新約聖書の構成

2023-02-04 21:51:40 | 政治史・思想史

[新約聖書の決定と配列]

・新約聖書を構成する全27の文書群(原文はギリシア語)は、いずれも1世紀半ばから約100年の間に成立した。まず、2世紀半ば頃までに、4つの福音書とパウロを発信者とする13の書簡が正典視され、旧約聖書と並ぶ地位が認められた。367年にアレクサンドリアの司教アタナシオスがキリスト教の諸教会に宛てて書簡(「第39書簡」)を送った。第39書簡は新旧聖書の範囲を確定するためのものであり、これにほぼ準じて旧約聖書は39文書、新約聖書は27文書とされた。□大貫103,101-2、高尾201、徳善百瀬22

・4~5世紀、教皇の命を受けた聖ヒエロニュモスが、新旧聖書全体を当時の民衆の日常語だったラテン語に翻訳した(ウルガータ訳=「一般向けの訳」の意味)。□大貫102

・第39書簡後も約1100年以上の間、新約聖書の27文書の配列は確定しなかった。1546年のトリエント公会議において、新約聖書についてもウルガータ訳を聖典とすることが定められた。後にプロテスタント教会もこの決定を受け入れて現在に至っている。1968年、聖書協会世界連盟とローマ・カトリック教会の間で協議が成立し、プロテスタントとカトリックが同じ聖書を用いるための聖書翻訳の「標準原則」がまとめられた。□大貫103-4,34-7、日本聖書協会

・聖典と正典:聖典(the Holy Scriptures)はユダヤ教に由来する概念であり、書物群の聖性を主張する。これに対し、正典(Canon:基準)はキリスト教の概念であり、聖典の排他的聖性・排他的な1つの目録を主張する。文書群であるにも関わらず「聖書=the Bible」と単数形で表現されるのは、正典概念が影響している。□上村51-3

 

[福音書・使徒言行録]

・イエスの死後の数十年間は、イエスの発言や行動や最後は口頭で伝承された。紀元40年代から50年代に、イエスの言葉を集めた「Q資料」と呼称される(現存しない)文書資料が成立したと考えられている。□大貫187

・紀元70年頃、「Q資料」とは独立に「マルコによる福音書[2]」が成立した。著者であるマルコは初期教会の指導者の一人バルナバの親戚であり、バルナバやパウロと共に伝道の旅をした。イエスの言動についての口頭伝承を踏まえ、「イエス=しもべ」「イエスは、殺されることで『神の子』となる」との信仰的メッセージを込めた物語を編んだ。先行するパウロは「イエス=万人の罪の贖いのために死に、死人の中から復活した」という十字架の神学を展開していたが、マルコの意図は反パウロにあったとの理解(田川健三)と、マルコもパウロの延長線上にあるとの理解がある。□大貫186,105-6、竹下88,93-4、高尾27,29-30、徳善百瀬27、上村273-4

時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。※1:15

皇帝のものは皇帝へ、神のものは神へ。※12:17

わたしが来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである。※2:17

安息日は、人のために定められたのであって、人が安息日のためにあるのではない。※2:27

外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。※7:14

金持ちが神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通るほうがまだ易しい。※10:25

・紀元80年代、「マタイによる福音書[1]」が編まれた。著者とされるマタイとはローマ帝国の徴税人であったレヴィを指すが、実際の作者は明確でない。マタイ福音書は、マルコ福音書[2]、Q文書、独自の資料(マタイ特殊資料)を用いたと考えられている(二資料仮説)。同書の主題は「イエス=王」「イエスは、神と人間に挟まれて両者が共にいることを表現した」であり、イエスの言行が全て旧約聖書の預言の成就であるとの視点に立っている。また、イエスが使徒シモンに対して「あなたはペトロ。私はこの岩の上に教会を建てる」と述べた著名な一説が登場するが、他の福音書にはない。□大貫186-8,106、竹下88,90-3、高尾27,31-2、上村200-1

あなたがたの敵を愛せ。※5:44

・紀元90年代、「ルカによる福音書[3]」が成立した。著者のルカは医師であり、パウロによって改宗した後に共に伝道旅行をした。マタイ福音書[1]と同様に、マルコ福音書[2]、Q文書、独自資料(ルカ特殊資料)が用いられている(二資料仮説)。ルカ福音書の主題は「イエス=人の子」「イエスが地上になき後はサタンが活動を開始する」である。□大貫186-8,107、竹下88,98-100、徳善百瀬35、上村200-1

悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが点にある。※15:4~7

・紀元100年頃に「ヨハネによる福音書[4]」が著された。著者であるヨハネが誰であるかは明確でなく、先行する3つの福音書を直接用いているか否かも定説がない。ヨハネの主題は「イエス=神の子」「イエスの生涯は、彼を信じる者が『イエスの兄弟=神の子』となるための出来事だった」。□大貫188,107-8、竹下88,101-2

・「使徒言行録[5]」もルカの著作であり、一連の作品であるルカ福音書[3]と合わせて「ルカ書」と総称される。□大貫188-9、竹下102-8

 

[パウロの真筆の手紙]

・新約聖書の中で最初期に成立したのが、50~56年頃に成立したパウロの真筆による手紙(書簡)形式の計7文書である。「テサロニケの信徒への手紙一[13]」「コリントの信徒への手紙一[7]、二[8]」「ガラテヤの信徒への手紙[9]」「フィリピの信徒への手紙[11]」「フィレモンへの手紙[18]」「ローマの信徒への手紙[6]」。□大貫189-90、高尾26,41

もはやユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。皆イエス・キリストにおいて一つである。※ガラテヤ3:28

わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。※ローマ7:24

・新約聖書の「ローマの信徒への手紙[6]」から「フィレモンへの手紙[18]」までの計13文書はいずれ「発信者をパウロ」とする書簡であるが、パウロの真筆は上記7文書にとどまる。残り6文書は思想と文体が異なっており、パウロの影響下にあった人物がパウロの名を借りて書いたもの(いわゆる「パウロの名による手紙」)とみなされている。

 

[パウロの名による手紙]

・60年代前半に成立した「コロサイの信徒への手紙[12]」は、周辺ヘレニズム文化の宇宙論を意識して「教会=可視的な宇宙全体を覆うもの、キリスト=教会の上に立つ『かしら』、神=さらにその上にいる絶対的超越」とイメージしている。80~90年頃に成立した「エファソの信徒への手紙[10]」も同様である。□大貫190-1

・60年代後半の「テサロニケの信徒への手紙二[14]」は、ユダヤ教黙示文学に通じる終末論を主題にしている。□大貫191

・100年頃に成立した「テモテへの手紙一[15]、二[16]」「テトスへの手紙[17]」は「牧会書簡」と総称され、次の特徴を持つ。教会は特定の信徒の個人宅とは別に独立しており、男性中心的な監督・長老・執事という職務分掌がされる。信徒の善行、善徳、悪徳が繰り返し説かれる。伝統的に伝えられてきた教えが真理の柱であり土台である。□大貫191

 

[公同書簡]

・1世紀末から2世紀半ばの間に「ヤコブの手紙[20]」「ペトロの手紙一[21]、二[22]」「ヨハネの手紙一[23]、二[24]、三[25]」「ユダの手紙[26]」が成立した。これら7文書は手紙をうたっているものの、宛先は特定の教会ではなく不特定多数の信徒に読まれることを企図しているため、「公同書簡」と総称される。牧会書簡と同様に、教会の制度化・道徳主義化・神学の伝統主義化が説かれる。□大貫191-2

 

[ヘブライ人への手紙]

・80年代に成立した「ヘブライ人への手紙[19]」は新約聖書の中で独特である。著者が旧約聖書とユダヤ教の儀礼を熟知しているため後代が「ヘブライ人への手紙」との書名を与えたものだが、実際は論文形式である。イエスはユダヤ教の大祭司に例えられ、自分自身を最後にして一回限りの贖罪の犠牲として献げて「天の至聖所」に入っていく。□大貫192-3

 

[ヨハネの黙示録]

・ヨハネ福音書[4]の著者は、95年か96年頃に「ヨハネの黙示録[27]」を著した。同書は新約聖書の中で唯一の預言書であり、その主題は、死から甦らされたイエスが天上の神の右へ高められて、世界万物に対する支配の座に即位したことである。著者の意図は、開始されようとしているローマ帝国によるキリスト教迫害への対抗にあった。□大貫193、竹下85

・「黙示(Apocalypse)」とは、秘密のヴェールを取り除いてあらわに見えるようにすることを意味し、ここでは天上界の出来事が明らかにされることを指す。語られる内容の中心は二元論(神と悪魔、善と悪)を背景にした終末である。聖書の中の黙示文学として「ダニエル書[旧27]」「ヨハネの黙示録[新27]」がある。マルコ福音書の13章もその系列に加えられる。□山形181-2

 

山形孝夫『聖書小辞典』(岩波ジュニア新書)[1992]

高尾利数『キリスト教を知る事典』[1995] ※批判的に書かれており非キリスト者には読みやすい。田川健三に親和的か。

徳善義和・百瀬文晃編『カトリックとプロテスタント』[1998]

竹下節子『キリスト教』[2002]

大貫隆『聖書の読み方』(岩波新書)[2010]

上村静『旧約聖書と新約聖書 「聖書」とは何か』[2011] ※批判的に書かれており非キリスト者には読みやすい。田川にも批判的か。

山我哲雄『キリスト教入門』[2014]

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