[ルールと「常識」の一致]
・法令によって社会を統制していくことを目指す場合、法令を適用した結果が社会構成員の納得を得ることが望ましい。その意味で、法律家は「常識」に合致する解決を目指すべきだろう。□山田144、伊藤14-5
・実定法秩序でも、一般条項や条理などの形式で「常識」が組み込まれていると考えられる。□山田144、伊藤14-5、田中570-2
[ルールと「常識」のズレ]
・「常識」の不存在:手続のあり方のようにもっぱら技術的な事項は、「常識」が関わらず、法令で決められるだけだろう。私見では、長谷部恭男のいう「調整問題」もこの1つか。□伊藤14
・「常識」の不明:ある場面で持ち出される「常識」の外延は曖昧であり、社会構成員内で一致した「常識」が見出せない場合もあろう(時代の変化もある)。例えば、隣人訴訟のあるべき帰趨をめぐって一致したコンセンサスはないであろう。このような場合、法令による「人為的な結論」にしたがうことも次善策として理解されようか。
・「常識」との不整合:「常識」について一応のコンセンサスが記述できても、その「常識」と法令を適用した結果が整合しない例がある。私見では、この例に直面した法律家は、「常識」を退けて当該ルールにしたがうか(さらにそれを残念に思うか否か)、当該ルールを別解釈して(or一般条項を援用して)「常識」に沿った解決を模索するかの選択を迫られよう。□我妻49-52
[例]利益原則、黙秘権、自白法則、補強法則などの刑事手続の諸原則。
[例]民事実体法の時効制度。
[例]書面によらない贈与の任意解除(民法550条本文)。□広中2-4、山田146
[例]労働法の労働者保護規定。
[例]借地借家法の賃借人保護規定。
[例]懲罰的損害賠償の否定。
[法学教育における「常識論」の有害]
・私見では、「法律と『常識』の合致」は実務家の領分であって、法学教育における「常識論の援用」は有害だと思われる。利益衡量論批判もこれに通じるか。
・ルールの解釈にあたっては、まずは「素朴な常識論」に依らない解釈論を展開すべきである。常識論に頼れば汎用性のない結論に陥ったり、遺棄されるべき前近代的社会関係を擁護する結論になりかねない。□広中7-8、我妻51
・現行の憲法秩序が措定する価値体系は何かを探求し、当該価値(≠「常識」)を重視すべきであろう。
広中俊雄「常識論と解釈論とはどう違うか」幾代通・鈴木禄弥・広中俊雄『民法の基礎知識(1)』(有斐閣双書)[1964]
我妻榮『法律における理屈と人情〔第2版〕』[1987] ※初版1955年。
伊藤正己『近代法の常識〔第3版〕』[1992] ※初版1960年。
田中成明『現代法理学』[2011]
山田卓生『法学入門 社会生活と法』[2013] ※原著1986年。