喜寿から始まる

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青春時代の思い出の地「京都」

2016年11月29日 | 日記
恐らく、京都に行くことはないだろう、この機会を逃せばと・・・

もともと京大は西日本出身者が全部と言っていい。
東京好きの私には理解できないが、
現役時代は東京で活躍していた友人たちは、定年後は、東京に残らず、
といって地元にも帰らず、京阪神に落ち着いた人が多いようだ。
京都で大学時代の友人と会いたいとずーと思っていた。
宿題のような感じだ。
友人といっても、遊びの友達、ノートの貸し借りの友人、心の友人とあるようだ。
この歳になると、飲んで騒いではもうお断りだ。
ということで、人生とはなんぞやを真剣に?語り合った二人の友人と会うことにした。
友人といっても紅一点だったので全部男性だ。
同性同士の友人というのとは異なるだろうが、そもそも私には男性の友人だけだ。

大学を卒業してちょうど50年である。
話の中身は、当然、当時とは違っている。にも関わらず、
3人とも昔と同じなのである。
私は、どうやら聞き役だ。時々口を挟むだけだ。
昔もそうだったな・・

50年前は一個の独立した人間として、社会人としてスタートを目指していた。
そして、今回は、第二の人生に乗り出したばかりの段階だ。
70歳を過ぎているにも関わらず、前向きで、ゆとりと落ち着きがあったように思う。

人間はどうやら基本的には変わらないようだ。
人と人との関係性も基本的には変わらないようだ。

取り留めもない話だけだったが、あるいは、だからこそかもしれないが、
いいとか悪いとか、どうすべきか、どうあるべきかではなく、
「ありのまま」であることが、とても自然だった。

京都の街は、日本人も外国人も含めて、観光客でごった返しており、大きく変わったが、
私たち3人は、全く違った50年を経ていながら、基本的には少しも変わっていなかった。
そういえば、京都も50年前とすごく変わったと思ったが、本質は1000年以上も
変わっていない。それが世界中の人々を惹きつける京都の魅力である。

結局、人間も同じなのだろう。「変わりながら、変わらないからこそ」
それがその人の本質なのであり、魅力となるのであろう。

京都は思い出の地というよりは、新しい発見の地、スタートの地であるようだ。