今日は奥様は出勤、私は一人、自宅でリハビリを兼ねて療養中です。
昨夜はレンドルミンの助けを借りることもなく、ぐっすり眠りにつくことができました。
やっぱり家がいい、奥様の横で寝るのが一番です。
さて、昨日のブログで、「もう一つの理由」というのを書きました。そうしたら、ある写真を見たくなって高校のアルバムに挟んであった3枚の写真を取り出してみました。
それは、M君の奥様からいただいたM君の写真です。M君のことを忘れないように、と手渡されもので、私の勤務する会社の近くの病院でM君が勤務していた頃の写真を頂戴しました。
ふと窓の外を見ると梅雨時とは思えない青く高く澄んだ空が広がっています。あの空の上からM君はきっと、「お前のは俺のとは違う、大丈夫だぜ」と言っているに違いない。
でもさぁ、どうして正直に会いに来て欲しい、言ってくれなかったんだ?
私は、ずっと、電話をしなかったことを悔いているんだ、メールじゃなくて、電話を。君のことだから会うのを拒否したかもしれないけどさ。
でもその後悔は、残された者にとってはずっと続くんだよ、M君。。。
。。。ごめん、M君。君を攻めちゃったようだ。君は悪くない、闘病中の自分の姿を私が見ることで私が辛くなることを察したんだろうね、きっと。いや、僕が重い腰を上げて電話をしなかったのが良くないんだ。でも、もう終わりにしよう、5年も経つんだ。君は空の上から見守っていてくれ。だって、君は優秀な医者だろ、科は違うけど(笑)。でも確か、脳外も候補って言っていたような、記憶違いかも知れないけど。。。
ココは君が学んだ場所だ、若手の医師たちに若い頃の君の姿を重ね合わせていたよ。白い巨塔の時も、ふと君がそこにいるような気がした。廊下で歩いているときに、ふと君とすれ違ったような気がした。あの写真の中に写っている君のような真っ白い白衣と首にかけた聴診器。。。
5年前のM君のこともあり、私は、みんなに会いたかった、話をしたかった。
だから、会えてうれしかった。会いに来てくれて本当にうれしかった。会いに行く、って言ってくれるだけでうれしかった。そんなメールをくれてうれしかった。手術に出発する直前まで励ましのメールを送ってくれて、うれしかった。涙が止まらなかった。会いに来てくれた方が帰られた後、一人で大泣きしました。
でも、最後ではありません。これから何度も会えます。美味しいものも一緒に食べます。そのために治療を続けます。
Iさんがお見舞いに来てくださった時、「メールに会いに来て欲しいと書いてあった」とおっしゃいました。やられた!と思いました。
メールにはそんなこと、書いてませんよ、と言いましたが、完璧に見透かされていました。「少なくとも、会いに来て欲しい、そう見えた」いやー、さすが歳の何とやら(失礼!)。。。
Iさん、今日のブログを先読みされていたのでしょうか???
5年前の2月、高校時代の友人から肺癌の手術を受けたとのメールがありました。その友人は医師でもあり、状況が詳細に書かれてあり、ダイジョウブ、だとの第一印象を受けたのです。数ヶ月すれば会っても良いだろうなと、何度かメールを出しましたが、返信なし。その時に、ふと、嫌な予感はしたのですが、医者がダイジョウブって言っているんだからなぁ、と思って、もうちょっと待つと、とついに秋になってしまいました。でも遅かった。嫌な予感がしたときに、メールではなく、電話をすれば良かったんです。
その友人の奥様からの手紙で、もう会えなくなったことを知り、話のできない彼に会いに行きました。 彼の奥様の話によると、私からのメールは奥様が全て読んで、彼に聞かせて下さっていたとか。。。
その時は全身に転移していて散々な状況だったそうなので、嫌な予感がして会いに行っていたとしても、お互いが悲しい思いのまま、最後の再会になっていたかもしれません。
ただ、彼の奥様は、私に彼の状況を伝えるべきではないかどうか悩まれていたそうですが、私が一声掛けていれば、彼女が悩むことはなかったのではないか、また、少なくとも彼に、お前はよく頑張った、と最後に声をかけてやれることくらいはできたんじゃないかと、今でも悔やんでいます。 とても悔やんでいます。
そんなことがあったので、お互いに話せるうちに話をしておきたい、特に今回、あと何年?と思った時に強くそう思いましたので、ブログで広く、また個人的にも連絡させていただきました。
5年前、君の分まで強く長く生きるからね、と仏前で合掌したから、彼がきっと見守ってくれていると思います。M君、そうだよね。
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えっ?家に帰ったんですか? そうです。
外泊許可をいただきました。
今朝は、手術で取った腫瘍細胞の生検結果を元に主治医と今後の治療方針について話し合いました。
2時間あまり、じっくりと、じっくりと、先生も忙しいのに、何度もコールを受けながら、丁寧に丁寧に私と奥様の質問責めに答えて下さいました。
簡単に言えば、グレードIIの乏突起神経膠腫に分類され、MIB-1 L1という増殖度を示す割合が3.5%と微妙に高めというもので、運動機能を温存することを優先するために一部取りきれなかった腫瘍があり、今後、それをどうするか、というものでした。
選択肢として示されたものは、テモダールという抗ガン剤を服用するとともに放射線治療を加えて、残った腫瘍を今のうちに潰しておいてしまおうというものでした。
もしも、放っておいた場合のリスクとしては、残った腫瘍細胞が再び増殖して大きくなって、運動機能に障害をきたす、あるいは、他へ転移するといったことが考えられます。
抗ガン剤治療や、放射線治療による副作用、またそれらへの対処法についても伺いました。
私たちも予習を十分?にして行き、先生もそれに応えて下さいましたので、もうセカンドオピニオンの必要もないかと思いました。むしろ、先生は何度も、”悩ましい”とおっしゃてましたが、手術に踏み切るかどうかと悩んだ時と同様、微妙な診断なようなので、別の先生に話を伺ったとしても迷うだけかと思いましたので、このままココで治療を継続することにしました。
良い先生に巡り会えて良かったと思います。
手術自体は順調に回復し、熱も出ないし、何も問題はないので退院を勧められましたが、来週から放射線治療で再入院するなら、外泊という形で家に帰った方が良いと希望して、急遽、病院での昼食後、帰らせていただきました。
でも信じられませんね、先週の今頃は、吐き気がしたり、熱も下がらないし、鬱ぎ込んでいたのに。。。医学の進歩は素晴らしいです。
来週からは新しい挑戦が始まります。ここからが本当のグリちゃんとの戦いです。吐き気、脱毛、倦怠感、、、でも、きっとダイジョウブ。
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晴れ渡った青い空の下、手術室へ歩いて行った日のように。。。 もう、遠い遠い過去のように感じます。
迷いや不安もすべての哀しみがあるとしても
これから二人で 抱きしめればいい
これまで応援して下さった皆さん、声を掛けていただいた方々、足を運んでいただいた方々、本当にありがとうございました。 これからも、よろしくお願い申しあげます。
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