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ゴーン被告人逃亡後初の記者会見について思うこと

2020年01月09日 | 司法

ついつい、ブログ離れが続いている。

ゴーンさんの逃亡後最初の会見もどうでもいいといえば、どうでもいいことではある。
一番知りたい逃亡についてはいわなかったようだ。
言わなくても、もうすでにみんなの知るところではある。

ゴーン被告人の日本脱出
帽子を被り、マスクをして、自宅を一人で徒歩で出て、六本木のホテル(六本木のホテルというと
あそこしかない)で米国人2人と合流し、
タクシーで品川駅まで行き(私もいつも使うのは品川駅だ。タクシーを使うので、生々しく感じる)、
そこから新幹線で新大阪駅までいく。
タクシーで関西空港近くのホテルに入る。
二人の米国人がホテルから出たのは確認されているが、ゴーン被告人は確認されていない。
二人の米国人が入るときには持っていなかった二つの大きなミュージックボックスを出るときには
持っていたので、ゴーン被告人はその箱に入って出たということだ。
3か月にわたる入念な事前調査があったという。

箱というのはこういうものだったらしい。トルコ警察が公表した写真(Daily Mailから)。
(ゴーン夫妻の写真は関係ないが・・)

以上は、ゴーン被告人の口から聞かなくとも、既に明らかになっている。つまりは、証拠により証明されている
ということだ。

ゴーン被告人は自白をしていない・自白の強要はない
それでも、本人の口から聞きたいというのが、人情である。
捜査機関や裁判所もやはり直接本人から聞きたいのである。
同じことでも、直接の関係者からの話と第三者からの情報とでは、迫力が全く違うのである。
それは日本であれ、英米であれ、レバノンであれ同じのはずである。
話は逸れるが、私はリンカーン弁護士の作家マイクル・コナリー(Micheal Connelly)のファンであるが、
その著書で被告人が法廷で自らの罪について語るときには、陪審員はもとより担当判事も
魅せられたようにただ耳を傾ける様子が生き生きと述べられている。
有罪にするにしろ、無罪にするにしろ、心から納得したいのである。
それには本人の口から生の事実を聞くことなのである。
(だから、行き過ぎて自白の強要になり得ることは警戒すべきではあるが)

ゴーン被告人は起訴事実について自白をしていないのと同様、逃亡劇についても言いたくないことは
スルーしている。或いは、将来の映画化を考慮して、お楽しみということかもしれない。

会社の問題と司法制度の問題を混同してはならない
本人には本人の言い分があるのはわかる。
ただ、会社の問題と司法の問題とは全く別である。
会社に対して言いたいことがあれば言えばいい。
しかし、それを司法の問題とごっちゃにしてはならない。
ゴーン被告人は日産再建に貢献したという自負があるのだと思う。
しかし、だからといって、会社を私物化し何をしても許されるというわけではない。
思い上がりがあったように見える。それを許した会社に問題があったとしても、
それは司法の問題ではない。
ゴーン被告人は「I have not fled justice - I have escaped injustice and political persecution」
というが、言い訳にすぎない。

ゴーン被告人が具体的に日本の司法制度によって不利益を蒙った
事実は見受けられない

ゴーン被告人については、自白をしていないが保釈されている。検察の反対を押し切って裁判所は保釈を
認めたのである。
また、保釈の条件も極めて緩やかである。監視カメラは設置してあっても、リアルタイムでの監視は
全くなされていない。パソコンの利用も制限されていたといっても、これまた、いい加減である。
現に、ゴーン被告人の逃亡後検察がパソコンを押収しようとしたところ、弁護人は守秘義務違反を理由に
これを拒否したという。
弁護人は被告人の代理人である。その被告人の代理人に裁判所は被告人の監視をさせたのである。
弁護人は被告人から弁護業務に関する報酬金をもらっている。だから被告人の利益に反することはできない。
だから、代理人は守秘義務を理由に裁判所の発する令状があってもパソコンの提出を拒否できるというなら、
裁判所が保釈条件を課したというのは、法的にどういう意味があるのだろうか。

日本の保釈制度の欠陥であり、司法の不備ではある。
しかし、その不備はゴーン被告人にとって有利なものである。
この不備があったからこそ、ゴーン被告人は逃亡できたのである。

ゴーン被告人は妻に会えなかったことを強調して、人権侵害だという。
しかし、ゴーン被告人の妻の場合は、「逃亡」「証拠隠滅」に関与していたというのが
面会禁止の理由だったのである。それがたまたま妻だったに過ぎない。
確かに、ゴーン被告人の妻はアメリカ、フランスにおいて、政治家を巻き込み、日本の司法制度を批判する
活動を華々しく展開していた。
それは妻として被告人を支えるという範囲を逸脱していたようにも見える。

肝心の事実について、またそれについての司法の問題については、何も語っていないように思う。
ただ、迅速な裁判批判をしていたようだ。
しかし、迅速な裁判と拙速な裁判とは違う。被告人のように無罪を争うケースでは、検察のペースに乗って
迅速に裁判を進めることはマイナスである。検察のペースで進んでいないということは、
むしろ、ゴーン被告人のいう司法の欠陥による不公正から逃げたという主張と齟齬するものである。

ただ、日本では取調べに弁護士同席は認められていないことは事実である。
しかしながら、ゴーン被告人は自白はしていないし、無罪請負人という弁護士が無罪のために
戦っているはずである(口先だけで実際には何もしない、いい加減な弁護士が多いことは事実であるが、
ゴーン被告人の場合はそうではないように見受けられる)。
抽象論であり、ゴーン被告人の場合には該当しない。逃亡の理由にはならない。

ゴーン被告人は日本を、日産を愛しているというが、それは自分自身が自由に振舞えるという限りにおいて、
つまり、何をしても許される日本・日産がお気に入りというだけだったのではないだろうか。
そういう日本・日産が自分の行動を制限するなど、侮辱以外の何物でもないということではないだろうか。

日本という国で日本有数の会社である日産のトップとして営業活動していて事件に巻き込まれるということは
あり得ることである。不本意であるかもしれない。しかし、まずはルールに従って身の潔白を示すことである。
気の遠くなるような期間を要するかもしれない。それでもうまくいかないことになるかもしれない。
今回の逃亡劇で示されたゴーン被告人ほどの資力・人脈・決断力・実行力をみると、日本の司法制度の欠陥を
むしろ自己に有利に利用でき、不謹慎な言い方かもしれないが、有罪をうまくすり抜けることができた可能性も
あったように思う。
起訴には相当な理由(probable cause)でいいが、有罪には合理的な疑いを超える(beyond a reasonable doubt)
証明を有するからである。これは英米も日本も同じである。
被告人は無罪を証明する必要はない。合理的疑いを生じさせばいいだけだからである。
保釈に見られるように裁判所は国際的プレッシャーを受けている。
当然、有罪判決には慎重になるはずである。

結局は、人間性の問題かもしれない。
何をいうかではなく、どう行動するかにより判断することになろう。
(ただ、現実の世界では、ゴーン流生き方に共鳴する人々が多いことが問題ではある。)

日本の司法制度の欠陥は?世界に通用する改善を!
ゴーン被告人の国外逃亡には正当性はない。
国家の諸制度は国によって異なる。それは司法制度だけの問題ではない。
天皇制など最たるものである。
「有罪率が99%を超えるような国では公正な裁判が受けられない」と強調するが、しかし
100%ではない。有罪率が高いのは、検察側が起訴に慎重からともいえる。
(だからプレシャーがかかり、捜査が無用に慎重になるとも言いうる)
ということは、裁判によっては無罪になりこともある。
ゴーン被告人の場合は、そもそも自白していないのであるから、無罪の可能性は高いと言いうる。
いったん自白しておきながら裁判になり否認した場合と異なる。
一般論としていうと、書面になるとそれが嘘でもそれらしく見える。だから書面というのは
どれほど注意しても注意しすぎることはない。
ゴーン被告人の場合は、一貫して否認しているのだから、自白書面はないので、そういう心配はない。
ただ、証人、特に日産の証人については、既に供述書になっているので、それを
崩すのはなかなか難しいということはあり得る。
しかし、供述書については、不同意にすれば証拠にはならない。
そうすると、証人尋問をすることになるので時間はかかる。
などなど・・・
キリがない。
もう一つ、有罪率が高いのは、裁判所が検察の言いなりだからではないか、というもの。
これについては、私も感じるところはある。
検察の言いなりというよりは、原告の言いなりではないかということにおいてである。
刑事事件の検察の場合は、国家機関である検察が捜査をしているので、時にはあるとしても
稀と思う。したがって、それほど問題はないと思う。
しかし、民事事件の原告の場合は、全くの個人が勝手に訴訟を起こす。だから、
起こした原告の言い分が正しいということなど制度的に絶対にない。
でも、裁判官が原告のいいなりではないかと見えることが最近多くなった。
そういう意味で、全体として裁判官に判断能力がなくなったということはいえるかもしれない。
しかし、刑事の場合は、検察官がその補完をしているので、誤判の弊害はそれほどない。
民事の場合は、検察官のような補完する者がいないので、誤判だらけといっていい。
私がHPを立ち上げた趣旨でもある。
ゴーン被告人の場合は、保釈でも検察官の意見は無視されているし、公判準備手続きでも
弁護人側が徹底的に争う姿勢を示しているので、検察官の言いなりなどではない。
どちらかというと、裁判所はゴーン被告人サイドで進行しているように見えるので、
この抽象論はゴーン被告人については該当しない。

更にゴーン被告人は有罪判決があるまでは無罪推定のはずなのに、日本では有罪推定だと批判している。
被告人の立場でみればそういう感じを持つことは事実と思う。しかし、それは日本だけの問題ではない。
検察官は有罪立証を目指しているわけなので、そういう前提で訴訟活動をする。立場上当然である。
一方、無罪を主張する弁護人は、検察の言い分は間違っている、合理的な疑いを超える
(beyond a reasonable doubt)証明がないと言って争うことになる。
無罪を主張すればするほど検察は有罪に向けて訴訟活動を強化することになるのは当然である。
それは有罪推定ではなく、無罪推定だからである。
それを理解させるのは、弁護人の仕事である。難しいことではあるが・・
一つ一つの手続を通して、弁護人は被告人を納得させるしかないと思う。
前述したように裁判所の訴訟指揮は被告人サイドであるように見える。
ゴーン被告人の一般論的な言い分だけでは説得性はない。

裁判所の自立・独立、責任ある裁判所
今回の件についての教訓は、保釈についての制度の整備である。
今後、保釈が多くなるはずである。世界的な傾向である。
人権に対する配慮と施設に収容することの費用の問題である。
アメリカで保釈や仮釈放が緩やかな理由として、施設収容に比べ費用負担が格段に低くなる
ということが言われている。またアメリカでは犯罪が多く、収容しきれないことも理由という。
日本社会の安全は神話であったが、五輪を控え、海外からの人の出入りが多くなると
費用の問題も出ているかもしれない。
性善説ではすまない世の中になったのである。
GSP監視装置の装着やリアルタイムの監視など、できることから改善を図ることである。
そして、監視は裁判所の監督で行わせることである。
弁護士に任せるなどとんでもないことである。
そういう意味で、果たすべきは、裁判所の独立かもしれない。

勿論、出入国手続きの問題もある。
しかし、これは保釈違反の問題だけではない。

今回の関係でいえば、世界は広いということである。
旅券を何通も所持しているとか(日本は二重国籍を認めない)、しかもフランスのように
旅券を複数通発行する場合があるとか、プライベートジェットの利用とか、
ゴーン被告人のような超富裕層の存在など、普通の日本人では到底思いつかないこと
の存在である。

国民・国民生活の安全に関わる国家機関は常に世界の潮流をいち早く取り入れ、万全の措置を
講ずるようにしてほしいものである。

今回、裁判所からの反応が一切ないのが、不可解である。
今回の大失態の直接原因は、安直な保釈だったというのが私の見立てである。
もしGSP監視装置を装着し或いはリアルタイムの監視が実施されていたならば、
遅くとも新幹線に乗車した時点
で、異常を察知できたはずである。そういうことは検討段階で
はっきりわかるはずである。
到底海外逃亡などできないことは、ちょっと検討しただけでわかったはずである。
皆さんのご意見はいかがでしょうか?

 

とりとめもない感想である。