喜寿から始まる

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緊急事態宣言25日目 精神の自由を楽しもう

2020年05月02日 | 日記

今日は5月2日(土)。緊急事態宣言から25日目だ。晴れ。
アイフォンの天気アプリによると、20度。日中には25度まで気温上昇。初夏とでもいおうか。
昨日は暗くなり過ぎたと反省。
洗濯物も浴室ではなく、外に干すことにした。太陽を浴びることだ。
本当に久し振りにルーフバルコニーに出た。
ほったらかしのラベンダーが、辛うじて生きている。
深みのある鮮やかな紫色の花は生きている証を精一杯主張しているようだ。
その足もとには雑草のカタバミの黄色い花が一つ咲いていた。
ラベンダーもここでは雑草のようなもの。カタバミとの同居も悪くない。そのままにしておいた。
紫と黄色の配色も悪くはない。
少々高揚している自分を感じる。
背中がヒリヒリとしてきた。陽射しは季節がもう夏であることを知らせた。

外出出来なくともやることはいっぱいあるはず。
気になっていることは、取り掛かり始めると意外に時間がかかるものだ。だからついつい後回しにしてしまう。
それではいつまで経っても解決しない。
そういう意味では閉じ籠れ環境というのは、じっくりと取り組むには最高の環境だ。

緊急事態宣言が始まったときから宿題にしていたことがある。雑事ではあるが・・
今も生きているものについては、過去からスタートするのではなく、現在からスタートしたほうがいい。
経験から学んだものだ。
これからどうすべきか、どうするかという以上、それは将来、未来のことだ。
現在というのは、その過去と未来の接点だからだ。

毎日毎日、記録をしてきた。観察もしてきた。最初は、要する時間に意味があるのか疑問を抱くこともあった。
が、徐々に要領を覚え、スピードが上がってきた。そうすると視野が広くなった・・
ようやく見えてくるものがあるように感じた。
それが正しいかどうかは、これから試す必要がある。
いずれにしろ、前に一歩進むことはできるようになったことは事実だ。
勿論、進めばまた問題にぶつかるかもしれない。いやぶつかるであろう。
でも、進み方を知った以上は、問題にぶつかっても、そこからの進み方は必ず見つけることができるような予感がある。
(なお、少なくともやらなければいけないことが生じたことで昼寝を
することがなくなった。また複数のことを同時に要領よく処理することができるようなった。それだけでも大きな実りである。)

少々飛躍気味かもしれないが、コナンドイルの「一滴の水からも、太平洋やナイアガラの滝が存在し得ることを推定できる」という名言を思い出した。

身近にある些細なことに集中することで、私たちは人生の本質を知ることができる。(そういう意味で些細なものなどないのかもしれない。些細か些細でないかは、個々人による。
精神の自由は、肉体の自由の制限があるときこそ、大きく羽ばたくのではないだろうか。
精神の自由は誰からも妨害されることはない。

大いに精神の自由を楽しみたいものである。