健康長寿の窓口 (タロー8の脳腫瘍闘病記改め)

2009年に乏突起神経膠腫の手術を受け15年が経過したことを機にブログをリニューアル、健康長寿の情報を発信していきます。

ひと時の休息

2009-06-27 19:20:50 | 日記・エッセイ・コラム

明日から病院に戻ります。何だか寂しいです。切ないです。でも明後日には新しい一日が始まります。
グリちゃんを徹底的に叩かなくてはなりません。先手必勝ですから。。。

今日、自分の右脳とのお別れの”儀式”の時、父の遺影を眺めながら、父の他界したときを想っていました。

父が亡くなった日の前日から私は40度近い熱を出して寝込んでおり、そのためか、悪夢を見ていました。
それは、父が別の世界へ誰かに連れ去られて行く、というものです。何故かそこは戦場です。どこかの戦闘機が攻めてきます。そして誰かが父を連れて行きます。私は”警察”へ電話をかけます。でも、警察は応答してくれません。「早く来て!」、でも間に合いませんでした。朝起きたら、汗でぐっしょり、あぁ、夢か、ちょうどその時、父が「おはよう、行ってくるね」と言って畑仕事へ出かけて行きました。(これは現実の世界)これが、最後の言葉でした。

その数時間後、頭が痛い!と言って父は家に帰ってきました。姉が”消防署”へ電話をかけます。でも、救急車は行き先を間違えたらしく、なかなか来ません。「早く来て!」、でも間に合いませんでした。さっき見た夢と同じような展開ですが、これは、夢ではなく現実の続きでした。

夢は虫の知らせだったのでしょうか。

こんなことがあって以来、時々、妙なことが続きました。当時、スーパーカーブームでしたが、田舎町にスーパーカーが走っている確率なんて高くはないのに、友人と歩いていて「ここでロータスヨーロッパが走って来たりして」なんて言うと、本当に目の前を通りすぎたり、自販機で50円だけ投入すると、半分しか入っていないジュースが出てくるかもしれないと、実際にそうなったり、たまたまの偶然なのか、今回もヘルペスから始まった脳腫瘍の早期発見の経緯は、虫の知らせだったような、何だかこれからも予知されることがちょっと怖いです。。。。


funeral ceremony

2009-06-27 10:33:16 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、病院から家に戻ると、ある”お告げ”がありました。両親の墓参りへ行く時に持って行く、線香などをまとめた袋が、いつも置いてある場所から落ちたのです。普通は落ちるような場所ではないのですが。

そして今朝、会社の後輩I君が夢の中に出てきて言うのです。


『手術で切り取られた右脳の供養をしてあげた方が良いですよ!』


そうか、昨日の出来事は、そういうことをしておきなさいとの”お告げ”だったのか、と目が覚めて、奥様に相談しました。

そうは言っても物体はありませんし、我が家には仏壇などもありません。暑いし、まだ身体がしんどいので、お墓やお寺へ行くのも躊躇します。そこで、両親の遺影にお花をお供えし、お線香を立てて簡単な供養式の準備をし、お経を唱えることで、私の右脳とのお別れを済ませまることとしました。5分程度の短い儀式でしたが、きっと、両親が快く迎えてくれたことでしょう。

自分が自分の分身を見送る、と言うのも妙な気分でしたが、これで何となく気分がすっきりしました。。。


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