恐らく、京都に行くことはないだろう、この機会を逃せばと・・・
もともと京大は西日本出身者が全部と言っていい。
東京好きの私には理解できないが、
現役時代は東京で活躍していた友人たちは、定年後は、東京に残らず、
といって地元にも帰らず、京阪神に落ち着いた人が多いようだ。
京都で大学時代の友人と会いたいとずーと思っていた。
宿題のような感じだ。
友人といっても、遊びの友達、ノートの貸し借りの友人、心の友人とあるようだ。
この歳になると、飲んで騒いではもうお断りだ。
ということで、人生とはなんぞやを真剣に?語り合った二人の友人と会うことにした。
友人といっても紅一点だったので全部男性だ。
同性同士の友人というのとは異なるだろうが、そもそも私には男性の友人だけだ。
大学を卒業してちょうど50年である。
話の中身は、当然、当時とは違っている。にも関わらず、
3人とも昔と同じなのである。
私は、どうやら聞き役だ。時々口を挟むだけだ。
昔もそうだったな・・
50年前は一個の独立した人間として、社会人としてスタートを目指していた。
そして、今回は、第二の人生に乗り出したばかりの段階だ。
70歳を過ぎているにも関わらず、前向きで、ゆとりと落ち着きがあったように思う。
人間はどうやら基本的には変わらないようだ。
人と人との関係性も基本的には変わらないようだ。
取り留めもない話だけだったが、あるいは、だからこそかもしれないが、
いいとか悪いとか、どうすべきか、どうあるべきかではなく、
「ありのまま」であることが、とても自然だった。
京都の街は、日本人も外国人も含めて、観光客でごった返しており、大きく変わったが、
私たち3人は、全く違った50年を経ていながら、基本的には少しも変わっていなかった。
そういえば、京都も50年前とすごく変わったと思ったが、本質は1000年以上も
変わっていない。それが世界中の人々を惹きつける京都の魅力である。
結局、人間も同じなのだろう。「変わりながら、変わらないからこそ」
それがその人の本質なのであり、魅力となるのであろう。
京都は思い出の地というよりは、新しい発見の地、スタートの地であるようだ。
もともと京大は西日本出身者が全部と言っていい。
東京好きの私には理解できないが、
現役時代は東京で活躍していた友人たちは、定年後は、東京に残らず、
といって地元にも帰らず、京阪神に落ち着いた人が多いようだ。
京都で大学時代の友人と会いたいとずーと思っていた。
宿題のような感じだ。
友人といっても、遊びの友達、ノートの貸し借りの友人、心の友人とあるようだ。
この歳になると、飲んで騒いではもうお断りだ。
ということで、人生とはなんぞやを真剣に?語り合った二人の友人と会うことにした。
友人といっても紅一点だったので全部男性だ。
同性同士の友人というのとは異なるだろうが、そもそも私には男性の友人だけだ。
大学を卒業してちょうど50年である。
話の中身は、当然、当時とは違っている。にも関わらず、
3人とも昔と同じなのである。
私は、どうやら聞き役だ。時々口を挟むだけだ。
昔もそうだったな・・
50年前は一個の独立した人間として、社会人としてスタートを目指していた。
そして、今回は、第二の人生に乗り出したばかりの段階だ。
70歳を過ぎているにも関わらず、前向きで、ゆとりと落ち着きがあったように思う。
人間はどうやら基本的には変わらないようだ。
人と人との関係性も基本的には変わらないようだ。
取り留めもない話だけだったが、あるいは、だからこそかもしれないが、
いいとか悪いとか、どうすべきか、どうあるべきかではなく、
「ありのまま」であることが、とても自然だった。
京都の街は、日本人も外国人も含めて、観光客でごった返しており、大きく変わったが、
私たち3人は、全く違った50年を経ていながら、基本的には少しも変わっていなかった。
そういえば、京都も50年前とすごく変わったと思ったが、本質は1000年以上も
変わっていない。それが世界中の人々を惹きつける京都の魅力である。
結局、人間も同じなのだろう。「変わりながら、変わらないからこそ」
それがその人の本質なのであり、魅力となるのであろう。
京都は思い出の地というよりは、新しい発見の地、スタートの地であるようだ。