今日は緊急事態宣言延長後3日目で初めての週末。
昨日は久しぶりに所用があって虎ノ門に出掛けた。地下鉄でなく自動車にした。いつものパーキングメーターを利用した。
おそらくパーキングメーターもスキスキだろうという読みからだ。予想通りだった。
人通りは少なかったが、思ったほどではなかった。
虎ノ門は官庁街・霞が関に隣接するので、休日はほとんど人がいない。
緊急事態宣言下は休日のイメージだったが、思いの外だった。
サラリーマン向けの食堂等が多いが、結構オープンしていたのには驚いた。
書店がオープンしていたのには更に驚いた。感激した。目当てのものはなかったが、寄ってみるという目的のためにのみ立ち寄った。
入り口のドアが開放したままというのが、いつもと違っていた。
工事中だった巨大ビルが姿を現していた。緊急事態宣言中も着々と工事をしていたということだ。
喫茶店はいずれもクローズしていた。
緊急事態宣言下のオフィス街がどういうものだったのか、見た気がした。
いつも行くところ、しかも直進すればいい大通り。にも関わらず、2、3度不安になり立ち止まって確認した。
外出自粛のせいなのか、街並みの変化のせいなのか? 多分双方と思う。
ウオーキングしているから大丈夫?確かに肉体的にはそのとおりだ。少々の距離を歩くのは全く気にならない。
精神的というか社会との関りという観点からは、外出自粛というのはどうやら思いのほか大きなマイナス影響があるらしいことを感じた。
そういう意味で外出できないということの怖さを認識した。経済だけではない。心身を蝕むということのようだ。
写真のアジサイは自宅ロック中に学んだことの一つ。4月3日に購入したので1か月以上になる。
5つ花(学問的意味ではない)が咲く予定で、うち一つの花は咲いていた。
勿論、今では全部咲いている。最初の花は色落ちしている。捨てがたくて、朝夕に水やりとしていた。
最近、気が付いた。花びら(学問的ではない)の中央の白い丸いものが花のように咲いていることを。
花びらのように見えるものは萼片であり、萼片がくたびれたころに咲いてくる真ん中の白いものが本当の花という。
本当の花部分には確かに雄しべ・雌しべが見える。
いわゆる大きな花のかたまりは、装飾花というらしい。
小さな「本当の花」、可憐で、しかも、萼片の花の陰に隠れて咲いているものもあり、愛おしく感じて、今もって捨てられないでいる。
昨日の所用はこれまでなら、他の何かとまとめてとか、ついでに、していたこと。
自宅ロック中に学んだこと、今日できることは今日する、思いついたときにすぐにする、を実行したもの。
新型コロナ危機はグローバルなもので、全世界の国々を同様に平等に襲った。ということで、それぞれの国の成り立ち等の根本的違いをあぶりだしたように思う。存在・存立の危機に直面すると、人も組織もその本性を現すからである。良い勉強の機会を与えてくれた。
写真の記事は今日の産経の一面から。エドワード・ルトワックという人のことは知らない。
今回のコロナの件でイタリアはEUが頼りにならないということで中国から医療等について支援を受けることにした。これは周知のこと。
これについて「イタリアは歴史上、間違った側について、後から態度を変えることで有名だ」と述べる。反論も賛成もする、いずれの知識も持たない。宿題として取っておくつもりだ。
「新型コロナは『真実を暴くウイルス』だ」については前述したとおり同意見。多分、多くの人も同じと思う。
ただ「日本については『日本は中国とは違うから安全』といった意識が間違っていたことを思い知らせた」については、そういう意識があったのかどうかわからないが、結果としての間違っていたについては同感。間違いは現在進行中かも?日本の対応については世界中で批判的意見が主流にも関わらず国内では、そういう意識がないように見えることに今更ながら日本の政治の異常を思う。
「グローバル化が独裁制と親和性が高いのは、国際機関が非民主的だからでもある」のうち、「親和性が高い」という表現が適切かどうかはわからないが、国際機関が非民主的というのは、全くの賛成である。EUについて、欧州委員会について、非民主的体制ということについては、賛成である。こういう意見はあまり聞いたことがないので、新鮮だった。
取り敢えず、今日はこの程度。
ただいえることは人間は何歳になっても学ぶことがある、いや、年齢を経るにつれ学ぶことが多いということ。
また異常事態のときこそ、学びに最適だということである。
将来のために、未来のために、ドシドシ学ぶことである。
(余談)
今日の花はクレマチスである。5月9日の誕生花のひとつ。
なぜ産経新聞か?以前は例にもれず朝日新聞だった。産経は電子化が一番早かった。電子版は取りに行く手間が省ける。
どのデバイスにも届く。海外旅行先でもOK!それ以来変えることなく続いている。