、特定の集団と無関係です。江原啓之が若いときに師事した霊能者の所属する(財)日本心霊科学協会とも、もちろん無関係。足を踏み入れたことさえありません。じつのところ、世界三大宗教といわれるところの(つまり、うさんくさくないとされる)仏教、キリスト教、イスラム教のどれもこれも好きではありません。新興宗教は、これらを元にご都合主義で派生させているもので、もちろん論外。アニミズムにも依存するものではありません。
修験道とか陰陽道とかヨガとかも大嫌いです。
美輪明宏はともかく(突っ込みどころ満載で面白いのですが)、細木数子なんてのはインチキですからね。でもすごい売れ方、かつての○本みたいです。安岡正篤のことで一目置くようなばか者どもは、要するにばか者です。細木数子から安岡の名を知った、などというのはもう論外も論外ですからね。

○田○徳とか川○○児、○口○○三郎(←まともに書きたくもない)なんてのは、論外というか外道です。


……ふぅ。


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お外は金木犀のよい香り♪ 


*1 ここでは、知らないことを調べるために引くわけではなく、知っていることがどのくらい(のレベルまで)載っているのか、それとも載っていないのか調べるために引くことです。